天皇皇后両陛下が6月17日から1週間、国賓としてインドネシアをご訪問されました。即位後初、お二人での海外訪問は21年ぶりとなるそうです。皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさんによると、海外訪問というのは分刻みのスケジュールで、皇族方にかかるプレッシャーも並大抵のものではないそうです。雅子さまは一部の行事にはご参加にならなかったものの、はじけるような笑顔をお見せになり、インドネシアとの親善は一層深まったことでしょう。
ご婚約内定会見で明かされたプロポーズのお言葉
今年でご成婚30年の両陛下ですが、ご婚約内定会見時に雅子さまがお話しになった「雅子さんのことは、僕が一生全力でお守りしますから」というお言葉をご記憶の方も多いことでしょう。
雅子さまと天皇陛下の出会いは、1986年に来日したスペインのエレナ王女のレセプションと報じられています。ワイドショーは雅子さまをお妃候補の筆頭とみなし、海外までカメラを持って追いかけ、雅子さまが自分は外務省の研修生として勉強中の身だ、つまり、お妃候補ではないと説明した映像を見た記憶があります。ご成婚は出会いから7年後の1993年ですから、雅子さまが皇室入りを決意されるまでには、それなりの時間が必要だったと言えるでしょう。
前出・渡邉みどりさんの「美智子皇后の『いのちの旅』」(文春文庫)によると、上皇さまの時代でさえお妃選びは難航したそうで、その理由は旧華族の令嬢たちが戦後、自由を知ってしまったためと解説しています。せっかく自由を謳歌できる時代になったのに、人間関係やしきたりが複雑な宮中に上がって、わざわざ苦労したいと思う女性は少数派でしょう。昭和の時代でさえこうだったわけですから、日本一のキャリアウーマンといっても過言ではない雅子さまが、ためらわれるのも無理はないでしょう。
渡邉みどりさんの「美智子皇后『みのりの秋』」(文春文庫)では、昭和天皇の侍従・入江氏による「入江相政日記」の一節が紹介されています。香淳皇后は美智子さまが平民出身であること以外に、何が気に入らないのか教えてほしいと入江氏に直接おたずねになったそうです。公務をし、次代の天皇陛下をご出産されて務めを果たしてもなお、受け入れられない。大変お気の毒ですが、旧勢力側から見れば、これまで関わったことがない人が入ってきて、自分より上の立場として敬わなくてはいけないわけですから、気に入らないと思っても仕方がない。これはどちらが悪いというより、過渡期に起こりがちな現象だと思いますが、埋まらない溝に美智子さまはさぞご苦労されたことでしょう。そういう軋轢をご存じだからこそ、天皇陛下は「雅子さんのことは僕が一生全力で、お守りしますから」とお話になったのでしょうが、結婚前の約束と言うのは、一種の危険性をはらんでいるのではないでしょうか。
結婚前にこうしようと約束しても、誰が悪いわけでもなく、そうならない、そうできないことはあります。その時に「あの時、こう言ったじゃないか、約束を果たしてくれないと困る」と思ってしまうと、事態は悪い方向に進んでしまうことがあります。
バッシングのターゲットになっていた雅子さまを……
2004年に天皇陛下(当時は皇太子)はご静養中の雅子さまについて、
「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます」
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
人格否定が具体的に何を指すのかと質問する記者に対し、
「細かいことはちょっと控えたいと思うんですけど、外国訪問もできなかったということなども含めてですね、そのことで雅子もそうですけれど、私もとても悩んだということ、そのことを一言お伝えしようと思います」
とお話しになりました。
今は紀子さまが週刊誌のバッシングの対象ですが、当時のターゲットは雅子さまでした。キャリアウーマンだから素直さがなく皇室に適応できないとか、海外で育ったので、皇室の宗教的精神が理解できないのではなど、こじつけじゃねーの? という意見が日本を代表する出版物にもあふれていました。ですから、天皇陛下は有言実行で、雅子さまをお守りするために発言なさったのでしょう。
現在、紀子さまが叩かれているのも“バイアス”によるもの
なぜ雅子さまが難癖をつけられたのか、その理由が今ならわかるのです。私たちは誰もが合理的に物事を判断していると思いがちですが、実は多くのバイアス(思い込み)に左右されています。そのうちの一つが「信念バイアス」と言われるもので、今の結果がいいと、そこに至るプロセスは全部正しく、反対に今の結果が悪いと、やり方を全否定してしまうバイアスを持っています。男のお子さまを生んでいない、公務もしていないというマイナス要素がある場合、どんなにちゃんとやっていても「だからあの人はダメなんだ」と叩かれてしまうのです。現在紀子さまが叩かれているのも、小室眞子さんの「類例を見ない結婚」が「信念バイアス」と結びついてしまったためだと言えるでしょう。
天皇陛下の発言は「信念バイアス」を地で行くもので、あまりプラスにならなかった印象があります。雅子さまはそんなに海外に行きたかったのかと、まるで雅子さまが旅行好きのように書かれ、バッシングは過熱したと記憶しています。バイアスを正当化するつもりはありませんが、結果を出さないと叩かれてしまうのは、人の世の習いなのかもしれません。
女性論客たちは、雅子さまは皇室入りしないで、外交官をお続けになったほうがよかったのではないかという意見しましたが、私はそうは思いませんでした。洋の東西を問わず、皇太子妃になる人というのは、特別に強い運命を持ってこの世に生まれてきたと信じるからです。特別な星の下に生まれ、しかも、勉強や仕事で一流の成績を出した女性が、たやすく折れてしまうはずがないと思ったのです。
天皇陛下と皇后雅子さま、ご一家に時代が追いついてきた
雅子さまの流れを変えたのは、200年ぶりになされた上皇さまの生前退位だと私は思っています。皇太子さまが即位し、雅子さまが皇后さまになられることで、ご自分のなさり方を直接国民に示すことができる。ジェンダーフリーの時代が到来したことで、なぜ女性は天皇陛下になれないのかという意見も聞かれるようになってきました。つまり、時代が雅子さまについてきたのです。
ここで心理学に関するマメ知識をもう一つご披露します。人間の記憶というのは、実はとてもあてにならないもので、気分に左右されます。今が幸せだと過去に苦労をしても、「あれはあれで意味があった、よかった」と言えるようになりますが、今が不幸せだと「生まれてこの方、ずっと苦労ばかり。生まれて来た意味がない」と否定的にとらえるようになってしまうのです。つまり、人間にとって大事なのは、“今”なのです。
皇后陛下になられるまでの雅子さまの道のりは決して平たんではなかったと思いますが、暗黒の時代を経て、雅子さまの“今”はさらに輝きを増す。その傍らには、雅子さまを全力でお守りになる天皇陛下と愛子さまがいらっしゃる。そんな気がしてならないのでした。