"茶の湯"の所作や心得、教養を学び、また癒しを得ることで、仕事の質の向上を目指すビジネス茶道の第一人者である水上繭子。本連載では、水上が各界のキーパーソンを茶室に招き、仕事に対する姿勢・考え方について聞いていく。

第4回は、 懐石料理の名門「懐石 辻留」の女将、辻育子氏にお話を伺った。「懐石 辻留」が京都で創業されたのは明治35年。茶道裏千家の懐石料理をまかされ、出張料理専門店として食通をも唸らせてきた。東京、赤坂の一角にある支店では、オフィス街でありながらも純和風の個室が用意されており、伝統的な懐石料理をいただくことができる。

  • IT企業出身の「懐石 辻留」女将が目指す「ビジネスと茶事」とは?

    聞き手の水上繭子(左)と「懐石 辻留」女将、辻育子氏

IT企業を経て「懐石 辻留」の女将となる異色の経歴

京都で創業された「懐石 辻留」は、もともと濃茶を飲むための懐石料理を作る料理店だった。同店が東京で営業を始めたのは、昭和の初めのこと。現在の辻留主人・辻義一氏は、かの北大路魯山人氏のもとで厳しい修業を積み、明治から受け継がれた味をさらに磨き上げた。その料理は「ミシュランガイド東京2018」でも二つ星を獲得するなど、国内外で非常に高い評価を得ている。

そんな父親のもとで生まれ育った辻育子氏は、大学卒業後は日本IBM、アスキー、マイクロソフトなどの名だたるIT関連企業で活躍。その後家業の「懐石 辻留」へ戻るという経歴を持った人物だ。現在は同店の女将として、ルーツである"茶道の懐石料理"という側面から、日本の"おもてなし"の心を伝えている。

  • IT関連企業で得た知識と経験、人脈は現在も活かされているという

茶事の懐石という原点への想い

「懐石 辻留」は京都と東京に店舗を構えている。まずは同店が2つに分かれた理由について紐解いていきたい。

"三千家"と呼ばれる茶道の家元、表千家・裏千家・武者小路千家の本家は京都に集まっており、茶事の中心といえばいまでも京都。辻留は裏千家の台所に端を発する懐石の名門であり、茶道とは切っても切れない関係だ。だが料理人には「より多くの方に料理を召し上がっていただきたい」という想いもある。そこで辻義一氏は「京都は台所だけを構えた出張専門のお店、東京は店舗として客を招き料理を供するお店」と住み分けを行なったのではないか、と辻氏は語る。

  • 静謐な純和風の個室は、茶の湯を楽しんでもらうために照明や床の間まで細やかなしつらえが施されている

だが、4代目として辻留を切り盛りする辻育子氏は料理人ではない。辻義一氏とは違う想いを抱いていた。それは、「"一椀のための料理を作るための料理屋"という原点に立ち返り、東京でもきちんとした茶事が行える人を増やしたい」というもの。そのために現在は毎月一度、京都の茶道裏千家家元に伺い、教えを受けているのだという。

「お稽古をされている茶人の方でも、多くは茶事の一部を切り取った"割り稽古"に留まっており、きちんとした4時間の茶事を経験した方は少ないと思います。茶事は様々な点前(てまえ)に懐石などを合わせた形で成り立っており、茶の湯のお稽古とは、究極的にはそれを楽しむためのものだということを、皆様に知っていただきたいと思っているのです」(辻氏)。

この茶事の本当の姿をぜひ知ってほしい対象としてあげられたのが、これから日本を支えていくであろうビジネスパーソンだ。

「日本人がビジネスのために海外に出かける機会はこれからさらに増えるでしょう。そんなとき、ビジネスパーソンは文化の懸け橋にならなければいけません。現在、とある企業の方から、『社員に懐石を通じたちょっとした茶の湯体験を』とご依頼いただいておりまして、2018年の夏には実際にセミナーを行う予定です。企業のトップに立つ人が、率先して社員に日本の文化を学ばせたいと考えられるというのは、務めている方にとってすごく幸せなことだと思いました」(辻氏)。

  • 辻育子氏は、お茶を点てつつ辻留の歴史と自身の考えを語ってくれた

日本の文化を知ってこそ海外の文化を尊重できる

東京2020オリンピックの招致により、おもてなしという言葉が改めて取り上げられた。しかし、どれだけ日本の文化について知っているか? 実行しているか? と問われたら、日本人でも多くの方はそれほど自信を持てないはず。だからこそ、この機会に日本の文化について改めて考えてみてほしいと辻氏は語る。

「最近は日本にも海外からのお客様が増えました。日本の文化を知らない海外の方のマナーの悪さが言及されることもありますよね。けれども、海外の方にも行動の理由や言い分があると思うのです。日本人から見たら確かにマナーが悪く見えますが、一概に嫌ってしまうのもおかしな話なのかなと感じています。私たちも海外のマナーを知ったうえで受け入れる必要があると思うのです。茶の湯や懐石料理を通じて自国の文化を知ることで、海外の文化をも尊重できるようになるのではないでしょうか」(辻氏)。

茶の湯が広まった戦国時代から安土桃山時代には、多くの海外文化が流入していた。茶器にもまた海外製のものが数多く存在し、それらは日本の文化と融合して取り入れられてきた。生き残りをかけた争いが繰り広げられる時代だからこそ、出会いを尊重し、和を貴ぶ茶道が人々に強いメッセージを届けていたのかもしれない。他の国の文化を素直に受け入れられる日本人でありたい──。 辻氏はこのように自身の想いをまとめる。

「『一期一会』とは本当に素晴らしい言葉ですよね。茶事を通して出会う友人、そこで交わされる会話はまさにその時だけのものです。例えば、床の間の椿がちょっと落ちるのも、その場限りの景色。そういう場と時間を大事にするためにおもてなしの準備をしますし、それにこたえるために客として招かれた側にも作法があります。こういった茶道の礼儀や所作は、ビジネスの場でも必ず役に立つと思っています。なぜかというと、こういった一連の考え方こそ、日本人らしさであり和の心だからです」(辻氏)。

  • ビジネスパーソンとして活躍してきた辻氏の語る一期一会という言葉には、現場をしる人物ならではの重みがある

プロフィール : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)

大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。