日本の自動車業界にとって、とても不名誉なニュースが世間を騒がせることになってしまった。いうまでもなく、三菱自動車の燃費不正に関する問題だ。連日、新たな事実が報道されるたびに事件は広がりを見せ、収束する気配もない。

三菱自動車の製造した車両の燃費試験における不正行為が判明。三菱「eKワゴン」「eKスペース」と、日産自動車向けに供給している「デイズ」「デイズ ルークス」などが該当車とされた

ここでは、この事件をより深く理解するために、燃費がどのように計測されているか紹介し、また三菱の低燃費技術についても振り返ってみたい。

幾度となく変更を繰り返してきた燃費表記

まず燃費についてだが、今回の三菱の不正によって、思いもよらぬことが明らかになった。報道で知って驚いた人も多いと思うが、その件に触れる前に、燃費の基礎的な部分をおさらいしておこう。

自動車の燃費表記は古くから行われているが、1960年代から1970年代初頭まで、60kn/h定地走行燃費という非常にシンプルな測定方法だった。説明するまでもないことだが、時速60kmで走行したときの燃料消費を測定するということで、実際に自動車を使用したときの燃費、いわゆる実燃費とはかけ離れている。

これはまずいということで、1973年に10モード燃費がスタートした。これもその名の通りで、市街地走行を想定した10種類の走行パターンを計測する。ちなみに、1973年は第1次石油ショックが起きた年であり、10モード燃費は自動車の性能を示す上でエンジンの最高出力に匹敵するほど重要なスペックとして注目された。

10モード燃費は18年にわたって運用されたが、1980年代になるとガソリン価格は安定傾向で、燃費の注目度は急速に低下していった。それを示す象徴的な出来事がターボブームで、当時のターボ車は劣悪な燃費だったが、それでも最高出力さえ高ければ人気を得ることができた。バブル経済に突入すると、燃費軽視の傾向はさらに強くなったが、バブル経済の破綻で事態は一変。経済性の高いクルマが求められるようになり、環境意識の高まりもあって燃費が再び注目を集めるようになる。そんな折、1991年に登場したのが10・15モード燃費だ。これは市街地の走行パターン10種類に、郊外の走行パターン15種類を追加し、カタログ燃費をさらに実燃費に近づけようとしたものだ。

その後、環境意識が高まり、ガソリン価格も上昇傾向となると、エコカーの名の下に燃費競争が勃発。実燃費との乖離を完全に払拭するに至らなかった10・15モード燃費に代わり、2011年にJC08モード燃費が登場した。JC08モード燃費は高速走行やエンジンが冷えているときの燃費も考慮しており、クルマの実際の利用実態に近い計測となっている。

このように燃費の計測方法は進化してきた。いまだに実燃費との乖離はあるものの、異なる車種で実燃費の優劣を比較する目安として、JC08モード燃費はそれなりに信頼できるとの認識も浸透している。

かつてはカタログ燃費が良ても実燃費が非常に悪いモデル、あるいはその逆もあって、カタログ燃費をまったく信用しない人も多かったが、いまではカタログ燃費を否定する人はほとんどいないし、逆にクルマ選びの重要なファクターだと考える人が多い。

燃費測定の方法に意外な落とし穴が!?

進化を繰り返し、いまやクルマの性能を示す最重要スペックとなった燃費。しかし、思いもよらぬ落とし穴があることが、今回の事件を通して明らかになった。

燃費の測定は、そのモデルの型式指定審査時に行われる。型式指定審査とは、新しいモデルを発売する前に、安全性などを国土交通省が審査するもの。当然ながら審査は厳粛なもので、パスしなければ自動車として販売することはできない。燃費についてもこのときに国土交通省が厳密に測定し、カタログには「国土交通省審査値」として記載される。そのため、カタログ燃費の数値は厳正に管理され、ごまかしようのない公正なものだと、これまでは誰もが信じていた。しかし、どうもそうではなかったようなのだ。

燃費の測定は、シャーシダイナモという機械で行われる。大きなローラーの上にタイヤを乗せて、屋内で路上走行の状態を再現できる機械だ。天候や気温に左右されず同一条件で測定できるのがメリットだが、しかし、この方法では車体の空気抵抗やタイヤの転がり抵抗を再現できない。そこで、空気抵抗や転がり抵抗を「走行抵抗値」として別途、車種ごとに測定しておき、その数値をシャーシダイナモにインプットして測定値を補正する方法が採られている。これによって、実際の走行に近い燃費測定ができるのだ。

