男女平等とか、ジェンダーフリーなんて言っても、世の中の根っこのところは全然変わっていないんじゃないか。MLBのロサンゼルス・ドジャーズ所属の大谷翔平選手の結婚のニュースを見るたびに、そんなことを思ったりします。真美子夫人はタレントや女子アナなどの“出役”ではなかったため安堵する声があったり、夫人の持ち物がハイブランドでないことに好感が持てるとか、料理の腕前がどうのこうのという記事も目にしました。これって結局、大谷選手のようなスーパーヒーローの妻は控えめで(芸能界やテレビの世界で働くようなでしゃばりではない)、大金持ちなのに金遣いがあらくなく、料理上手で夫の体調管理に徹しろと言っているのと同じではないでしょうか。
超簡単にふり返る、野球人・野村克也と沙知代の出会い
もう昭和ではないといいながら、本音の部分ではど昭和。そんなときに思い出されるのが、プロ野球選手の野村克也さんなのです。戦後初の三冠王に輝き、引退後は多くの球団で指揮を執った名将として知られています。さぞ華やかな野球人生を歩んできたと想像しますが、なんとテスト生による入団で、そもそも野球選手になりたいと熱望していたのではなく、運動神経が抜群だったために、一獲千金を狙っての挑戦だったそうです。野村家は母子家庭で、家計を助けるために、野村さん自身も子どもの頃からいろいろなアルバイトをしていたそうです。苦労するお母さんを助けたいという気持からのプロ入りでした。
そこからも、とんとん拍子にいったわけではなく、解雇されそうになることもありますが、本人の粘り強さを、指導者の引き立てにより、捕手で四番へと成長します。野球のスコアは、当時は打者のためのもので、野村さんも研究に研究を重ねましたが、ある時、それがキャッチャーとしてのリードに使えることに気付きます。地道な努力から、新しいものを生み出すというのは、野村さんの真骨頂かもしれません。
年俸も増えて親孝行もできたことでしょうし、料理上手で控えめな社長令嬢である女性と結婚し、お子さんも生まれ……と順風満帆でしたが、ここである事件が起きます。35歳のときに、野村さんは二度目の妻となる沙知代さんと出会ってしまうのです。二人とも家庭があったので(沙知代さんの夫と二人のお子さんは、アメリカにいました)、不倫でした。お互い家庭があまりうまくいっていなかったこともあり、二人は同棲を始めますが、マンションに泥棒が入ったことで、二人の関係が明るみになります。こういう時、フツウの女性なら静かにしておこうと思うものでしょう。しかし、沙知代さんは外堀を埋めるかのように、野村さんの妻のようにふるまい、野村さんが監督をしていたチームの人事にも口を出していきます。
野村監督の名言「仕事はいくらでもありますが、沙知代という女性は、世界に一人だけしかいません」
野球で結果を出せば、プライベートはどうでもいいと不倫は黙認されてきましたが、チームの士気に影響が出るとなっては見逃すわけにはいきません。「野球を取るか、オンナを取るか」と球団首脳に迫られた野村さんは「仕事はいくらでもありますが、沙知代という女性は、世界に一人だけしかいません」と答えたのだそう。オトコは仕事、不倫は稼ぐオトコの甲斐性で、遊びという考え方の強かった昭和において、これは大事件と言えるでしょう。たんかを切って球団をやめたものの、もう野球はできないのではないかと不安がる野村さんに、沙知代さんは「なんとかなるわよ」と励まし、え、よく考えるとあなたのせいなんですけどと言いたいところですが、野村さんは心強さを感じたそうです。二人は東京にやってきますが、ロッテの監督に迎えられ、野村さんは名将として頭角を現していきます。
そして、夫の名声が高まるにつれて、沙知代夫人にも注目が集まっていきます。夫や子どもの出世はオンナ次第、オンナはオトコの所有物という考えの強い日本において、野村さんが選んだのだから、沙知代さんはすごい女性なのではないか、ああ見えて良妻なのではないかと思われるようになったのです。沙知代さんの経歴が、アメリカの名門、コロンビア大学心理学部卒ということも、海外ブランドに弱い日本人には効果的で、テレビから引っ張りだこの存在となります。
沙知代さんは少年野球チームのオーナーでもありましたが、選手のお弁当をチェックし、冷凍食品が入っていると、母親をどなりつける指導をしているのをワイドショーで見たことがあります。母親がちゃんと料理をしていれば、家庭はうまくいく、自分が証明だと話していて、保守層ウケもよかったのでしょう。
沙知代さんが原因で2度、監督の座を失った野村克也さんは、それでも……
しかし、1996年の衆院選挙に立候補した際に、コロンビア大学を卒業していない、つまり経歴詐称が明らかになります。沙知代さんは野村さんに自分は社長の娘で、コロンビア大学に留学したことから英語が話せるようになったと経歴を説明していたそうですが、晩年「それはすべて嘘」と告白したそうです。上述した料理も、上手ではあったけれど、お手伝いさんまかせであったと野村さんが明かしています。これを機に、実子による暴露本が並び、沙知代さんの知られたくなかったであろう過去がさらされます。おまけに沙知代さんが脱税で逮捕されると、野村さんは阪神の監督を辞任。野村さんは妻のやらかしによって、二回、監督の座を失っています。
けれど、野村さんの沙知代さんへの信頼は揺るぎませんでした。それは、野村さんがキャッチャーというポジションだったからではないでしょうか。ゲームを組み立てるキャッチャーは悲観的なくらい、慎重な精神が必要とされるでしょう。しかし、考えすぎもまた、失敗の素になってしまう。沙知代さんの底知れぬパワーに救われていたのだと思います。
野村さんは沙知代さんに惹かれた理由を、英語がペラペラでバリバリ仕事をしていること、人気のプロ野球選手の自分のことを知らず、臆せず話してきたこと、脚がきれいで、お母さんに面差しが似ていることを挙げていました。沙知代さんの生活力、度胸、ルックスに惹かれたということでしょう。料理をしなくても、嘘つきでも、野村さんにとって、沙知代さんは理想の女性で、かけがえのない妻であったわけです。その人にとって、“いい妻”とはどんな女性かを他人が決めることなんて、できっこない。そんな当たり前のことを思ったりします。