以前、コラムで「退職した会社をDisるのは、別れたパートナーをDisるのと同じくらい見苦しい」というタイトルのコラムを書いた。

この中で私は「退社した会社」のことを「別れたパートナー」だと例えた。

以下、引用
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私は常々、「就職は恋愛のようなものだ」と例えている。

簡単に言えば「出会い(一期一会)」だ。

確かに、その人は何らかの不満があって、勤務先を辞めたのかもしれない。あるいは会社側の一方的な都合で、やめさせられてしまったのかもしれない。会社と社員との双方に何か行き違いがあったのかもしれない。そうした個々の事情は誰にでもある。

それでも、私はこのDisりを聞くと、どうしても腹が立ってくるのだ。

そう、まるでかつて自分が恋愛をし、お付き合いをしていた相手に対して、別れた後になって人前でDisる人の言葉を聞かされるような、そんな気分になる。(これも念のために言っておきたい。相手から暴力を受けたり、ものを盗まれたりといった場合の話とは全く別次元での話だ)

なぜこの人はここで「鉛を飲む」ことができないのか?
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「恋愛」に例えたからかもしれないが、その後、女性の方や学生から(恋愛話については「お年頃」なのだろう…)いくつか意見を頂いた。

中にはこんなことを言う方もいた。

「確かに彼との『別れ方』には問題があったと思う。だけど別れた後にその元カレが、私の悪口を言っているらしいといううわさを友人から聞いた。最初は『私にも責任がある』と思って我慢していたけれど、あまりにしつこく、私と付き合っていた当時の2人だけしか知らない話まであれこれと周囲に吹聴されるので、どうにも許せなくなった」

とのこと。
ところがである。

その元カレは、その後、別の彼女と付き合うことになったらしい。運命とは面白いもので、その新しい彼女は偶然にもこの女性の昔からの友人だったらしい。「天を仰いでツバを吐く」「悪事千里を走る」ではないが…その結果、この新しい恋人とこの男性との関係がどうなったか容易に想像がつく。

新しい彼女は、執拗に悪口を言われ続けていた彼女の相談にものっていた間柄だったので、この男と付き合い、別れたら、間違いなく今度は自分のことを、悪く言われるのではないかと恐れて、すぐにこの男性とは別れたのである。

以前、書いたコラムでは私はあくまで「退社した会社」を念頭に最後を下記のようにまとめた。

以下引用
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自分が退職した後も、変わらぬ付き合いをしてくれるかつての仲間が一人でもいるならば、どんなに個人的な不満や、腹立たしいことがあっても決して人前で言ってはならないと思っている。同時にそれを口にしてしまうことは、本人にとっても非常に損な結果を招くと思う。本来ならば退職後の自分を応援してくれるかもしれない、多くの「旧友」に対して、後足で砂をかけるような行為は、決して誰のためにもならない。
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その後の反響を得てから改めて思ったのだが、「退職した会社」「別れたパートナー」の悪口を言い続ける人は、やはりどこか人間性に問題がある。よほどイヤな思いがあったにせよ、自分の貴重な「つながり」を安易に否定してしまう人であり、同時に自分の未来の「つながり」にも「いつ手のひらを返すか分からない人」であることを、身をもって証明してしまうのである。

当然、新たな環境で新たな気持ちで出会う人たちも、こうした人のことは「警戒」するのは当然であろう。いつ自分が悪口を「言われる側」の立場になるか分かったものではない。

今回は話がキャリアよりも「恋愛」に近い話になったが、広い意味では「恋愛」も長い人生における「キャリア」の一つである。どうせならば良い「キャリア」を選択したいものである。


<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立(現 株式会社東京片岡英彦事務所 代表取締役)。主に企業の戦略PR、マーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2011年から国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立代表理事就任。