問題は、この「走行抵抗値」だ。シャーシダイナモによる燃費測定がいかに厳粛に行われていても、「走行抵抗値」が間違っていれば、正しい燃費測定はできない。もっと踏み込んだ言い方をすれば、「走行抵抗値」を操作すれば燃費測定の結果をどのようにもコントロールできるということになる。常識的に考えれば、「走行抵抗値」の測定も国土交通省、あるいは利害関係のない第三者が実施しなければならない。ところが、実際には「走行抵抗値」はそのクルマを開発したメーカーが測定し、その数値を国土交通省に申告するという方法が採られていた。メーカーによる測定の信頼性はなんら担保されておらず、測定の様子やデータが公開されることもなければ、第三者の立会人などもいない。

今回の三菱の燃費不正問題は、この「走行抵抗値」をごまかすことで、実際より優れた燃費になるようにしていた。もちろんそれはルール違反であり、厳正な処分やユーザーへの賠償が行われて然るべきだ。しかし、それとは別の問題として、燃費の測定方法にも重大な欠陥があるといわざるをえない。当然ながら、燃費測定の方法は変更される見通しだ。具体的な内容は未定だが、燃費性能の重要さを考えれば、「走行抵抗値」も含めてメーカーが関与できない形で測定するなど、絶対的な公正さを実現するべきだろう。

独創的な技術で我が道を突き進んできた三菱自動車

三菱自動車はどちらかというと個性的な自動車メーカーで、とくに技術面ではその個性が際立っている。良くいえば独創的、悪くいえば極端な手法を採ることが多いのだ。

低燃費技術では、1982年にエンジンの一部のシリンダーを休止させて燃料消費を削減する気筒休止エンジンを「ミラージュ」の1.4リットルエンジンに採用した。気筒休止は日本初であり、世界的にもGMに次いで2例目。その後も他車の追随はほとんどなく、気筒休止エンジンは大体2000年くらいまで、世界で数例しか採用例がない。しかも三菱以外は超が付くほどの高級車ばかりだ。現在ではアウディがシリンダーオンデマンドという名称でこの技術に積極的であるほか、ホンダやフォルクスワーゲンも採用しているから、方向性としては間違っていなかったといえるが、あまりにも早すぎた。

1996年には、世界初の直噴リーンバーンのガソリンエンジンを実用化し、GDIエンジンとして「ギャラン」に搭載した。その燃費は従来エンジンより30%も優れるとされ、「直噴ガソリンエンジン100年の歴史の中でも大発明である」とか、「技術者の悲願だった」「理想のエンジンが実現した」など、たいへんな高評価を得た。トヨタをはじめとする世界中のメーカーも追従して直噴エンジンを開発するなど、当時の自動車業界に及ぼした衝撃は非常に大きなものだった。

しかし、GDIの評価が高かったのは発表当初の短い期間だけで、その後は「実燃費が伸びない」「トラブルが多い」といった評価になり、さらにNOxの排出量が多いことなど問題点が次々と発覚して、ついには廃止されることになる。現在、直噴エンジンは欧州メーカーを中心に数多く採用されているが、これはGDIとは別物というべきだ。GDIはリーンバーン(超希薄燃焼)を実現するための手段として直噴を採用しており、リーンバーンありきの技術となっている。対して現在の直噴エンジンはターボと組み合わせることを前提としたもので、リーンバーンではない。

このように、エキセントリックな技術を好んで採用する三菱自動車は、商品展開の面でも極端な戦略を好む傾向がある。ターボエンジンの人気が高まると全車種にターボエンジンを搭載する「フルライン・ターボ」戦略を展開し、GDIエンジンを発表したときは全車種にGDIエンジンを搭載する「フルライン・GDI」戦略を発表した。

こうした三菱自動車の歴史から読み取れるのは、同社は営業主導の企業だということ。ものづくり企業は大きく2つに分けることができる。技術主導、つまり「良いものを作り、できたものを売る」スタイルと、営業主導、つまり「売れる商品を企画し、それを作って売る」スタイルだ。これはどちらが良いということではなく、それぞれに長所・短所がある。技術主導では画期的なヒット商品が生まれる可能性もある代わりに、ユーザーの嗜好や要望とかけ離れた独善に陥ってしまう危険がある。

一方、営業主導はヒットする商品をまず企画し、それを作って販売するので、手堅くヒット商品を作り出せるメリットがある。しかし営業主導が行き過ぎると、技術レベルを顧みずに実現不可能な商品を企画してしまう危険がある。

三菱自動車では「eKワゴン」「デイズ」(ほか派生モデル)を開発するにあたり、燃費ナンバーワンを至上命題としたようだ。ユーザーが最も重視するスペックで、トップになれば売れるはずという営業主導の典型だが、結果的に三菱自動車にとってそれは実現不可能だった。そして燃費の不正操作へと暴走したわけだ。

リコール隠しなどの"前科"がある三菱自動車にとって、今回の不正はあまりに影響が大きく、自動車メーカーとしての存続さえ危ぶまれる状況となっている。再生への第一歩は、国土交通省の調査への全面協力や第三者機関の調査によって不正の全容を隠さずすべて明らかにすること。それができるかどうかは、今後の動向を見守るしかない。