レジェンドたちの生き方をたどっていくと、人生を変える“出会い”があるのだと気づかされます。前回テーマにした五社英雄監督にとっては、それが作家・宮尾登美子さんでした。
当時の五社監督のプライベートは絶不調でした。ずっと自分に尽くしてくれた妻がホストクラブにはまり、おそらく騙されたのだと思いますが、苦労して建てた自宅などを抵当に入れて数億円の借金を作り、失踪してしまいます。最愛のひとり娘は交通事故にあい、一時は危篤状態にまで陥ります。監督本人も拳銃を所持していたことを警察に密告され、逮捕。罰金刑ですみましたが、当時の勤務先、フジテレビを退職することになってしまったのでした。
父が愛人に産ませた子、宮尾センセイは本妻に大切に育てられた
そんなときに五社監督が出会ったのが、作家・宮尾登美子さんの「櫂」(中公文庫)。大正から昭和初期の間のお話です。主人公の喜和は岩伍と結婚しますが、夫がはじめたのが芸妓紹介業。貧しい家の娘と芸者や女郎の置き屋を取り持つ仕事です。置屋では学校にも行かせてもらえて、ご飯もお腹いっぱい食べられる。お稽古に励んで芸者になり、いい旦那がつけば生活は安泰というのが岩伍の考えで、当時の時代背景から考えると間違った考えとは言えません。しかし、喜和は女性を苦界に陥れ、その利益で自分がご飯を食べることに納得がいかない部分がある。当然、二人の夫婦仲はあまりしっくりいきません。
しかし、岩伍の商売は順調に成長し、甲斐性を身に着けた岩伍はもう一つの甲斐性、つまり女遊びを始めるのでした。大阪からやってきた娘義太夫の公演を取り仕切った岩伍は、その女性に子どもを生ませます。その子こそが宮尾センセイなのです。当時は愛人の生んだ子を、本妻が育てるのは珍しくなかったそうで、喜和が生まれた子どもを育てることになります。当初は反発を覚えた喜和ですが、思いのほか赤ん坊がかわいく、わが子同然、いやわが子以上にかわいがることになります。利発で成績優秀だった宮尾センセイは母の愛を受けてすくすくと成長しますが、絶対大丈夫と言われていた名門女学校の受験を失敗し、級友に「成績は申し分ないが、家の商売が影響した」と聞かされたことから、宮尾センセイも父親に対して反発を覚えるようになるのです。岩伍が新たに愛人を作ったことから、喜和は離婚を決意。家父長制の強い時代でしたから、お父さんがいないことで不利益を受けないようにと、喜和は宮尾センセイも手放すことを決心するのです。一人になってうどん屋を切り盛りし、人生という海原を自分の意志という櫂で漕ぎ出すというお話です。
「修羅場を見た人間でないと出来ない」と、五社監督に映画化のOKを出した宮尾センセイ
五社監督はこの作品にほれ込んで映画化したいと思いますが、その一方で家庭内の話がメインとなるため、映像的に“映え”る作品にならないことも承知していました。そこで、まず先に手掛けたのがヤクザの抗争、男と女の愛憎、サスペンス要素のある「鬼龍院花子の生涯」(文春文庫)です。この映画が大ヒットしたことで、五社監督健在と存在感を示すことができましたし、作品の知名度が上がって、宮尾センセイも国民的作家への道を歩き始めたのです。お二人の表現者にとって、幸運な出会いがなされたと言っていいでしょう。
しかし、「宮尾登美子対談集 小さな花にも蝶」(中公文庫)によると、東映は五社監督で映画化したいと宮尾センセイに許可を求めていたそうですが、宮尾センセイの周辺は、これまで男性を撮ってきた五社監督に女性は描けないから断ったほうがいいとアドバイスしてきたのだそうです。しかし、宮尾センセイはもともと五社監督の作る映画を面白いと思っていたこともあり、すぐにOKを出したそうです。五社監督はそのあたりを意気に感じていたといいます。なぜ実績のない五社監督でいいとセンセイは思われたのか。宮尾先生は監督のお嬢さんの事故や拳銃不法所持のこともよくご存じで、「テレビ映画撮る人ならば、普通のサラリーマンでも大丈夫かもしれない。でも、映画撮る人は修羅場を見た人間でないと出来ないんじゃないかという気が前からありましてね。五社さんがつらい経験を経てこられたということで、ものすごく期待するものがあったんです。それで、私の勘というのは、間違ってなかった。五社さん、いまとってもプラスになっていると思いません?」とその理由を説明しています。
宮尾登美子の名言「いままで自分が苦労したことは、自分の財産だったと思っていますからね」
宮尾センセイ自身も修羅場を見た人で、結婚して満州に渡りますが、終戦後、ひどい略奪に遭い、命からがら日本に帰国します。夫の実家である農村で慣れない農業をはじめますが、結核になってしまい、何もせずに寝ているだけの生活が始まります。ここで書きはじめた日記が、センセイの初めての作品となるわけですが、「櫂」で注目を集めたのは、なんと40代後半でした。意外なお話かもしれませんが、「櫂」を書くまで、先生はご実家の商売については隠したくてたまらない気持ちがあり、そこには全く触れなかったそうなのです。しかし、文芸もビジネス。売れなければ話になりません。人のしていない経験と言うのは、ライバルがいないわけですから、生き残るためには非常に有利とも言えるわけです。数字を持っていないとひどい扱いを受けるのは人気商売の常ですが、宮尾センセイもいろいろ人について思うところはあったようです。しかし、後に「いままで自分が苦労したことは、自分の財産だったと思っていますからね」と苦労と成功がイコールであるようなお言葉も残しています。
よく「ピンチはチャンス」とか「長所は短所、短所は長所」と言いますが、人生を短所と長所のようにはっきり二分割することってできるのだろうかと思います。今は芸能人や有名人の不倫が数字を取る時代ですが、それは倫理観の強い人が多いというより、善悪が単純かつはっきりしている(不倫した人は悪い人、された側はかわいそうな人)ため、言いやすい、叩きやすいからではないでしょうか。心理学では敵と味方、悪者とヒーローのように物事を極端に二分割することを白黒思考と呼び、メンタルヘルスが悪化する一因としています。
母とセンセイの仲は終生変わらなかった
長所と短所でなければ何なんだ、どうとらえたらいいのだと思ったことは私もありましたが、人生は数珠つなぎなのではないかと思うのです。宮尾センセイの場合で言うと、ご実家の商売が嫌だったことは事実だと思いますが、そのおかげで贅沢な生活ができたのも事実。売れっ子となるためには文章力も必要でしょうが、わかりやすく人の興味をひく存在、もしくはエピソードを持っていることが近道とされます。“性”というのは、かなり多くの人が興味を持つテーマです。このように考えていくと、何が長所で何が短所かはその時々によって、変わっていくはずです。「櫂」の主人公・喜和も、当時の価値観で言えば、夫に従順でなかったために離婚された、贅沢な生活もできなくなったと見るのが一般的でしょうが、見方を変えれば、離婚後はうどん屋を繁盛させ、夫の愛人の子との仲も終生変わることはなかったわけですから、充実していたのかもしれない。大作家の母が教えてくれたのは、人生は最後までわからないということなのかもしれません。