天皇皇后両陛下が国賓としてイギリスを訪問されましたが、ご滞在最終日、オックスフォード大学を訪れた映像をご覧になった方も多いのではないでしょうか。天皇陛下は2年4か月ほどオックスフォード大学・マートンコレッジにご留学され、雅子さまは外交官時代、外務省の研究生としてベーリオールコレッジで国際関係論を学ばれたそうです。両陛下にとって“母校”とも言えるオックスフォード大学ですが、女性皇族として初めて同大学で博士号を取得されたのが、天皇陛下のはとこにあたる彬子女王殿下です。本稿では彬子さまと呼ばせていただきましょう。

  • イラスト:井内愛

彬子女王殿下のオックスフォード留学記が再販されベストセラーに

彬子さまのオックスフォード大学の留学記、「赤と青のガウン」(PHP文庫)が15万部を超えるベストセラーとなったそうです。出版不況の折、とんでもない数字です。早速読んでみたのですが、読み終えたときに、学問の意味について考えさせられたのでした。

天皇陛下だけでなく、彬子さまのお父さま、ヒゲの殿下こと寛仁親王もオックスフォード大学・モードリン・コレッジに留学されたそうで、彬子さまもお父さまから「オックスフォード大学に行け」と事あるごとに命じられていたために、当然のようにインビテーションスチューデントとして、オックスフォード大学に留学することになります。

「生まれて初めて一人で街を歩いたのは、日本ではなくオックスフォードだった」

海外旅行はただただ楽しいものですが、暮らすとなるとストレスが伴います。彬子さまの場合、そもそもフツウの暮らしをしたことがなく、側衛(護衛の人のこと)がずっとついているのが当たり前、家の鍵もしめたことがない、料理を作ったこともない。そんなプリンセスが異国に行くのですから、大変なこともたくさんあったことでしょう。「生まれて初めて一人で街を歩いたのは、日本ではなくオックスフォードだった」と彬子さまは書いていらっしゃいますが、ここから2種類の孤独が感じられたように私は思いました。ひとつめの孤独は、宿命といってしまえばそれまでですが、彬子さまは日本において自由がなく、その自由がないことにすらお気づきでなかったこと、ふたつめは、異国の地で自由を得たけれど、その代わりに一人でがんばらなくてはいけないという意味の孤独です。

時間をかけて書いた文章も、他の学生と同じように容赦なく書き直しを命じられるなど、名門大学だけに勉強は相当ハードだったようですが、彬子さまは地道にコツコツと課題をクリアされます。日本人にとっては、大学で学位を取るというのは就職するためのシード権を獲得するのと似ているように考えられているところがあると言えるのではないでしょうか。給料の高い、有名企業に就職するために有名大学に行っておく。そういう理由で、大学を選ぶ人もいることでしょう。しかし、彬子さまの場合、皇族というお立場で、大学を卒業すれば社会福祉や国際親善などの公務をなさることが期待され、結婚すれば一般人となる。つまり、自分で食い扶持を稼がなくてはいけないわけでないのに、なぜ好き好んで苦労して、勉強をするのかと見る人もいるかもしれません。

学位授与式に参加するために渡英しようとした彬子さまに対し、東日本大震災から二か月しかたっていないこともあって、宮内庁から「いくら学術的な式とはいえ、お祝い事のために皇族が海外に行くのはいかがなものか」と、やんわり「行くな」と言われたそうです。計画停電など、暗い話題が多い時期でしたから、宮内庁も彬子さまがいわれのない批判にさらされることを危惧したのだと思いますが、博士号取得を“道楽”と思っていなければ、こんな言葉は出ないのではないでしょうか。あきらめそうになる彬子さまに「イギリスに行け」と背中を押してくださったのは、お父さまである寛仁親王だそうです。「一世一代、一生に一度の大事な儀式なのだから、出席しないと後悔する。出てくるかもしれない雑音は、自分が文書発表でも記者会見でもして抑えるから、安心していってこい」とお言葉をかけてくださったそうです。

また、インビテーションスチューデントとして渡英する際は、オックスフォード留学の先輩である皇太子さま(当時)と雅子さまが彬子さまを東宮御所にお茶にお招きになったそうです。彬子さまがおひとりで東宮御所に伺うのは初めてだったそうで、ご夫妻が「わざわざ」彬子さまをお招きになったことがうかがえます。皇太子さまはご自身の経験を披露され、「必ずいい経験になるから楽しんでいらっしゃい」と励ましてくださったそうです。

学問は、皇族にとって唯一許された自由と平等?

皇太子さま、そして寛仁親王はなぜにここまで、留学を推すのか。それは、学問と言うのは皇族方に唯一許された自由と平等だからのような気がするのです。学問の世界では、皇族方も一般人も同じルールが適用されます。彬子さまは博士論文に挑戦するうちに、求められていることが「論理的に物事を考える、それを証明する」ことにお気づきになります。そして、皇族という難しいお立場にあるからこそ、「論理的に考えられる」ことが、ご自分の人生を豊かにすることを寛仁親王も天皇陛下もご存じだったからではないでしょうか。

美智子さま、雅子さま、紀子さまと民間からお輿入れされた妃殿下たちが、それぞれ苦労されたことはみなさんご存じだと思いますが、私は内親王や女王という、生まれながらの女性皇族も生きづらいのではないかと勝手に推測してしまいます。公務優先のため、職業選択の自由はなく、 これまで公務をしていたのに、結婚したらそのキャリアをもぎ取られて、一般人とならなければならない。それでは、一般人となるから自由に結婚してもいいのかというとそんなことはなく、結婚相手は非の打ちどころのない人でなければ、やいやい言われてしまう。本当に難しいお立場だと思います。

制限がありすぎる中で、救いとなる、もしくは自分を導けるのが知性であり、具体的に言うと「論理的に考えること」なのではないかと思うのです。彬子さまは京都にある立命館大学 衣笠総合研究機構のポストドクトラルフェローの公募採用に挑戦されたり、ご自身のお立場を活かして、子ども達が日本文化を体験するためのワークショップを開催する団体、心游舎の総裁になられるなど、ご自身のキャリアや皇族としてのお立場から、前例にとらわれることなく、ご自身の人生をご自分で判断されて、作り上げているようにお見受けします。

彬子さまは同書において、皇族と言うお立場から、人に距離をおかれることがあるとお書きになっています。庶民の立場から言えば皇族方を敬ってのことでしょうが、ご本人にとっては物足りなく感じるのかもしれません。しかし、文筆の世界では、皇族であろうがなかろうが、面白ければ読者はついてきますし、逆であればそっぽを向かれてしまいます。どうか、今後も文筆という世界でたくさんの垣根を越えて、我々を知性の旅にいざなってほしいものです。