前回、ケツァルコアトル神殿から見つかった人骨は生贄のものだという話をした。それを読んだ方々は、古代人たちが私たちとは全く異なる思考の持ち主だと思うかもしれない。でも彼らもやっぱり同じ人間。今回は、ちょっとした親近感を持つような事実を紹介していこうと思う。

まず、住居を見てみよう。テオティワカン遺跡周辺では住居跡が数箇所から出土している。そこには、エリート階層から一般の人々まで幅広い階層が住んでいたという。遺跡公園敷地外の西にある「ヤヤワラ」「ヤクワラ」「テティトラ」と呼ばれる住居跡は、現在一般にも公開されているので、気軽に訪れる事が出来る。

集合住宅内観。約60m×60mもある広い集合住宅で、内部は6畳ほどの部屋が沢山ある。部屋同士はパティオ(中庭)で繋ぐ形がとられている

テオティワカンの最盛期には、こういった集合住宅が約2,000棟あったという。それぞれの集合住宅には、60~100人が住んでいたという事から、前回説明した「テオティワカンの人口がおよそ20万人」というデータにたどり着く。

階段で降りたところがパティオ

住居内にある広めのパティオには、祭壇のようなものが。家でもお祈りをしていたのであろう。信仰心の高さが伺える

階級の違う人々が同じ棟の集合住宅に住むことはないそうで、「住宅ごとに階級が分かれていたと考えられている」とはメキシコ国立自治大学・哲文学部人類学調査研究所・博士課程の嘉幡茂さんのお話。建築材の違いや外壁を覆う漆喰や壁画などの差異、そして都市の中心部にある「死者の大通り」から住居までの距離などを基準に、6つの階級に分けられていたそうな。

集合住宅内の壁面。神官など位が高い人の部屋には、見事な壁画が描かれている。現在でも、当時の色を残したままの壁画を多数見ることができる

前回登場したケツァルコアトル神を描いた壁画

今回は、当時の住居を解説したが、ちょっと驚くことがあった。トイレについてである。様々な説があるのだが、テオティワカンにはすでに水洗トイレが存在していたという説がある。日本でもまだ場所によっては水洗トイレじゃないところがあると言うのに……。しかし、私たちの思い描くトイレとは少し違う。写真のトイレは10畳もあるのではないかという広い部屋の隅っこに、申し訳なさそうに設置されていた。「やっぱり広い部屋の真ん中で用を足すのは落ち着かないのね」なんて、ちょっとした親近感。

住居跡にある謎の穴。「この穴こそが水洗トイレだ! 」という説もある

現在のところ、土壌分析などのデータが不足しているそうで、トイレと断定はできないらしい。でも、これだけ多くの人口を抱えるテオティワカンでトイレがない訳がない。根拠はないけれど、私的には「これはトイレだ! しかも水洗なんだ!! テオティワカン、すごい!!」と勝手に思い込んでいる。

今回は、テオティワカンに住む人々の日常生活をちらりとのぞいてみた。次回は「遺跡と言えばピラミッド!!」ということで、テオティワカン遺跡にドーンと陣取る巨大ピラミッドを紹介していく。