私のニューヨーク時代の思い出話です。
性悪説
ニューヨークに駐在したばかりの頃、マンハッタンの高層アパートに住んでいましたが、いろいろ物色した結果、ニューヨークから電車で1時間ほどのコネチカット州グリニッジに一戸建てのうちを借りることにして、引越しと相成りました。
私と入れ替わるように日本に帰る上司がいて、これも使えばいい、あれも使えばいいと電気スタンドや扇風機のような軽量の電化製品いろいろと、マンハッタンのオフィスに持ってきてくださいました。
そして、週末引っ越す段になり、オフィスから頂いた電化製品を持って出ようとした時に、事件は起きました。
電化製品を持って、ロビーに下りたところ、黒人のガードマンに取り囲まれ、お前の持っているものは、どこから持ち出したんだと問い詰められました。
いや、これは、知り合いからもらったもので、自分のものだと言っても聞く耳を持たず、そのうちに、ドラマでおなじみの「キュピキュピ」とサイレンを鳴らしたニューヨーク市警のパトカーが到着し、警官二人が大きな銃を腰にぶら下げて現れ、もうその頃には、「ああ、映画でも見てるみたいだな」と達観していました。
警官は、身分証明書をまず私に提示させ、それからガードマンと同じような質問をし、こちらも同じように答え、どうもどうってことのないようなことだとわかったらしく、帰って行きました。
しかし、ガードマンはそれだけでは終わらず、会社の所有物でないものを持ち出すことを宣誓する書類にサインさせられ、やっとお役ご免となりました。
基本的に、性悪説の社会では、こういうことはあたり前なのかも知れませんが、やさしい空気に包まれた日本に比べると、いかにもハードな世界です。
しかし、マンハッタンでは、業種によって、人種、民族の棲み分けがされていて、オフィスのガードマンは黒人、アパートのガードマンは中南米人、デリと呼ばれるコンビニ的なお店や八百屋は韓国人、金融関係はもともとはユダヤ人、外為の仲介業者はイタリア人といった具合で、人種のるつぼのハードな社会の中で、何がしかのよすがに頼って、実は大方の人は生きているのだと感じました。
ペリー提督
私達のチームは、実にニューヨークらしく、”Melting Pot”(人種のるつぼ)で、WASP(※ワスプ)、アイルランド系、ドイツ系、ルーマニア系、ユダヤ系、ベネズエラ系、中国本土系、香港系、台湾系、韓国系のアメリカ人達と日本人で構成されていました。
(※)WASP(ワスプ):ホワイト(W)、アングロ(A)・サクソン(S)、プロテスタント(P)の略で、英国系白人で宗教はプロテスタントという米国の保守本流エリート層を呼びます。
WASPの彼は海軍一家の出で、親戚から、「おまえ、(為替ディーラーなんてわけの分からないものやってて)大丈夫か?」とよく聞かれると言っていました。
彼の曾お爺さんは、ペリー提督とともに日本に来航したそうで、実家には江戸幕府から曾お爺さんに送られた品が家宝としてあるそうでした。
この話を聞いて、とんだところで日本史に触れたもんだと思いました。
また、台湾系のアメリカ人ディーラーは、小さい時、神戸にいたそうで、日本語がペラペラでした。
ところが、日中国交正常化に伴い、日本政府は、台湾人へのビザの発給・更新を認めなくなり、やむなく家族一同、米国に渡ったそうです。
そうした日本の政治に翻弄された人とも、職場を同じくしているかと思うと、複雑な気持ちでした。
こんな話を、マーケットが静かな時、同僚と語り合ったことが、今でも懐かしい思い出です。