たしか聖書だったと思いますが、「光あるものは闇の中に置かれた時こそ輝く」というような言葉を読んだことがあります。実力のある人は、逆境におかれたときこそ真価を発揮するという意味に解釈できるかもしれませんが、純粋に「真逆に見えるものが、支えあっていることもある」と取ることもできるのではないでしょうか。
昭和の歌姫・松田聖子を陽とするなら、同時代に活躍した中森明菜は陰の歌姫でしょう。キッスは嫌といっても反対の~意味よ~、と聖子が男女のかけひきを『Rock’n Rouge』でウフフキャハハと歌っているとき、明菜は彼のもとへひとり~旅立つ~と、『北ウィング』で相手の許可も得ずに突っ走る重いオンナを歌っています。
超簡単に振り返る、中森明菜の人生
この二人、生い立ちも全く違います。聖子は公務員家庭に育ち、お嬢さん学校に通い、その傍ら、平尾昌晃ミュージックスクールに通うなど、愛情にもお金にも恵まれて育ちますが、明菜の家はそうではありませんでした。両親は不仲で経済的にも豊かではなく、兄弟も多い。明菜は病弱で、兄弟の中でも目立たない存在でしたが、芸能界に入りたかった母親の夢を背負わされ、オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)に挑戦。合計7回の挑戦で、史上最高得点で合格するという偉業を成し遂げています。
聖子も明菜もトップアイドルとなり、芸能界入りする前からあこがれていた郷ひろみ、近藤真彦と交際していますが、だんだんと運命は分かれていきます。聖子が「生まれ変わったら、一緒になろうねと話し合った」と涙を見せながら郷との破局を語るも、その4か月後にはしれっと俳優・神田正輝との婚約を発表しています。いっぽうの明菜は、「ザ・ベストテン」(TBS系)で七夕の短冊を渡された際に「早くお嫁さんになりたい」と書くなど結婚願望まるだし。カメラは歌を終えてソファに座っていた当時の交際相手、近藤真彦を映していましたが、顔面蒼白でした。重い、重すぎる。
次第にマッチとの関係は煮詰まり、さらに家族の存在も明菜を苦しめます。明菜の家族が無断で事務所に借金。不動産を買い、明菜のお金で事業を興しますが、ことごとく失敗します。対する聖子の家は両親と同居し、両親を個人事務所の役員に据えるなど盤石そのもの。頼れる場所のない明菜はマッチの家で自殺未遂をしてしまいます。
自殺未遂から一年後、明菜はマッチを伴って金屏風の前で復帰会見をします。「婚約会見をする」とジャニーズ事務所に呼び出されて行ってみたら、「自殺未遂は近藤さんのせいではありません」と釈明させられた、つまり明菜は騙されたという記事を週刊誌で読んだ記憶がありますが、ここから明菜は長い低迷を経験することになります。聖子がアメリカに行って仕事をしたり、オトコを作ったりと好き勝手やっているとき、明菜は事務所とのトラブルから、歌う場所すらなくしてしまうのです。
しかし、明菜のファンは本当に根気強いと言いましょうか、明菜を見捨てないのです。CDが発売されたり、ディナーショーが行われると応援する。しかし、それを励みに明菜が本格復帰してくれるかというと、それは無理なようです。いいスタッフをそろえて、心身ともに強くなれるようにしたらいいのにと素人考えでは思ってしまいますが、もしそうなったとしたら、明菜じゃなくなってしまうのではないでしょうか。ファンが愛しているのは、明菜の繊細と激しさではないかと思うのです。
中森明菜の名言「友達いないもん」
正反対の人生を生きているような二人ですが、くしくも同じようなことを言っています。聖子が「芸能界に友達はいない」と言っていますが、明菜もまた「友達いないもん」と話しているのです。この発言は「HEY! HEY! HEY!」(フジテレビ系)に出演した際のものですが、同時に携帯を持っていないことも明かしています。その理由は「携帯を持つと、電話番号を聞かれるのが嫌だから」。極力人との関りを持たないようにしているようですが、人嫌いとかというと、そうではないかもしれません。
その昔、「スターどっきり(秘)報告」(フジテレビ系)という番組がありました。その名のとおり、スターにどっきりをしかけるのですが、明菜がニセの占い師に騙されたことがありました。明菜は最初から泣きそうな不安顔。「25歳から仕事は下降線をたどる」と占い師に言われると、目には涙が浮かんでいます。結局、どっきりだとわかるわけですが、明菜は「こういうの信じちゃう」と言っていました。
占いに限らず、何かを信じやすい人というのは、裏切られやすいでしょう。特に明菜は売れっ子ですから、カネ目当てによって来る人もたくさんいると思います(明菜はお母さんと呼んでいた元マネージャーに暴露本を書かれています)。
たいていの人は「人を簡単に信用してはいけない」と学びますが、明菜はそのあたりの調節が苦手なのではないでしょうか。何か「信じられるかも」というものや人に出会えると、また激しく信じてしまい、結果的に裏切られたという形で終わってしまう。こうなると「人と付き合わないほうが楽」と思うようになってもおかしくはないでしょう。
世の中で厄介なのは、憎悪よりも善意だと思います。自分は善意100%で相手に接していたとしても、その分量を間違えるとお節介となり、もっといくと押し付け、エスカレートすると嫌がらせとなり、善意からかけはなれた暴力となっていきます。「誰かに優しくしてあげたい」という気持ちは、実は凶暴な感情でもあると思うのです。
「よかれ」と思ってやったことが、相手に響いていなかった、重かった。そんな経験は誰でもこれまで一度くらいあるでしょう。けれど、多くの人が「私は重くなんてないし」という顔をして生きています。それはオトナとして当たり前のことですが、だからこそ、不安定な美しさを持つ明菜に惹かれるのではないでしょうか。
還暦が近くてもフリフリの衣装を着て「かわいい」を歌う聖子、自分を破滅させてしまうほどの激しさ、怖さを歌う明菜。どちらも多くの女性の心の中にあるもので、二人が女性から支持されるのもうなずける気がします。
※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。