「あの人は殺しても死なない人だ」なんていうことがありますが、もちろんこれは比喩表現です。それくらい強心臓かつ強いキャラクターを持っていると意味ですが、世の中には本当に殺されてかけて、かつ命を落とさない人もいるのです。

  • イラスト:井内愛

その人の名は、オノ・ヨーコ。ビートルズのボーカル、ジョン・レノンの妻だった女性です。ごぞんじのとおり、ジョン・レノンは1980年にニューヨークの自宅前でファンの男性に銃で撃たれて亡くなっています。「オノ・ヨーコ 今あなたに知ってもらいたいこと」(幻冬舎)で、ヨーコはこの暗殺を下記のように振り返っています。


あの日、ジョンが撃たれたすぐあと、こちらに向けて弾が飛んでくるのが見えました。本当に一瞬のことでしたが、弾が向かってくるのを見たんです。横にずれていたから、私には当たりませんでした。狙った人は、まず初めにジョン・レノンを、そしてその次にヨーコをやろうという考えだったのでしょう。


世界一有名なミュージシャンとの結婚、そして暗殺とドラマや映画のような人生のオノ・ヨーコとはどんな人生を歩んできたのか。オノ・ヨーコ自身による「ただの私(あたし)」(講談社文庫)をもとにご紹介したいと思います。

超簡単にふり返る、オノ・ヨーコの半生

母方の親戚に安田財閥の祖、安田善次郎、父は日本興業銀行総裁。ヨーコの家系図をたどっていくと、彼女が貴族と大商人の血を引く超お嬢様であることがわかります。世が世なら、お妃候補になってもおかしくないようなお家柄ですが、父親の仕事の都合で渡米したことが彼女の運命を変えます。ニューヨークで前衛芸術家としての活動をはじめて評価され、アメリカで知り合った作曲家、一柳慧氏と結婚します。

芸術家として期待された二人でしたが、前出「ただの私(あたし)」によると、日本に帰国した際、評論家たちは夫の才能は絶賛するのに、ヨーコに対してはひどく批判的だったそうです。評論家たちに招かれたパーティーに夫婦で行くと、夫はほめられるが、自分は冷遇される。気を使ったヨーコは夫と行動を共にしなくなり、精神的においつめられていきます。マンションの11階からとびおりるような行動を繰り返すようになったヨーコは、精神科の病院に入院することになります。その病院を訪ねてきたのが、トニーという青年。ニューヨーク時代のヨーコのファンで、ヨーコに会うために持ち物を叩き売って、日本までおいかけてきたのです。結局、二人は男女の関係になり、一柳氏とは離婚することになります。

2度目の結婚中にジョン・レノンと運命の出会い

‘60年代に女性の不倫がもとで離婚するというのは、この時代には大変珍しく、世間サマから白眼視されたはず。しかし、「ただの私(あたし)」にはその苦悩の色が全くありません。「成り行きでトニーと結ばれた」「(元夫と)最後に別れるときは、涙が出てきて仕方がなかった。気持ちはわかれたくないのに、別れざるを得ないところまで来ちゃったという複雑な気持ちだった」と、深い意味なく不倫をし、離婚をするようになったことを伺わせます。

こうしてトニーと結婚し、お子さんが生まれますが、日本にいることに閉塞感を感じたヨーコはニューヨークに渡り、そこからロンドンへと向かいます。お子さんのことはかわいいし、夫は子育てを受けおい、ヨーコも前衛芸術家として活動していましたが、「結婚生活はさみしくてたまらなかった」と書いています。そんな時、ロンドンの個展で、ヨーコはジョン・レノンと出会います。夫とお子さんをバカンスで南フランスに送り出した際、ヨーコはジョンと再会し、結ばれます。この時のことをヨーコはこう書いています。 「その日、ジョンと私はできてしまった。お互いに家庭を持っている身だから、この時から色々とわずらわしいことが続いた」

こうやって見ていくと、ヨーコは自身の不倫をきっかけに2回離婚しており、つまり、夫や子どもを傷つけている立場と言えるわけですが、そこに対する罪悪感があまりないようなのです。たとえば、夫に暴力を振るわれたとか、お金を家庭に入れてくれなかったというように、夫の非をあげつらうか、神様に選ばれた特別な出会いであるから不倫でも仕方なかったという言い訳をしない。それは彼女がすごく強いからだと思うのです。オトコとオンナはいつまでも同じではいられない。そんな諦念のようなものを持っているのではないでしょうか。

18カ月の別居期間中に、自分の秘書を愛人としてジョンにあてがった

しかし、ある部分においては、非常に歯切れが悪いのです。ジョンとヨーコは18カ月もの間、別居生活を送っているのですが、「ただの私(あたし)」には、はっきりした理由が書かれていないのです。別居後に二人の関係はもどり、お子さんも生まれていますから、別居は二人にとって決して悪いことではなかった。それなのに、どうしてヨーコがそのあたりに触れないかと漠然と思っていたところ、映画「ジョン・レノン 失われた週末」が公開となり、ヨーコの秘書だったメイ・パンが別居中にヨーコに頼まれ、ジョンと交際していたことがわかりました。

この話で思い出したのが、円地文子先生の「女坂」(新潮文庫)です。高級官吏の夫のために、夫の理想どおりの愛人を妻自ら探すお話です。なぜそんなことをするのかというと、夫は女グセが悪く、お手伝いさんや長男の嫁にまで手を出してしまうから。それなら「ちゃんとした愛人」をあてがうことで、家名と家の者を守ろうとしたのでしょう。また妻が指名した愛人であれば、愛人は妻に恩義があるために、言うことを聞かざるをえないという利点もあるはずです。

映画のなかで、メイ・パンは「ヨーコの考えていることは理解不能」と言っていました。確かに自分の夫と不倫してくれという妻を理解するのは難しい。けれど、私にはヨーコがメイ・パンを愛人に指名した理由がわかる気がしたのです。この頃のジョンはアルコールと薬物におぼれ、浮気もひどかったと言います。とても、20代のメイ・パンの手に負える相手ではないのです。けれど、メイ・パンにはヨーコにはない若さという魅力がありましたし、自分の秘書でもありますから、自分が自由に動かせるいいコマでもあったと思うのです。メイ・パンは終始自分こそ愛された、いいパートナーだったと強調していましたが、彼女はカンフル剤に過ぎず、ヨーコの書いたシナリオを実行したにすぎないと思うのです。

ヨーコの名言「最後のところで、私は生きちゃう」

「ただの私(あたし)」によると、ヨーコは男性と暮らす時、自分はまな板の上の鯉であるとイメージするそうです。水から上がった状態の魚ですから、息が苦しい。だから、いっそのこと、男性に包丁で早く殺してほしいのに、男性たちは自分を殺してくれない。「最後のところで、私は生きちゃう」「社会も男性も私を殺しきれない」と書いています。おそらく、殺しきれないのではなく、ヨーコが強すぎて「死なない」のだと思います。

ジョンのお母さんは、ジョンを育てることができず、自分の姉、つまりジョンから見て伯母さんに育てられたといいます。伯母さんはとても愛情深くジョンを育てたようですが、ジョンは生みの母に対する思いを断ち切ることはできませんでした。その母は、車にはねられてあっけなく亡くなってしまいます。後年、ジョンは原初療法を受け、その上で「Mother(マザー)」という曲を発表していますから、お母さんに対する思慕の念にずっと縛られていたのでしょう。

ジョンがヨーコにひかれた理由はいろいろあるのでしょうが、母を早くに亡くしたジョンが、母のように強く、母とは反対に「死なないオンナ」を求めていたからなのかもしれません。