連載コラム『芸能界と投資と私』では、芸能活動をしながら、フィスコのリサーチレポーターとして株式やFXの現場の取材レポートも行なっている三井智映子さんが、これまでの人生を振り返りながら、どうして経済や投資に興味を持つようになったかなどについて執筆します。


皆さんこんにちは!フィスコリサーチレポーターの三井智映子です。今日は連載3回目、私の人生に影響を及ぼした事故の話をしたいと思います。

事故に遭ってもがまん強さを発揮、事故がなければ今頃ミュージカル女優かも!?

中学一年生の時に交通事故に遭いました。私はバスが来ていたので飛び出してしまい、相手の車はスピードを出し過ぎていました。事故に遭う瞬間「あ!」と思って一瞬避けた記憶があります。その際夏服の袖がサイドミラーに引っかけられて右脚を複雑骨折しました。避けてなければおそらく死んでいただろうと言われました。普通は痛みに気を失うはずなのですが、がまん強さを発揮してしまった私は脂汗をかきながら匍匐前進で歩道までいき、そこから処置してもらうまで数時間地獄の痛みに耐えました。盛ってないですよ! 本当の話です。病院では右足の踵にボルトで穴を空けられました。そこからそのボルトに重りをつけてベッドから重りを下ろし、足首を伸ばすこと一カ月。地震で重りが揺れた時は痛みに悶絶しました。

それから手術を二回しましたが、痛みは別として、ほかの入院患者さんにも可愛がってもらって楽しい入院ライフでした。また入院中は戦争で脚を失ったおじいさんにお話を伺ったり、小児科に入退院している同年代の子の話を聞いたり、総合病院だったので亡くなった方や遺族を目の当たりにしたり。この時に得た経験は大きかったです。健康に生きているということがどんなに有難いことか忘れてはならないこと。時間を大切に生きること、誰かの役に立つこと。また役に立てるということが幸せだということ…大切なことを学びました。

しかし、それからずっと右足が左足より2センチ以上短くて、足首が90度以上曲がらないという大きな代償もありました…。そのことを認めたくなくて、その後の体育の時間も普通に参加していましたが、やはり今まで通りとは行かず、身体的にコンプレックスを感じることは多かったです。高校の時はダンスをやっていたのですが、痛くなる脚と戦いながらでした。脚がもし普通だったら…と考えたことは何度もありました。もしかしたら今頃しっかりダンスを習ってミュージカル女優の道を邁進していたかもしれませんよ。そう考えるとリサーチレポーターになったのも事故のおかげかも。ポジティブ! 今は整体のおかげで日常生活に差し障りはないですし、足首のことを気付かれたことも殆どありません。ハイヒールも問題なく履けます。なのでご心配なく!

努力できることは最大限努力しなければ! と頑張る毎日

ダンスのほかにも学生時代は絵を描くことが好きでした。読書がインプットだとしたら絵を描くことはアウトプットだったんだと思います。歌うこともそうです。バンドでボーカルをやっていましたが、表現することが好きな高校時代でした。いまだに趣味で絵も歌も続けていますし、大好きです。運動以外にたくさん趣味があることも、表現したいという鬱屈したものがあったのも、事故が寄与しているところがありそうです。負けず嫌いな気性も(笑)。

事故に遭ったから、努力でどうにかならないこともあると気付きましたし、努力できることは最大限努力しなければ! と思っています。現在リサーチレポーターとしてFacebookでマーケット情報の配信をやらせて頂いていますが、(よろしければチェックしてみてくださいね)「業務とはいえ、毎日投稿やコメントの返信をよくやるねー」とお褒め? 頂くこともあります。

人間なので大変だなーと思う時もないわけじゃないんですが、私にできることで、それを喜んで下さる方々がいることがとても嬉しいし、エネルギーになっていて。もっともっと良い情報をもっともっとわかりやすく配信したい! と思っています。ええ、貪欲なのです、私。ちょっとでも空いた時間があれば調べものをしたりFacebookやったりブログ更新したり。時間貧乏性と言われるこの貪欲さは事故の副産物な気がしています。仕事には役に立っていますが、私生活ではたまに引かれます…。

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執筆者プロフィール : フィスコ リサーチレポーター 三井 智映子

共立女子中学校・高校を経て、早稲田大学政治経済学部へ。2001年から芸能活動を開始し、現在テレビ、CM、舞台などに出演。また、いち消費者とアナリストの中間的な存在であるフィスコのリサーチレポーターとしても、株式やFXの現場を取材レポートしています。