昨年の東京モーターショーで世界初公開されたBMW「M4 GTS」。筆者はそのプレス・カンファレンスの場にいたのだが、ウォーター・インジェクションにより431PSのエンジンを500PSにまでパワーアップしたという説明を聞いて、にわかに信じられなかった。ウォーター・インジェクションという技術があることはぼんやりと知っていたが、これほど劇的な効果のあるものだったとは!
ウォーター・インジェクションはどのようなしくみでエンジンパワーをアップさせるのか、それほど効果のあるものなら、なぜいままで採用されなかったのか、水の補充は面倒でないのか……疑問は尽きない。プレス・カンファレンスの後、BMWのスタッフを捕まえて質問を浴びせたが、ほとんど疑問は解消されなかった。そのスタッフはメカニズムにあまり詳しくなかったし、そもそもウォーター・インジェクションに注目した質問が来ることも想定していなかったようだ。
その後、ウォーター・インジェクションに関するニュースに触れることはなかったが、先日、ボッシュから興味深いリリースが発表された。「M4 GTS」に採用されたウォーター・インジェクションを他メーカーにも供給するというのだ。
ボッシュは自動車部品サプライヤーだから、さまざまなメーカーにパーツを供給するのは当然ともいえるが、わざわざ発表するのはそれなりの見通しがあってのことだろう。つまり、近いうちにウォーター・インジェクションを採用したモデルがどこかのメーカーから発表されるのではないだろうか。
ガソリンに代わって燃焼室を冷却するウォーター・インジェクション
ウォーター・インジェクションとは、エンジンの燃焼室内に水を噴射するシステムだ。燃焼室内ではガソリンが爆発的に燃焼しているのだから、ものすごい高温になる。とくにターボエンジンでは、これが大問題で、なんとかして冷却しないと異常燃焼が起きるなどの致命的なトラブルが発生する。
では、どうやって冷やすか。エンジンの冷却には水冷、空冷、あるいはオイルで冷却するといった手法があるが、いずれもシリンダーやヘッドなどを冷やすものであり、燃焼室の内部を直接冷やすことはできない。そこでは従来は(現在でも)は燃料冷却という方法が採られている。
燃料冷却は、まさに読んで字のごとく、ガソリンで燃焼室を冷やすことだ。ほとんどのガソリンエンジンは、高回転になると燃焼に必要な量よりはるかに多いガソリンを噴射するようにプログラムされている。ガソリンが蒸発するときの気化熱で燃焼室を冷やすためだ。その大量のガソリンの一部は燃焼して駆動力に変換されるが、それ以外はそのまま車外に放出される。当然、燃費は悪くなる。
ボッシュが今回発表したリリースによると、最新型のガソリンエンジンですら、燃料の1/5は駆動力以外のこと、つまり冷却に使用されているという。かつてのターボエンジンはそれよりはるかに冷却に使用されるガソリンが多かった。1980年代のターボモデルは実燃費が3~5km/リットルといったことも普通にあったが、それほどまでに燃費が悪いのは、まさに燃料冷却が原因だ。よく「燃料を垂れ流しながら走っているみたいに燃費が悪い」という表現を使うが、比喩ではなく、まさに燃料を垂れ流していたといえる。
このように、冷却に使われるガソリンを水に置き換えてやれば、それだけガソリンを節約できて低燃費になるし、排出ガスもきれいになる。ボッシュではこの点を強調し、ウォーター・インジェクションを採用することで燃費が最大13%向上するとしている。
充填効率が上がることでパワーも向上する
燃費性能が重視される昨今なので、ボッシュは燃費向上を第一に挙げているが、ウォーター・インジェクションはむしろパワーを追求する技術としてレースなどで採用されてきた。かつてはWRCやF1でも使われた技術なのだ。では、ウォーター・インジェクションを使うとなぜパワーアップするのか。
ターボエンジンでは空気を圧縮してからエンジンに供給するが、圧縮時に温度が上がって膨張、つまり空気が薄くなるため、吸気効率が低下する。ウォーター・インジェクションで空気を冷やすことによって吸気効率を高めることができる。また、燃焼室が十分に冷却されることで、ノッキングという異常燃焼が起きにくくなるため、点火タイミングをパワーが最も出るように調整することが可能になる。
さらに、水は蒸発すると約1,400倍の体積に膨張するため、ガソリンの燃焼エネルギーとともに、ピストンを押し下げるパワーにもなる。ただし、ボッシュのリリースでは点火タイミングの調整だけをパワーアップできる要因として挙げている。
水の補充は面倒? エンジンへのダメージは?
それにしても、燃焼室に水を入れるなど、乱暴なことのようにも思える。それに、こうしたエンジンではガソリンとともに水も補給する必要があるのだろうか。水によるエンジンへのダメージについては、ボッシュでは水が完全に蒸発し排出されるため、エンジンへのダメージはないとしている。
かつてのレーシングエンジンでは、ウォーター・インジェクションの水がエンジンオイルに混ざるといったことはあったようだ。しかし、こういったエンジンはレースごとにオイルを交換するのが当たり前なので、あまり問題とはならなかったらしい。公道を走るモデルだったら大問題、というべきところだが、じつは少量であれば問題ない。
意外に思うかもしれないが、ウォーター・インジェクションのない普通のガソリンエンジンでも、燃焼室内に水は入る。厳密にいえば、燃焼室内で水が発生する。ガソリンが燃焼すると、ガソリンに含まれている水素と空気中の酸素が結びつき、H2O、つまり水になるからだ。この水は一部がエンジンオイルに混入するため、エンジンオイルはあらかじめ水の混入を前提として開発されている。また、エンジンオイルに水分が混入しても、オイルが高温になれば蒸発してエンジンの外に排出される。
こういったことを考えると、ウォーター・インジェクションによってエンジンがダメージを受けることはなさそうだ。では、水の補給はどうか。これは当然必要で、ボッシュによれば平均3,000kmごとに補給が必要になるそうなので、ガソリンの補給よりずっと頻度は少ない。また、補給を怠り、水がなくなったとしても、燃費やパワーが低下するだけで支障なく走行できる。
ちなみに、補給する水は蒸留水で、専用の液剤が用意されているわけではないようだ。ということは、寒冷地では凍ってしまう心配がある。ボッシュのリリースには、エンジンが停止すると凍ることがあるが、エンジンを始動すれば解けるので問題ない、といった記述がある。具体的にどういうしくみか、いまひとつ分からないが、要するに凍ったらエンジンの熱で溶かすということだろう。
ウォーター・インジェクションは、ヨーロッパのメーカーが得意とする直噴ターボのダウンサイジングエンジンと相性が良い。現在でも直噴ターボエンジンは十分なパワーと燃費性能を実現しているが、ウォーター・インジェクションによってさらに性能が向上すれば、ハイブリッドやスカイアクティブといった日本の環境技術にとって脅威となるだろう。一方、日本メーカーでは、日産が世界初の可変圧縮比エンジンの実用化を発表したばかり。日欧で繰り広げられている環境技術の開発競争は新たなステージに突入したようだ。