大阪・岸和田の洋装店に生まれた三姉妹全員が、日本を代表するデザイナーとなり、世界で活躍する……。事実は小説より奇なりと申しますが、それを地でいくのが、コシノ三姉妹ではないでしょうか。長女・ヒロコ、次女・ジュンコ、三女・ミチコ。宝くじに三回連続であたるような幸運さとも言えるかもしれませんが、三姉妹のお母さん、小篠綾子さんの生き方を見ていると、これは“母譲り”なのだと思わされるのです。
朝ドラ「カーネーション」のモデル、小篠綾子さんの波乱万丈人生
綾子さんによる「コシノ洋装店ものがたり」(講談社+α文庫)によると、綾子さんの実家は呉服屋さん。男の子が生まれない家だったことから、綾子さんは店の跡取りとなるべく、厳しく育てられたそうです。しかし、綾子さんはミシンに出会ってしまうのです。これからは洋装の時代だと確信した綾子さんは女学校をやめてまでミシン修行を始めますが、洋装というのは、呉服屋の敵のようなもの。また、女性は「父親や夫の言うことを聞くもの」という時代ですから、同僚やお父さんからいろいろ妨害も受けますが、綾子さんが折れることはありませんでした。
実家の呉服屋さんが傾いたこともあって、綾子さんは洋装店の店主として独り立ちをまかされますが、商売を軌道に乗せる、注文を取るというのはそう簡単なことではありません。最初は、低賃金で納期もきつい、誰もやりたがらない仕事も引き受けるしかない。自分がこうと決めたことはやりぬく強さと、着眼点の良さ(たとえば、看護師さんは洋服のほうが動きやすいはずなのに着物を着ていたことから、制服をデザインして売り込みに行くなど)で、顧客を獲得していきます。
娘・コシノジュンコが語った母のセンスとアイディア
母・綾子さんのセンスについて、コシノジュンコは「人生、これからや!」(PHP研究所)内でこんな話をしています。着物というのは冬は寒いので、羽織りものがいる。そこで綾子さんが思いついたのが、ウールのコート。これは呉服屋さんでは売っていないので、飛ぶように売れたそうです。アイデアだけでなく、技術力も相当なものだったようです。当時の洋服は、客が布を持ち込み、店が客の寸法をはかってデザインを決めていく方式でしたが、綾子さんは客を一目見ただけで寸法がわかったそう。また、型紙をおこさずに、布を一気に切っていったので、出来上がりも早い。今でこそ、この方法は立体裁断と呼ばれていますが、当時はそんな方法はなく、綾子さんは独学でその方法を生みだしたのでしょう。
余談ですが、世界的デザイナー・ 森英恵センセイがパリに進出した時、東洋人ということもあって、雇われていた白人たちの間には冷たい視線を送る人もいたそうです。しかし、英恵センセイが高級カシミアの生地を綾子さんと同じく、線もひかずに裁断したことで、その技術力に白人たちも驚き、空気が変わったという逸話が「グッドバイ・バタフライ」(文藝春秋)に収められています。
夫の浮気と戦死。大黒柱になり、妻子ある男性と最初で最後の恋
綾子さんは仕事にいそしんで家族を養い、養子に来てもいいといってくれた青年と結婚します。新婚旅行も行かずに深夜まで仕事をする綾子さんは男性なら「いい夫」とほめられるのでしょうが、綾子さんの夫は、芸者と浮気をしていました。しかも、その芸者を紹介したのはなんと綾子さんの父親。「夫をほったらかしにしたおまえが悪いんや」だそうです。もう意味わからん。夫に対する気持ちが急速に冷める中、夫は出征します。派遣先は南方で、激戦地だけに二度と帰ってこないだろうと綾子さんは予感していたそうです。
戦争が終わり、お父さんと夫を亡くした綾子さんは名実ともに大黒柱となります。妹さんたちのお嫁入りの準備をし、男性と肩を並べて仕事をし「仕事が欲しいなら、見返りを寄越せ」と迫られたりもしたそうですが、それにも負けず、綾子さんはがむしゃらに働いていく。そんな中、ある男性に愛を告白され、めでたしめでたしと言いたいところですが、そうはいかなかった。男性には妻子がいたのです。しかも、男性は綾子さんのために家を出たそう。周囲からは非難轟々だったそうですが、綾子さんは最初で最後の恋をあきらめることはしなかった。二人は家を借りて、一緒に暮らし始めます。
しかし、恋というのはいつか終わるもの。男性にたいしていつしか不信感を感じるようになり、二人は同居を解消します。男性は事故に会い、運ばれた病院で大きな病気がみつかりますが、もはや手の施しようがなく、亡くなってしまいます。綾子さんはお見舞いにもお葬式にもいかなかったそうです。
綾子さんはいつもバイタリティにあふれていて、過去や社会的栄光にすがらず、前へ前へと進んでいくタイプだったそうです。けれど、この恋愛に関しては書いていないことがいっぱいあったのではないかと思います。相手の嫌な面が見えて恋が終わるのは当たり前のことですが、むこうの妻子を苦しませた人が、それを軽々しく口にするのははばかられることでしょう。綾子さんは先方の家族への罪悪感から、男性にお金を大分渡していたそうですし、別れの原因として男性の嘘と金銭トラブルをあげています。嘘と金銭トラブルがあったから嫌いになったのか、それとも嫌いだから、嘘と金銭トラブルが許せなくなったのか、実はこのあたりの区別は難しいのではないでしょうか。
「受くるより、与うるが幸いなり」を地でいった綾子さん
「人生、これらから!」によると、コシノ三姉妹は洗礼を受けたクリスチャンなのだそう。お母さんには内緒にしていたそうですが、ひょんなことから教会に足を踏み入れた綾子さんは涙を流し、70代で洗礼をうける決心をしたそう。クリスチャンとなった綾子さんが好きだった言葉が「受くるより、与うるが幸いなり」だったそうです。
「受くるより、与うるが幸いなり」を地でいっていた綾子さんは、時に誰かに金銭的な面倒をかけられることも多かったそう。こういう経験をしたら、「もう他人にしてあげるのはよそう」と思う人もいると思いますが、綾子さんはその姿勢を変えなかったといいます。なぜかというと、まず、綾子さんに金銭的な余裕があったことと、さみしくなかったからだと思うのです。
人に何かしてあげる人が「いい人」なのは間違いないのですが、やりすぎると時にトラブルになります。心理学では、人の世話をやきたがったり、物をあげすぎる人は“交換性”を求めていると言われています。具体的に言うと「私がやってあげるかわりに、あなたもやってね」と思っているそうです。つまり、やってあげる人はさみしい人。さみしいというのは、社会的条件で決まるわけではなく、お金持ちでもさみしい人はいるし、お金を持っていなくてもさみしくない人はいる。あくまでもその人の問題です。
さみしさというのは悪いものとされていますが、私はそうは思いません。寂しさはモチベーションにもなりえるからです。けれど、度が過ぎると、やはり問題。綾子さんは生まれつきパワフルですが、だからといってさみしさが何もなかったとは思いません。困った人に気付くことができるのも、さみしさを知る人だからではないでしょうか。パワフルとさみしさがちょうどいい具合にブレンドされていた人、それが綾子さんのなのではないかと思うのでした。