人生相談は新聞や週刊誌ではおなじみの企画で、その世界で頭角を現した人が回答者となることが多いもの。しかし、今のようにネット社会では、一種の鬼門と言えるのではないでしょうか。ちょっと辛口の意見を言おうものなら、傷ついた! と言われてしまう。価値観の多様化やジェンダーフリーが「表向きは正しい」ことになっていますから、うっかりしたことは言えず、炎上しかねない。

  • イラスト:井内愛

なぜ鴻上さんの人生相談は心に刺さるのか

そんな中、AERA.dotで連載中の劇作家・演出家の鴻上尚史さんによる人生相談「ほがらが人生相談」が人気です。鴻上さんと言えば、日本を代表する演劇人ですが、こういう権威ある男性の人生相談というのは、ファンには受けるけれど、それ以外の人には口ポカーンという傾向があるといえるのではないでしょうか。お名前あげませんが、週刊誌に連載されていた人生相談で、某男性作家が相談者に対して、「あんた、○才にもなるのに、そんなこともわからないのかね」と答えていたことがたびたびありました。おそらく、あれをネットで公開したら炎上必至。そこで、今回はなぜ鴻上さんの人生相談は多くの人の心に刺さるのかを考えるために、センセイの「人生ってなんだ」(講談社+α文庫)を読んでみたいと思います。

鴻上センセイの“相談され歴”は長く、人が多数集まる劇団という集団を主催していたことから、トラブルが起きることはしょっちゅうだったそうです。劇団内で恋人を盗った盗られたの三角関係が勃発して、とても芝居なんてできないということもあれば、親が故郷に帰ってこいと言っているからやめますなどのトラブルが頻発するけれど、劇団の主催者としては、公演期間中は無事に舞台の幕を開けなくてはなりません。そのために「観念論ではなく、理想論でもなく、精神論だけでもなく、具体的で実行可能な、だけど小さなアドバイス」をするように心がけたそうです。その“実績”が、人生相談にも活きているといったことなのでしょう。

「受け入れる力」が卓越している鴻上さん

同書をひととおり読んで思ったこと、それは鴻上さんは「受け入れる力」が卓越しているなということでした。30歳を過ぎてから、演劇経験のない女性が舞台のオーディションを受けに来ることがあるそうです。映画やドラマでは、こういう人が奇跡的にいきなり主役に抜擢されてしまうものですが、実際の商業演劇では客を呼べる演技力や知名度のある人が選ばれるもの。どちらも一朝一夕に身につくものではなく、実績のない人に役が来るほど甘い世界ではありません。また、今は売れっ子としてチヤホヤされている女性タレントは、年齢と共に仕事がなくなるから、今のうちに演技の勉強をしておいてねと言うけれども、ほとんどの人が耳を貸さないのだそうです。私のような凡人であれば、こういう人たちに遭遇したら、演劇ナメんなよ! と思ってしまいますが、鴻上さんは「こういう人、いるんだよね」と静かに受け止めている。

どうして、冷静に受け止められるのか。それは、鴻上さんのアドバイスどおりにしたからといって必ず役がつく、女優として開眼することが保証されるほど、単純な世界ではないからだと思うのです。

「奇跡を信じなくなったら、生きていてもつまらない」

鴻上さんは、歌手や俳優志望の若者と飲み会をし、みんなの夢が叶ってまたお酒を飲めるといいなと願いますが、「それは奇跡」とはっきり書いています。その一方で「奇跡を信じなくなったら、生きていてもつまらない」とも書いています。

「奇跡はない」と思いこんでしまうと、夢破れた時に「自分はダメな人間なんだ、それなのに、分不相応なことを望んでしまった」と自分を責めたり、何かに挑戦する他人に対して冷笑的になり、人間関係を作れなくなる可能性があります。けれども、「奇跡はある」と信じすぎると、今度はいつ夢をあきらめるかの引き際がわからなくなって、社会活動を営めなくなり、孤立してしまうおそれがあります。人が孤立せず、健康的に生きていくためには、「奇跡がない」と思いつつも、「だからといって、奇跡は絶対におきないわけではない」という反対の気持をバランスよく持つことが大事なのではないでしょうか。

考えてみると、演劇や映画といったものを冷静に見すぎると「こんなこと、ありえないよね」で終わってしまう。けれど、私たちが常にフィクションを求めるのは、心のどこかで奇跡を待ちわびているからではないでしょうか。鴻上さんは奇跡と現実の橋渡しをするする道先案内人なのかもしれません。