"茶の湯"の所作や心得、教養を学び、また癒しを得ることで、仕事の質の向上を目指すビジネス茶道の第一人者である水上繭子。本連載では、水上が各界のキーパーソンを茶室に招き、仕事に対する姿勢・考え方について聞いていく。
第5回は、芝浦工業大学 工学マネジメント研究科 准教授の加藤恭子氏にお話を伺った。加藤氏は、経営学もとにエンジニアの開発・研究・教育について研究しており、日本企業の働き方改革とイノベーションを実現するべく、日々教鞭を振るっている。
ODA関連会社勤務から心理学研究者へ転身した理由
大学卒業後、ODA(政府開発援助)関連の職に就いた加藤氏。しかし、4年後にその仕事を辞め、米国ミシガン州で産業心理学を学ぶことになる。その理由は、職場内外で仕事をきっかけに心を病んでしまう人を少なからず見てきたこと。心理学を学ぶことで、そんな人たちの役に立てると加藤氏は考えた。
しかし産業心理学を学んだ外国人がアメリカで仕事を見つけることは簡単ではなかったそうだ。そこで加藤氏は、心理学を活かした経営学に転向。労使関係人材開発学部のある専門職大学院の修士課程に。そして、お世話になった教授の日本での仕事を手伝ったことがきっかけで研究者を志し、博士課程に入る。紆余曲折を経て博士号を取得したのは、38歳のことだ。
日本での就職もアメリカと同様、困難を伴った加藤氏。人脈もない中で多くの大学に応募し、ついに非常勤講師、特任講師として研究者のキャリアをスタートした。現在は芝浦工業大学で、社会人エンジニアやエンジニアの卵(学部生)に向け、経営学のさまざまな講義を行っている。
イノベーションは技術ではなく人が起こすもの
加藤氏が専門とする「組織行動論」は、リーダーシップやモチベーション、意思決定など組織における人の意識や行動を研究対象としたもの。日本ではいま"イノベーション"が求められているが、「イノベーションは技術が起こすのではなく、人が起こす」と説明する。だからこそ働き方改革では組織と人の関わり方が重要であり、エンジニアリングとマネジメントの両方に明るい、新しいリーダー像が求められているという。
リーダーやマネージャーの仕事は、知識やスキルを部下に伝承していくこと(ティーチング)だけではない。職場環境を整えること(コーチング)も大切な業務のひとつだ。しかし、日本のビジネスパーソン、とくにエンジニアにはその意識がまだ徹底されていないと加藤氏は分析。その一因として、教育システムだけでなく企業のキャリア・システムが文系、理系という形で区分けされていることを挙げる。日本のエンジニアは1プレイヤーとして育てられ、ある程度の地位に上がるまでリーダーシップに関する研修をうける機会が少ないのだ。これは、例えばコミュニケーションスキルにも当てはまる。
「リーダーが最初に話を伝えた相手が、さらに下の立場の人に話を伝えられる。これが伝える力が高いリーダーです。伝える力が高い人の話はとてもわかりやすいのですが、その理由は"伝わる”ように話しているから。前職の同僚が教えてくれたコミュニケーションの3箇条、"相手が聞きたいように話す、相手が話したいように聞く、相手が読みたいように書く”、この3つは"伝わる”コミュニケーションの意識としてとても重要だと思います」(加藤 氏)。
実は理系出身者は文系出身者よりもよりバランスのとれたリーダーになれる素質が高いのだという。エンジニアは、自身の専門については他の誰よりも知識やスキルを既に持っているからだ。こうした人材がマネジメントスキルを身につけ、"伝わる”コミュニケーションのできるリーダーとなれば、組織はよりイノベーティブに変化していくと加藤氏は期待を述べる。
「理系の技術者は、エンジニアリング、マネジメントの"両利き"になれる高いポテンシャルを備えています。文系で育った人がこれを実現するのは非常に難しいでしょう。私は、エンジニアさんが変われば日本が変わると思っています」(加藤 氏)。
美談をなぞるだけでなく、その意味を考えること
マネジメントにはコーチングやティーチングが欠かせない。しかしこれらを形としてなぞるだけでは有効に活用できないのだという。「何のためにやっているか」を本人がしっかりと理解することで、始めて真の意味で身につくものだと加藤氏は述べる。
ビジネスコミュニケーションのメソッドには流行り廃りがある。たとえば昨今ではチームメンバーの誕生日にメールを送ったりする手法などが有名だ。だがそのような美談を形だけなぞり、満足してしまっている例が多いのではないだろうか。
「上っ面で義務的に美談をなぞっていると、その美談に沿わないことを"ダメなこと"と認識してしまうでしょう。それでは意味がありません。本当に大切なのは、その美談が何を意味しており、どうして結果を生むのかという本質を理解することです」(加藤 氏)。
これを理解してもらうため、加藤氏の講義では最初に「何のために、このような文系の授業を行うか」をしっかりと学生に説明するのだという。
この考え方は、茶道にも通じるものがある。茶事には長い歴史の中で培われた作法があり、それをなぞればだれでも茶会を進めることができる。だが、茶道とは"道"であり、その作法をなぜ行っているのかを理解することこそ重要な点だ。それが理解できていれば、必ずしも作法に準ずる必要もない。形から入ることは理解への第一歩だが、そこで思考を停止することなく、その形の意味を常に考えていかなければならない。これは学校や茶道に限った話ではなく、仕事でも家庭でも同じだろう。
対談当日、偶然にも茶室に一匹の蝶が紛れ込んだ。水上が加藤氏を迎えるために選んだ掛け軸は、なんの因果か『花開蝶自来』(はなひらけばちょうおのずときたる)。これは「花は季節の移り変わりとともに自らの花を咲かせ、そこに蝶達は集まる。あるがままで無心に生きることで、自然と人が集まってくる」という解釈の言葉だ。
加藤氏は、蝶と花、そして掛け軸を見ながら、若いビジネスパーソンに向けて次のようなメッセージを送る。
「どれだけイノベーティブな人でも、1人でイノベーションを起こすことはできません。イノベーティブな考えを理解する人が周りにいてこそ、イノベーションは起こるものです。リーダーを目指す人は、花に蝶が集まるように、自分の周りに人が集まってくる人になってほしいと思います」(加藤 氏)。
プロフィール : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)
大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。