現在は部長級など上級管理職や、研究者などの一部の専門職に限って、残業時間にかかわらず賃金を一定に定め残業代を払わないことが認められているが、政府の産業競争力会議による今回の提言では、この「残業代ゼロ」の対象範囲を広げる方向にある。仕事の成果などで賃金が決まる一方、長時間労働の温床になったりするおそれがある。
残業代が存在しない「たいやき屋」
都内に老舗のたいやき屋がある。1匹100円台。どうしてこんなにうまいたいやきを、この値段で長年提供できるのか本当に不思議である。この店では高齢の店主が1匹1匹、手作りでたい焼きを焼き上げる。これだけの良質のたい焼きをお手頃価格で提供しているので、いつ店の前を通っても長蛇の列ができている。なかには30匹、50匹を事前に注文して引き取りにくる客もいる。
私が知る限りの「経済学」では「需要が供給を大きく上回ると商品価格は上がる」のが市場のルールだが、この店は余程のこと(原材料の大幅な値上がり等)がない限り商品価格を上げない。
ならば生産量(供給)を増やせば、総売上はあがるわけだが、あいにくこの店は2号店を出したり、営業時間を延長したりしない。店主は長年に渡り、決まった時間内に、概ね決まった数のたい焼きを焼く。1匹の値段は長年変わらないので、おそらく店の総売上は一定している。店主以外に何人かサポートスタッフが店内にいるが、残業はしていないだろう。
結局、誰が残業をさせているのか?
何が言いたいかというと、そもそも企業はなぜ社員の「残業」を認めるのか?言い換えれば、社員に「残業をさせているのは誰か?」
(1) 企業が残業を命じている(業務命令)
(2) 社員が自主的に残業を行う(仕事量が多くて時間内で終わらない)
(3) 社員が自主的に残業を行う(生活費の補填/生活残業)
(4) 仕事の内容上、残業が避けられない(早朝と夕刻にルーティン作業が生じる業務、時差のある国との連絡業務等)
(5) その他、社内の同調圧力など
(1)の場合、「年収が1千万円以上など高収入の社員」(こんな人はテレビ局や新聞社などのメディア企業や一部のIT企業にしかいないと思うが…)以外の一般社員にまで「残業代ゼロ」の範囲を広げると、間違いなく、企業と一般社員との力関係上、歯止めなく労働時間が長くなる。これこそ「ブラック企業」の公認にほかならない。
(2)の場合、簡単ではないかもしれないが、社員は「定時」で業務を終わらせてしまうことを制度化できないだろうか。あくまで例として、コピーライターとタクシードライバーという職種を例にする。同じレベルのキャッチコピーを考案するのに、10時間を必要とするコピーライターと1時間で考案するコピーライターとどちらが優秀なコピーライターか? 通常30分で到着する目的地に、混雑していないのに道順の選択が悪く50分かかるタクシードライバーと、15分で到着してしまうタクシードライバーとどちらが優秀か? 私の問いの答えは明らかであるが、業務の質の高さが費やす時間と直接関係のない場合、「残業」以前に「労働時間」そのもを「賃金(収入)」と紐付けない制度が必要だ。
(3)の場合、「残業代ゼロ」は有効である。不要な「残業」によりコストを支払わせている企業にとっても、不要な「残業」により不当に利得している社員にとっても、するべきでない「残業」の存在意義はない。
(4)の場合は「残業代ゼロ」というのは業務の構造上、明らかにおかしい。基本業務の仕組みが「残業」を前提としているからだ。この場合は、残業代を支払う。もしくは、残業代も含む年俸、給与の提示が不可欠である。深夜バスの運転手などであれば、ある程度の行政指導が必要だ。ちゃんと「残業代込み」の給与にふさわしいか。無理なシフトになっていないか。これらがゆるいと、これも「ブラック企業」の温床となる・
(5)の場合は、比較的に日本人に多いケースかもしれない。「上司や先輩社員が残っている以上、自分の仕事は終わっていても自分が先に帰るわけにはいかない」という、何とも精神論的なムダな残業である。今の時代、こんなことを平気で認める会社や上司や、これを当然だと思う専門性のない社員が多ければ多いほど、将来性はない(余程の徒弟制度や家族企業でない限り)ので、思い当たる節があれば、社長であれば即刻、ムダな残業を禁止する。上司であれば「先に帰れ」と部下に促す。部下であれば、自分が手伝うべきことがなければ、とっとと帰る。クライアントやパートナー企業はこんな不毛な「ムダ」な残業を今の時代に行っている企業とは付き合わない。これに限ると思う。
「残業代」をなくすより「残業」をなくせば良い
話を最初のたいやき屋に戻す。なぜこのたいやき屋に「残業」がないのか?簡潔に言うと「正業」であるからだと私は思う。まず自分が1日に働く適切な時間を決める。これは自分の体力や集中力による。そしてその労働に相応しい賃金A(労働対価)が決まる。すると、その労働時間内で焼くことができる焼きの数(X)が決まる。そして以上のことが満たされるために、たい焼き1匹あたりの売値Bをいくらにするかを決める。この売値は、たい焼きの原材料費や間接費も含めた1匹あたりのコストCに適正な利潤Dを加えた金額になる。
売値(B) - たい焼きコスト(C) =適正な利潤(D)
適正な利潤(D) ✕ たいやきの数(X) = 賃金A(アシスタント分含む)
この計算でいくと、賃金Aを増やそうと思えば(アシスタントは減らせないとする)、
(1) 売値(B)を上げる (2) たい焼きコストを下げる (3) たいやきの数(X)を増やす
の3つのうちの1つまたは全部を行えば良いことになる。
しかし…
老舗であり長年の常連客を大切にすることを考えると、(1)の売値のアップは極力避ける。コストを下げるために安い原材料に変えたりしないので、(2)も行わない。労働時間を延長したり、2号店、3号店を出してアシスタントにたい焼きを焼かせたりといった「大量生産方式」は行わない。「正業を営む」という考えは大いに理解できる。
今回、最も言いたかったことは、
■「残業」にもいろいろな種類(思惑)がある。一概に「残業代ゼロ」というのは、かなり乱暴な議論である。現場をもっと知った方が良い。
■「残業代ゼロ」より「残業ゼロ」の方が良いに決まっている。なぜ街のたいやき屋さんにできて、名だたる有名企業にできないのだろう? という素朴な疑問。
資本主義社会における企業は「利潤の追求(配当)」が存在目的であることは百も承知である。ならばこそ、長年に渡り「適正な利益」をあげている(正業を営んでいる)ビジネスモデルを見直す時代に、すでに日本は来ているのではないか。
※写真は本文とは関係ありません
(タイトルイラスト:小山健)
<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。