友人のフリーアナウンサーとの会話。仕事柄、忘年会などのパーティーや披露宴などの司会を友人知人から頼まれることが多い季節らしい。仕事であれプライベートであれ、声をかけてもらえることはうれしいとのこと。たとえノーギャラのプライベートの依頼でも協力したいものはスケジュールさえあえば協力するという。たとえギャラがいくらであっても協力できない内容の依頼は、スケジュールの調整がつかなくて…とタテマエを言って丁重に断るか、正直に断る理由を依頼者に告げるという。
とても誠実な対応だと思う。
困る依頼は?
一方で、1番困るのが仕事なのかプライベートなのか最後まではっきりしない依頼だという。例えば友人の親族の結婚式の司会や個人的な友人からのイベント出演依頼など。こうした依頼の多くは、「もし都合がつくようならば、ちょっと顔を出していただき司会進行をお願いしたい」的に、ゆるゆるとお願いされるという。
事前の準備や段取り確認もせず、前日まで行くか行かないかはっきりさせず、当日も入り時間を決めず、本当に行けたら行く程度のコミットでよく、服装も普段着でよく…そんないい加減な司会でよければ参加するのも苦ではないが、まさか披露宴の司会や友人主催のイベントがそれでよいわけがない。
引き受けたら引き受けたで、プロの司会者である以上は、ギャラの有無には関わらず、事前にしっかり段取りを確認し、新郎新婦や親族や来賓の名前を読み間違えないように一字一句確認する。モーニングなりタキシードなり礼服を用意せねばならない。何より当日はどんなに他の重要な仕事が後から入っても、それを断らねばならない。プロの司会者であれば当然だ。
だからこそ、軽くは受けられない。が、断れば断るで、あいつは「ケチだ」ということになる。「ケチ」なわけではなく、「プロ」として仕事をしなくてはいけないのか、あくまで「素人」として自由参加でいいのか、その違いだ。
求められているクオリティーは何なのか
そういう私もPRの仕事をしていると、いろいろと頼まれ事をすることがある。ちょっとしたイベント開催やら、メディア絡みのお話など。もちろん、受けられるものは受けたいと思うが、求められている「クオリティー」がわからないのが1番お受けしにくい。
PRの仕事をしている人だから…というだけの理由で、イベント関連の音響機器やら、受付周りの人員やら、司会者のブッキングやら、集客活動やら何でも「自前」でタダでできるものだと思われていることがよくある。最初から、手作り感いっぱいのレベルで良いと言ってくれれば、自宅にあるような家庭用の機器などを持参する。司会も自分がやる。集客もネットの個人アカウントで呼びかける。集まりが少なければ少ないで「おやおや、思ったよりも集まりが少なかったわ~」で笑って済む話ならばそれでいい。「私人」として手弁当でできることは少なからずある。
仮に「プロ」の品質を求められているのであれば、少なくとも自宅の機器を持ち出したり、自分で司会をやったりしない。プロにはプロの仕様がある。ましてや、集客のための告知を中途半端に自分の個人のアドレス帳から行ったりしない。計画的、組織的に再現が可能な施策のみを行う。これは最低限のPRの仕事の基本である。
結果として、当日になってモニタが小さいだ、音響が悪いだ、人の集まりが少ないなど、素人のようなミスがあれば、プロとしては大きな失態である。「私、失敗しないしないので」というセリフは、フリーランス医師の大門未知子だけの架空の話ではない。司会者であれPRの仕事であれ「失敗しない」のはプロとしては、当然のことで、失敗したら「クビ」にされても致し方ない世界である。
決して個人的な依頼はしてはいけないという話ではない。あくまで個人的な依頼であれば、個人的に可能な範囲での依頼を。プロとして依頼するのであればプロにふさわしい条件と環境での依頼を。小さいことではあるが、とても重要なことでもあるのだ。
<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。(現 株式会社東京片岡英彦事務所 代表取締役)主に企業の戦略PR、マーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2011年から国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立代表理事就任。