70年代に東洋人、しかも女性として初めて、パリのオートクチュール組合に加盟を許された日本人デザイナー、森英恵センセイ。森センセイと言えば、蝶々柄が有名ですが、それではなぜセンセイが蝶々をモチーフにするようになったかは、知られていないのではないでしょうか。
そのことについてお話する前に、いつものように本日の主役、森センセイの人生を超簡単に振り返ってみましょう。
超簡単に振り返る、森英恵センセイの人生
これまでとりあげてきた有名人たちの多くは、家庭環境が悲惨でしたが、森センセイのお宅はパーフェクト。島根県の裕福な医師家庭に生まれ、小学生の時によりよい教育を受けるために、兄妹五人で上京します。現在90代の方ですから、あの時代なら「オンナが大学に行ってどうする!」と言われそうなものですが、リベラルなご家庭だったために大学進学。戦争中であったために、軍需工場に動員されます。ここでセンセイは生涯の伴侶となる森賢氏と出会うのでした。
結婚して専業主婦となったセンセイですが、子どもに洋服を作ってあげたいと洋裁を習い始めます。すると、服を作る楽しさにのめりこみ、新宿に「ひよしや」という店を構えてしまうのです。すでにお子さんが二人いるセンセイが、60年代に馬車馬のように仕事することをよくご主人が納得したなぁと驚くばかりですが、お姑さんが慈善運動に携わるなど進歩的な女性であったこと、偶然にも森家が繊維問屋をしていたことが功を奏したのでしょう。才能のある人は、出会いの面でも「持っている」のです。
森センセイがニューヨークに進出したいといったときも、周囲の誰もが反対したのに「やりたいというエネルギーが、クリエイターには最も大切だよ」とご主人だけは応援してくれたそうです。ニューヨークに飛んだセンセイが見たオペラ・蝶々夫人が、トレードマークの蝶柄を生み出すきっかけとなるのです。
「蝶々夫人」とは、没落藩士令嬢で芸者の蝶々さんと、アメリカ海軍軍人のピンカートンにヤり逃げ……いえいえ、悲恋のお話。二人は結婚をし、子どもをもうけますが、ピンカートンは軍の命令でアメリカに帰ってしまいます。蝶々さんはピンカートンの帰国を待ちわびていますが、ピンカートンがアメリカで結婚をしていることを知ってしまう。失意の蝶々さんは喉に刃を立てて、自害するという話です。
森英恵センセイの名言「芯の強い日本女性の美徳が、まったく理解されていない」
おそらく東洋女の一途さ、かわいさを描きたかったのでしょうが、森センセイには納得がいかなかった。「蝶々夫人は哀れなだけの女に描かれていて、芯の強い日本女性の美徳が、まったく理解されていないことに演出に憤りを禁じえなかった」と思っていたことに加え、現地でワンダラーブラウス(360円で買える日本製のブラウス)の縫製の悪さに驚き、「日本人の物づくりの真価を示したい」と俄然ファイトがわいてきて、ニューヨーク進出を決めるのです。もうセンセイったら、負けず嫌いなんだから。
白と黒がメインだったアメリカの流れに逆らい、鮮やかで日本の伝統技術を用いたドレスはナンシー・レーガン、モナコ公国の王妃となっていたグレース・ケリーをも魅了し、大成功。パリへの足掛かりをつかむのです。
それにしても、「芯が強い」という言葉、最近めっきり聞かなくなりました。辞書を引くと、「外見上は頼りなげに見えても、やすやすと外圧に屈しない」、つまり弱そうだけど、決して負けない女性ということができるでしょう。そして、この「芯が強い」の代名詞が、誰あろう森センセイだと思うのです。
五番街にある高級百貨店のバーグドルフ・グッドマンからプラザホテルまでのショー・ウィンドーはプラザコレクションと呼ばれ、ここに飾られた商品はバーグドルフ・グッドマンの高級品フロアにおいてもらえるそうです。ここにセンセイの作品が飾られたとき、センセイはご主人と一緒にデパートの前を歩きながら、成功をかみしめるのです。
その時の心境をセンセイは「日本人の誰が見たわけでもなかったけれど、虚栄心でなく、誰に対してでもなく、ただ自分に対して『やった!』とはじめて感じた」と書いています。森センセイは「日本のオンナ、なめんなよ」とニューヨーク進出を決める一方で、成功に関しては非常にクールで寡黙です。誰がこう言ったとか、有力紙がこう書いたという描写がほとんどないのです。センセイはニューヨークでやってみたかった、そして成功した。その成功の証はほめ言葉ではなく、プラザコレクションのディスプレイや有名デパートからの契約といった形で、「自分が」感じることができれば満足なのです。他人の称賛を求めない人こそ「芯が強い」のであり、ほめられたがる人は、甘えん坊さんではないでしょうか。
さて、40代のファッション関連の話題がSNSでよく炎上することは、みなさんご存知だと思います。なぜそんなに人にイタいと言われるのをおそれるのか、私には理解できない部分もあるのですが、ファッションについて森センセイからもアドバイスがありました。
私たちは既製服を着ることに慣れていますが、そもそも洋服とは着る側が「こういう服が着たい」と決めて、型紙と布地を洋装店に持っていっていました。型紙のまま作ることもあれば、デザイナーが着る人の魅力を引き立たせる提案をすることもある。寸法も採寸して作るわけですから、体にフィットします。元来、服とは着る人とデザイナーがコミュニケーションを重ねた結果出来上がるオリジナルなものだったのです。
しかし、既製服が出回ることで、「私にあった服」を買う(作る)のではなく、「服に自分を合わせる」ようになります。年齢と共にカラダは変わりますし、自分のために作ったのではないので、合わなくなる服が出てくるのは当たり前のことなのですが、その結果「40代の〇〇はNG」といった具合に、年齢やアイテムを悪者にしてしまいます。
しかし、森センセイは「服を着こなす決め手は、容姿ばかりではない」とはっきりおっしゃっています。「おしゃれとは、楽しく、よりよく生きること」であり、「着る人の精神性や、感受性が服を引き立たせる」ものなのに、「成熟した女性がモードから遠ざかってしまうことがどれだけ多いことか」と憂いていらっしゃる。
今後も「40オンナはイタい」系の記事がなくなることはないと思いますが、楽しく生きろ! 年を取るほど、攻めて行け! という森センセイのお言葉を、アラフォーは心していけばいいと思うのでした。
※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。