お正月の風物詩、箱根駅伝。テレビを見る人が少なくなったと言われて久しいですが、今も30%近い高視聴率を誇る人気のイベントです。お世辞にも強いとは言えない青山学院大学の陸上部を、監督就任わずか5年で箱根駅伝出場権獲得、11年後に同校を優勝に導いたのが、原晋監督です。テレビにもよく出ているので、ご覧になった方も多いことでしょう。正直なところ、この人調子にのっているなと思って見ていたのですが、『「挫折」というチカラ 人は折れたら折れただけ強くなる』(マガジンハウス)を読んだところ印象が変わったので、今日はご紹介したいと思います。

  • イラスト:井内愛

ケガで終えた選手生活。‟伝説の営業”マンになるも、青学から監督の声がかかり……

原監督は元陸上選手。駅伝の名門高校から大学に進学。全日本インカレ5,000メートルで三位入賞を果たします。その業績を買われて、中国電力の陸上部にリクルートされます。しかし、ケガに悩み、陸上を続けられなくなります。陸上の業績を買われて入社した人が走れないわけですから、本人も悩んだそうですし、周囲の目も冷たかったといいます。しかし、原監督はこの挫折を無駄にしなかった。営業マンとして努力を重ね、同社トップの成績を叩きだすのです。あきらめることなく、自分の居場所を切り開いていった監督に、箱根駅伝に関しては当時全くの無名校だった青山学院大学から監督の声がかかります。安定した企業のサラリーマンの地位を捨てようとしているわけですから、奥さまは反対されたそうですが、粘り強く説得を重ね、上京。今では東京都近郊に寮を作り、監督夫妻と学生で暮らしているそうです。

老若男女が見るテレビでは、「わかりやすいこと」が大切です。原監督の場合「ほめること」がクローズアップされています。しかし、原監督は同書の中でほめることよりも「挫折が大事」と繰り返し書いています。今時、若者に失敗させろと言う指導者は非常に珍しいのではないでしょうか。

自分で失敗し、その失敗ととことん向き合う、負けを認めることが次につながる

原監督によると、自分で失敗し、その失敗ととことん向き合う、負けを認めることが次につながることになるとしているのです。また、スポーツというのは過酷な世界で、結果を出さない人は淘汰されてしまいます。どんなに努力しても、割合でいけば、箱根駅伝には出られない人のほうが多い。けれど、自分はこれだけやりきったと言い切れる人の挫折は、次の場所に行っても自分を支えてくれると。

脳科学によると、脳は納得できないこと、理解できないことには夢中になれないことがわかっているそうです。「監督が怖いから練習する」というのは最悪で、そんなことでは本番でいい結果を出せない。原監督が挫折を歓迎するのは、それが自分はどうしたいのかを考えるきっかけとなるからでしょう。

私は「挫折できる人」にも才能を感じるのです。努力ができるから大きなレースに出ることができるのでしょうし、そのレースで失敗しても「あの時は体調が悪かった、天候が悪かった、他の出場者のレベルが高かった」と言い訳して、挫折を認めないことだってできるはず。自分は失敗した、挫折したんだと言える人は、努力する才能と成功体験と「自分はだめだった」と認めることができる客観性の三つが備わっている証拠と言えるのではないでしょうか。

打たれ弱い今の若者を挫折させたら、再起不能になってしまうのではないかと思われる方もいることでしょう。もちろん、原監督がそのあたりも織り込み済みで、箱根駅伝から逆算して、この時点でこれが達成できるようにと練習スケジュールを組み立てて、小さい目標を最初から選手に与えて、その選手の状況に応じた声かけをしているそうです。そして、その目標が達成できないときも、「だめじゃないか!」と叱責することはなく、「それで、おまえはどうしたい?」と本人の意志を聞き、押し付けるのではなく、そこから解決策を与えていくのだそう。

原監督が説く「自分で考えられる人に」の真意

同書内で、原監督は繰り返し「自分で考えられる人に」と書いています(余談ですが、これは女子選手を育てる名伯楽と呼ばれた 小出義雄監督も同じことをおっしゃっていました)。なぜなら、駅伝というのは、常に異なる環境下で走らなければならないというレースだからだそうです。天候はもちろん、比較的長い距離、どのポジション(先頭なのかペケなのか)もその時になってみないとわからない。そういう不確かなレースでは、自分だけが頼り。今年のお正月に走った選手は、時計すら見につけていなかったそうですが、これは時計に頼らなくても、自分はどのくらいで走っているというカンを日ごろの練習で身に着けているからと説明していました。

面白いもので、駅伝というのはタイムの悪い人は論外だけれども、タイムの良い人を集めてチームにしても、勝てるとは限らないのだそうです。それは、駅伝が団体競技だから。チームのために走る、チームが勝つことを理解していないと、勝てない。なので、原監督は選手たちに“裏切り”を禁止しているそうです。チームにとって裏切りが良くないことは言うまでもありませんが、原監督のすごいところは「裏切るなよ」で終わらず、「なぜ裏切るのか」まで掘り下げるところ。監督の分析によると、裏切りが起きるのは、心理的安全がないから。その場所にいても落ち着かない、つまらない。だから仲間を裏切るようなことをしてしまうと分析し、運動部にありがちな先輩と後輩の上下関係を禁止しています。

同書を読むと、原監督のきめ細やかさに気づかされます。もちろん監督ですから、言わなくてはいけないことは言うけれど、その後にフォローがある。そのうちの一つが「ほめること」であって、それは監督のすべてではない。テレビでのイメージと違って、案外繊細な人ではないかという印象を受けました。

その繊細さは、失礼ながら、原監督が超一流選手ではなかったからではないかと思うのです。「名選手、名監督にあらず」と巷間で言われます。名選手に苦労がないとは言いませんが、自分がトップですから、その空間では居心地がいい。けれど、中堅どころは成績に伸び悩んだり、上の選手の横暴や下の選手が不満を貯めていることに気付きやすい。怠けたくなることもあるでしょうし、青春を競技に捧げることがバカバカしくなることもあったかもしれません。そう考えてみると、原監督が独自のメソッドを編み出し、学生をうまくほめることができたのは、彼がさみしさを知る人だったから。学生をほめることは、過去の自分への声かけなのかもしれません。