私がメーカーのサポート部門で勤務していた頃の話。

その職種に就くまでは、あまり一人ひとりの「顧客」に接する機会は少なかったため、自分自身がまずは「顧客目線」に変わらなくてはと思った。その心がけ自体は決して悪くはなかった。

そして、いま思うとこっ恥ずかしくなるくらい「顧客目線で……」「顧客志向の……」という言葉を連発していた。

顧客の声を代弁していただけだった?

何でこんなクレームがおこるの? 何ですぐに解決できないのか?
「顧客のために」「顧客ニーズ」が何よりも大切に決まっているじゃないか!?

「お客様のご意見」至上主義だったことがある。

ところが……

ほんの数カ月もナマの顧客の声に触れ続けると顧客ニーズといってもいろいろあることがわかる。一つ一つの声が必ずしも顧客全体の声とも限らない。ごく一部の「大きな声」(目立つ顧客)だけが伝わってくることもある。

そして、「顧客の声が一番大事」だと言い放っていた自分のことを、

単に「顧客に喜んで欲しい」という自己満足に過ぎないのではないか?

自分自身が「顧客の声」を代弁することで、社内外に対して「承認してほしい」という欲求なのではないか? 「顧客の声が大事」などということは誰でも言えることなのではないか?

など少し後ろめたく思いはじめた。

また、自分が声高らかに「顧客が大事」と唱えたために、そこに"プチ権力"が生じていたことにも気づく。社内のステークホルダーを顧みないで「顧客! 顧客!」と自分が叫ぶと、その声のために振り回される自分以外の人たちが生まれてくる。

一方で、どうにも動かない社内を何とか動かそうとする目的で、「顧客の声を利用する」というパワーの使い方、テクニックを覚え、「顧客の声」を効果的に利用し始めるようになる。「自分のために」なのか「顧客のために」なのかが、目的と手段が時として逆転して自分でも分からなくなってくる。

極端な話だが、コストや人的リソースと時間さえかければ、顧客満足はいくらでも高められることができる。ただしある一定以上のリソースを投入してしまうと、会社が存続し得ない(つまり……儲からないのでツブれる)こともわかってくる。自分自身が売上とコスト管理に責任を持ち始めると、さらに顧客満足に対する見方がシビアになってくる。今まで自分がいかに売上に責任を持っていなかったかに気がつく。

「企業が存在すること」が「顧客のためになる」というのが最も良いことであり、「存続しないこと」がもっとも顧客に対する裏切りになるということなども考えるようになる。純粋で真っ直ぐだった時の「顧客志向」の気持ちとは一味違った「顧客志向」になる。

多種多様な「顧客の声」の全てを満たすことはできないという、ごく当たり前のことに普通に気が付いてくると、急に肩の荷が降りたような一皮むけた気持ちになる。

最大多数の顧客に期待値以上の満足感を手頃なコストでいつでも感じてもらうにはどういう仕組みにしたらよいか。

その上で、少し尖ったスペシャルなサービスで特別な体験をしてもらい話題にするにはどうすればよいか。

最悪な事例だけは作らないよう、イレギュラーな案件が発生した場合には迷わず特別な対応を即断するための仕組みはどうすればいいか。

「問い」に行き着くまでに相当な遠回りをしたりもすることもあるが、その分だけ「答え」を導き出すまでにはあまり時間がかからなかったりすることもある。「問い」に行き着くまでがいつだって難しい。


<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサー等を経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2015年4月より東北芸術工科大学にて教鞭をとる。