三菱自動車に続き、スズキでも発覚した燃費データの不正問題。国土交通省がスズキ本社に立入り調査を行うなど、問題は深刻さを増している。6月8日には、スズキ代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)、鈴木修氏のCEO辞退が発表された。いまや日本で3番目の販売台数(軽自動車と登録車を合計した2015年の実績)を誇る企業として、社会的責任や、消費者の信頼を裏切った点も含め、スズキの罪は決して軽くない。

2014年、新型「アルト」発表会に鈴木修氏も登壇していた

ただ、この問題は意外な面で注目を集め、図らずもスズキという企業のユニークさを再認識させるものにもなった。燃費データが不正に計測されていたスズキのモデルを改めて正しく計測したところ、不正なデータよりも燃費性能が良かったという。つまり、スズキはわざわざ燃費性能が悪化するように不正を働いていたことになるのだ。

このことはツイッターなどのSNSでも話題となり、普段は自動車に興味のない若年層の間でも注目を集めた。また、二輪車の愛好家の間では、スズキは「変わったことばかりするエキセントリックなメーカー」という認識があり、今回のことも「さすがスズキ」という、呆れているとも感心しているともつかない意見が見られた。

もちろん、スズキは燃費性能を悪くするために不正をしたのではない。スズキのテストコースは海沿いにあって強風が吹くため、法で定められた惰行法で測定してもデータがばらついてしまう。そこで、タイヤやトランスミッションなど個別のパーツのデータを積み重ね、いわばシミュレーションによって燃費データを算出していた。そのシミュレーションの「さじ加減」が燃費性能を悪化させるほうに偏っていたということだ。

だからといってスズキの罪が正当化されることはない。テストコースに風の影響があるなら、スズキは別の場所にテストコースを作るなり、防風壁を設置するなりの対策をするべきだった(問題発覚後にテストコースの改修に着手している)。それをしなかった理由は不明だが、やはりコストや手間を惜しんだ部分があるのだろう。

それにしても、不正にまで手を染めてしまうなら、そのさじ加減は自分に甘くしてしまうのが一般的な感覚だ。しかし、スズキはその逆をやっていた。それが社風というわけではないだろうが、スズキが非常に個性的なメーカーであることは事実だ。日本で個性的な自動車メーカーというと、スバルやマツダが筆頭で、スズキはむしろその対極にあると思う人も多いかもしれないが、決してそんなことはない。

2ストエンジンに最後までこだわり続けたスズキ

スズキはもともと織機、つまり織物を織る機械を製造していたが、後に自動車製造に転身した。トヨタ自動車と似た経歴を持っているといっていいだろう。

ただし、自動車生産に乗り出した時期はトヨタよりかなり遅く、軽四輪自動車「スズライト」を発売したのは1955(昭和30)年のことだ。「スズライト」は2ストエンジンを採用したことが大きな特徴となっている。当時のスズキは構造が複雑な4ストエンジンを開発できなかったため、必然的な選択だったが、十分な技術力を獲得してもなお、スズキは2ストエンジンにこだわり続けた。

排気ガス規制が厳しくなり、他メーカーでは2ストエンジンが皆無となっていく中、スズキは4ストエンジンを開発・生産できる技術を手にしても2ストを手放さなかった。きわめて厳しいことで知られる米国のマスキー法や昭和50年排出ガス規制にも、スズキは2ストで適合することに成功している。これはかなり凄い技術だ。

2ストエンジン搭載の軽自動車は、驚くべきことに1990(平成2)年まで販売されていた。その最後のモデルは、軽自動車でありながら本格的なクロスカントリー4WD車である「ジムニー」。このモデルは日本の自動車史の中でも異彩を放つ名車で、ラダーフレームやリジットサスペンションによる悪路走破製の高さは一級品。これは軽自動車として、という意味ではなく、すべての乗用車の中で一級品だ。その実力は海外でも評価され、バリエーションモデルが世界中で販売されている。

もしかすると「まだ売ってるの?」という人もいるかもしれないが、「ジムニー」はラダーフレーム、リジットサスのまま、日本でも販売が継続されている。日本で購入できる国産車でラダーフレームを採用するのは、トヨタのランドクルーザー系と「FJクルーザー」、三菱「パジェロ」、それにスズキ「ジムニー」だけだ。

低価格の「アルト」、性能を突き詰めた「アルトワークス」も個性的

スズキを象徴するモデルとしては、「アルト」にも触れておかなければならない。1979(昭和54)年に発売されたこのモデルは、さまざまな意味で画期的だった。ボンネットバンという軽自動車の新しいジャンルを創出し、コンパクトカーにおける初代「ゴルフ」のように、軽自動車の概念すら変えたモデルといえる。

「アルト」は明確に低価格を目標に開発され、もくろみ通りに大ヒットした。販売価格の目標は45万円で、実際にはわずかに及ばず47万円となったが、インパクトは十分だった。スズキは開発にあたって、あらゆる面から低価格を追求。低コスト化はもちろんだが、まったく別のアプローチとして、自動車業界初の全国統一車両本体価格を実現した。当時、自動車は輸送コストなどの違いから、地区ごとに価格が違うのが当たり前だったが、その慣例を破ったのだ。

この戦略は輸送費のかかる地方在住者にとって福音だったが、それ以上にCMで低価格を強くユーザーに訴求することを可能にした。全国統一価格だからこそ「47万円」と大きな文字で書ける。地域ごとに値段が違っていたら、こういった広告展開はできないのだ。

「アルト」はモデルチェンジを繰り返し、さまざまな派生モデルを生み出してきた。低価格路線では「マイティボーイ」(厳密には派生モデルではないが、「アルト」のプラットフォームを使用している)が、「アルト」の達成できなかった価格45万円を実現させた。インフレが当たり前の時代に、「アルト」より4年も後でこの価格を実現したのは驚異的だ。実用性を度外視したピックアップトラックというコンセプトも唯一無二だろう。

低価格とは逆に、性能を突き詰めたのが、1987年に登場した「アルトワークス」だ。ツインカムエンジンにターボを組み合わせ、64PSを発揮した。64PSといえば軽自動車の自主規制枠いっぱいだが、規制枠に合わせて64PSにしたのではなく、「アルトワークス」が64PSだったから、その後に生まれた自主規制の上限が64PSに設定された。

「アルトワークス」によって火が付いた軽スポーツカーブームは、マツダ「AZ-1」、ホンダ「ビート」、スズキ「カプチーノ」の通称「ABCトリオ」でピークに達する。バブル崩壊もあってブームは収束するが、「アルトワークス」はモデルチェンジしながら2000年まで販売された。今年になって復活を果たしたことは、説明するまでもないだろう。

「自動車メーカーのない国に行けば1位になれる」とインドへ進出

経営戦略の面でも、スズキはユニークだ。海外進出にあたり、欧米ではなくインドを選んだ。このとき、スズキの名物社長(現在は会長)として知られる鈴木修氏は、「自動車メーカーのない国に行けば1位になれる」と述べたという。

その言葉通り、現在、スズキはインドでシェア1位。日本、米国、欧州全体を合計した人口よりさらに多い13億人が暮らし、しかも経済成長が続いているマーケットで1位なのだから、その価値は非常に大きい。

鈴木修氏は個性的な人物で、ことあるごとにスズキを「中小企業」だとしている。自戒を込めた言葉と取れる反面、小回りがきき、常識にとらわれないという自画自賛とも取れる。ただ、今回の燃費データ不正では、「組織がなっていなかった」と会見で述べていることから、中小企業の悪い部分が出てしまったといえるだろう。スズキの個性を失わない形で組織改革ができるか、注目されるところだ。