今からずいぶん前の話になる。私がサラリーマンとして働いていたころの話だ。よく私のことを夕食に誘ってくれる年の離れた先輩社員がいた。仕事が終わった帰りのことが多かった。仕事の話題が多かったが、私にとっては先輩と1対1で色々な話ができる貴重な機会でもあった。
領収書の謎
とはいえ、私には1つ気になることがあった。
先輩は私とちょっとした食事をした際にも、いつも店から領収書をもらうのだ。
業務に関する話ばかりだったので、あくまで「勤務の延長上」だということに違和感がなかったが、ラーメン店で定食屋さんで2人分の金額でアルコールもほぼなし。1,500円か2,000円程度である。私よりもずいぶん年上の先輩だったことを考えると、そんなにいつもいつも領収書を切らなくてもいいのになと、当時の私は正直なところ思っていた。
それからしばらくしての話だ。これからお付き合いしていくことになるかもしれない企業の幹部の方々との重要な会食があった。その先輩と私と相手も合わせると6名だった。最初先方が用意した店におじゃましたが、もう1軒行きましょうということになった。2軒めは我々が"ホスト"となった。店を変えて程よく2時間ほど経ちお開きになった。先輩はなぜか自分のクレジットカードを切ると「領収書はいりません」と店員に伝えた。
私はこの時も、あまり違和感は感じなかった。
随分と年月が経った。3、4年前の話になる。その先輩はすでに定年退職されていた。私も当時の会社とは異なる企業にいる。久しぶりにお会いすることになった。
当時とは違い、もう仕事の話を直接することもなかったが、数々の思い出話に花が咲いた。たまたま「交際費」の話が出たので、当時の「領収書」のことを聞いてみた。
すると、先輩はそんなつまらないことをよく覚えているなと、笑いながら私に教えてくれた。
私と行ったラーメンや定食屋の領収書は、一応もらったけれど会社に請求はしなかったという。
もう1つのクレジットカードでの接待の件は、あの場では領収書をもらわず後から支払伝票で精算したという。
それ以上の深い理由は語ってはくれなかった。それ以上、私が聞くのも先輩に野暮だ。
平たく言えば広い意味での「領収書」の切り方を教えてもらっていたのだと思う。
領収書を切っていたので私は遠慮せずに気軽にご一緒させてもらえた。「そういうものだ」と思って、以来、部下や後輩と接している。
クレジットカードでもの会食の時に会社名での領収書を切らなかったのは、良からぬ空気を感じたからだという。先方の企業は、ずいぶん前に不祥事を起こして消えていた。鈍感な私は全く気が付かなかったが、先方様への含みのある何らかのメッセージだったのかもしれない。
<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。(現 株式会社東京片岡英彦事務所 代表取締役)主に企業の戦略PR、マーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2011年から国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立代表理事就任。