薬剤師として30年以上のキャリアを誇るフリードリヒ2世さんが、日常のさまざまなシーンでお世話になっている薬に関する正しい知識を伝える連載「薬を飲む知恵・飲まぬ知恵」。今回は薬の適応外使用に関するお話です。
高山病対策としてCoQ10を持参
2001年9月、大阪から中国チベット自治区の古都ラサ市(拉薩市: 世界遺産のポタラ宮殿がある市)に旅行したことがあります。中国南部の大都市・成都に一泊して翌日に空路でラサに入りました。成都⇔ラサ間に定期便があるのです。今でこそ北京からラサに鉄道で行けるようになりましたが(行程時間は42時間20分)、当時は成都から飛行機に乗るか成都から鉄道以外の陸路を使ってラサに行くしか方法がなかったのです。北京⇔ラサの定期航空便はありません。
飛行機でラサ入りする際は、高山病に注意するように言われていました。ラサの標高は3,700m程度あり、日本の富士山頂の標高とほぼ同じです。ふだん登山訓練をしていない筆者のような人間が、低地からいきなりそんな高地に入ると体に変調をきたすケースは珍しくありません。
旅行前にあらかじめ日本で医療関係の知人にアドバイスを受けたところ、高山病予防薬として「コエンザイムQ10(うっ血性心不全治療薬で、サプリメントとしても市販)」と「アセタゾラミド(炭酸脱水酵素阻害剤)」を持参するとよいといわれました。ただし、どちらの薬の添付文書にも、効能・効果の欄に「高山病」の記載はありません。
医薬品の適応外使用とは?
結局、医療保険を使わずに自費で2つの少量の薬剤を医師に処方してもらい、旅行前に入手しておきました。中国の成都に着くとそれを飲んでラサに向かう飛行機に乗り、ラサ空港に降り立ちました。
そして……数十分後にやってきたのは高山病の兆候でした。まるでインフルエンザにかかったような症状です。関西空港から一緒にやって来たツアー・グループの半数(5人程度)が同じ状態になり、何人かは現地の病院で治療を受けました。そう、結局薬は効かなかったのです(効く人もいるようですが……)。ちなみにラサで滞在したホテルには、各室に酸素ボンベが備え付けられていました。高級ホテルでなくとも、ラサでは普通の光景だそうです。
このように、すでに国内で承認されている医薬品を承認内容の範囲外、すなわち添付文書に記載されている効能・効果、用法・用量の範囲外で使用することを「適応外使用」といいます。 適応外使用にはいくつか問題点や課題がありますが、そもそもどんな薬が「適応外」で使われるのでしょうか。いくつかの例を挙げてみましょう。
実際、この他にも多数あります。いずれも公式に承認された使用法ではないことに注意してください。このような使用は医師と患者さんの自己責任となるでしょうし、適応外使用であるため医療保険も使えなければ、副作用に対する保障も期待できません。
医薬品を美容クリームとして使うことの是非
「究極のアンチエイジングクリーム」
「高級な美容液より優れた美肌効果」
「安い上に効果抜群」
これらの文言は、一部のメディアやブログなどに流布された、ある医療用医薬品に関する"情報"(噂話?)です。アトピー性皮膚炎などの治療に使われる保湿用の(医療用)塗り薬が化粧品代わりに使われる事例が急増して問題になったのです。
この薬の入手(処方)に際して公的医療保険が適用されると、高価な市販化粧品を買うよりも安上がりな化粧品として流用できると考える人が出てきます。医療機関での本来の目的とは違う処方が増加すると、医療保険財政の大きな圧迫要因になりかねません。
これのらサイトを見て、厚生労働省は遠からずこの薬の使用制限(保険適応対象医薬品から外すなど)に乗り出すようです。もしもこの薬が保険対象から外されてしまうとなれば、本来の目的の疾患のためにその薬を処方してもらっている人は困りますね。自分らは美容のためにその薬を使っているわけではないにも関わらず、公的医療保険が使えなくなるのは大打撃でしょから。
「ドラッグ・ラグ」と適応外使用の関係
適応外使用の種類には以下の事例があります。
<1>通常の治療行為として使用すべきでない研究的なもの
<2>国外ではすでに多くのコンセンサス(合意)が得られているが、国内では使用法が承認されていないもの
<3>医学的・倫理的に不適切なもの
ここで問題です。先に紹介した「保湿クリーム」の使い方はどれに当てはまると思いますか? まず<1>の「研究的な」医療(治療)は、臨床試験として実施すべきです。関連の法律もあります。試験実施に際して は、事前に倫理審査員会などに実施してよいかを諮る必要があります。ですからこれには当てはまりません。<2>はいわゆる「ドラッグ・ラグ(使用承認の遅れ)」といわれることもあります(後述)。これもちょっとおかしいです。この保湿剤の場合は「使用承認の遅れ」というより「使用承認の逸脱」でしょう。<3>は「不適切」の定義をもう少し明確にする必要がありますが、医療用保湿剤を美容のために使うのは広い意味でルール違反(=不適切)といえる可能性大で、これが答えになりそうです。
結局、適応外使用といっても、本当の最終的な使用目的は使用する人に委ねられています。その際、さまざまな医学的不都合や経済的責任の発生も考えなくてはなりません。それが面倒ならば、とりあえず適応外使用は避けるべきでしょう。
すでに承認されている効能・効果や用法・用量は、一定の安全性と有効性が専門機関によって確認されています。ただ医療は日進月歩ですから、例えば、がん化学療法(抗がん剤によるがん治療)では複数の抗がん剤を併用することが多く、疾患ごとの最新・最善の治療方法(レジメン、プロトコール)は次々と情報が新しくなる(上記<2>)ため、医学的見地から一部薬剤を適応外使用せざるを得ない場合があります。
中でも小児領域や稀少疾病は、適応外使用なしでは治療が難しいことも多いのです。そのため、医療機関での保険医療の認定が困難で一部薬剤の使用が除外されてしまう、いわゆる「ドラッグ・ラグ」と呼ばれる事態が「適応外」に含まれてしまいます。
このドラッグ・ラグは、日本の医療界で長く叫ばれている問題の一つです。「もう海外では使用が認められている薬が、なぜ日本では使えないの」という感じです。薬物療法の安全性を担保するためには、「『不適切な』適応外使用」は回避しなければなりませんが、患者さんの利益促進のためには「『適切な』適応外使用」をサポートする必要もあるのです。
1999年にはいわゆる「公知申請」の仕組みができ、その医薬品の有効性や安全性が公的に知られていると判断できる場合(公知)には、臨床試験の一部もしくは全部を行わずに専門医学論文などを基に医薬品として承認することが可能となりました。このことからもわかるように、医療用医薬品を勝手に適応外使用してよいというわけではないのです。
筆者プロフィール: フリードリヒ2世
薬剤師。徳島大学大学院薬学研究科博士後期課程単位取得退学。映画とミステリーを愛す。Facebookアカウントは「Genshint」。主な著書・訳書に『共著 実務文書で学ぶ薬学英語 (医学英語シリーズ)』(アルク)、『監訳 21世紀の薬剤師―エビデンスに基づく薬学(EBP)入門 Phil Wiffen著』(じほう)がある。