"茶の湯"の所作や心得、教養を学び、また癒しを得ることで、ビジネスパーソンの心の落ち着きと人間力、直観力を高めるためのビジネス茶道の第一人者である水上麻由子。本連載では、水上が各界のキーパーソンを茶室に招き、仕事に対する姿勢・考え方について聞いていく。
第17回は、陶芸家でありながらも、「アスリート」「茶人」という多様な側面を持つ山田翔太氏にお話を伺った。山田氏はどのようにして現在の肩書きを持つに至ったか、そして何を伝えていきたいのか。その中心には「みたて」があるという。
独学で“アスリート陶芸家”に
山田翔太氏は、これまでの陶芸家とは活動も経歴も異なる“アスリート陶芸家”だ。中学校でラグビーを始め、高校1年生でラグビー部のキャプテンに。大学でも4年間ラグビーにいそしむという生粋のラガーマンであり、26歳までラグビーを続け、その後もトライアスロン、トレイルラン、登山、ヨガなどさまざまなスポーツを行っている。
陶芸との出会いは高校時代。美術を担当していた先生がラガーマンで、ラグビーを通して親しくなり、陶芸も教えてくれたという。山田氏は「ラグビーをやっていなかったら、その先生がいなかったら陶芸やってないんですよ。本当に縁です」と学生時代を振り返る。
「自分自身、3次元的なものを作るのが得意だったと思います。でも高校時代は茶盌なんてぜんぜん作ってなくて、電動ろくろで何かを作った記憶がうっすらあるくらいです。そのまま大学に入って、4年間はラグビー部で学習院大学のグラウンドで土と戯れていました」
大学を卒業した山田氏は、社会人として企業で働きながら、仕事の合間にできる趣味として再び陶芸を始めた。とはいえだれかに師事するわけでもなく、自分なりの陶芸を続けていたという。そして5年後、帰京。窯を借りて陶芸を続け、29歳で本格的に陶芸家として活動を始めた。
「家に作品が貯まってきたから、個展という形で一回出そうと思ったのが陶芸家としてのデビューです。沢山あるから放出しないといけない、それをお世話になってきた人と友人にお披露目しよう、みたいな感じです。100点ほど出したんですけれど、でもそれが5時間くらいで全部売れちゃったんですね。そこで初めて陶芸家としてちゃんとやろうかなって思いました」
そんな矢先にコンタクトを受けたのが、遠州流茶道宗家13世家元の小堀宗翔氏だ。小堀氏はアスリート茶会などの新たな試みで注目を集めてる茶人であり、ここで山田氏と茶道の接点が生まれた。そして最初の個展からわずか半年後、銀座三越で“アスリート陶芸家”として展示を行うことになる。
「そのときラグビーの日本ワールドカップの前年だったので、人工芝を作ってラグビーの日本代表とニュージーランドのオールブラックスの茶盌を作って戦わせたんですよね。そんな企画を一緒にやったりして、僕はいろんなスポーツ×茶盌を100点以上出したので、そこから小堀宗翔さんと組むようになって、アスリート茶会をスタートしたわけです」
山田氏が茶盌を作り、小堀氏がお茶を点てるという組み合わせは話題となり、たくさんのアスリートが茶会に参加した。こうして小堀氏の元に通って茶道の稽古をしつつ、茶会を繰り返しているうちに、山田氏は自分の言葉でお茶を語れるようになっていったという。
山田氏が茶人となったきっかけはフランス
そんな中、山田氏に初のお茶会主催の機会が訪れる。フランス・マルセイユの展示会に陶芸家として参加することになった山田氏。ハンドキャリーに作品を詰め込んで飛行機に乗り込んだが、いざ現地に到着すると、日本からの参加者は山田氏のみ。しかも「茶会を開いてほしい」という依頼が舞い込んだ。
「会場はマルセイユ区役所の一階のホールみたいなところです。僕は茶盌と簡単な茶道具しか持っていなかったので、普通のテーブルに、現地のポットを用意して貰いました。区長さんがいて、オーディエンスやメディアのみなさんも40人ぐらいいらっしゃってましたね」
茶道初めて半年で、初舞台がフランスという大舞台。だがこれまでのスポーツの経験から、緊張は感じなかったという。自身の茶盌を使ってお茶を点て、通訳を通じて茶道について説明する。これが初めての自分の茶会となった。
「今思うとお茶会と呼べるほどではなかったんですけど、すごく喜んで貰えたんですよ。ここで『お茶ってこれでいいんだ』って気づいたんですよね。フランスでの出来事がなかったら、『まだ自分はお茶会なんてしちゃいけない』と思っていたかもしれません。何かできるっていう感覚と、喜んでもらえるっていう感覚を築いたんです」と、山田氏は当時を振り返る。
こうして帰国後に自分の茶会をスタートさせた山田氏。「山頂についたらみんなでコーヒーを飲むのに、なぜお茶を飲まないんだろう?」という発想から、富士の山頂やフランスの山頂での茶会などを企画。アスリートのアイデンティティと陶芸のみならず、茶道まで繋げる活動を広げていった。
「もともとの“アスリート陶芸家”っていう肩書き自体も、ただ自分のアイデンティティを示すもの二つをくっつけただけなんです。でも、自分の作品には自分の経験が全部入っています。肩書きは、抽象的なものがどう見えるか、どう捉えるか、みたいなものの象徴の一つと思っています。この肩書きのおかげで覚えて貰えている反面、肩書きが強すぎるせいで僕自身も説明しにくくなってるっていうジレンマも感じます」
その人の「みたて」を引き出したい
茶道を通じて、山田氏は「みたて」という概念を重視しているという。ビジネスの中でも「私の見立てでは……」という会話は多いが、その意味について考えたことはあるだろうか。
「由来を辿っていくと、もともと中国から漢詩として入ってきたもので、和歌とも繋がっています。茶道の中では、千利休の”見立て”があって花開いたわけです。僕自身は“ひとつのものを見た先にある、時間的・空間的な奥行き”が『みたて』だと思っています。僕はいつもテーマにしてるのは、『自分だけの美意識は、絶対に他の人に犯すことができない領域』っていう感覚なんですよね。それが今の時代、一番必要とされている気がします」
伝統的な茶道に触れるなかで、山田氏は「みんな、もうちょっと自分の『みたて』をすればいいのにな」と思ったという。茶道では、見立てを通じて家元の美意識に触れることができる。だが一方で、家元が見出したものに対して「私はこう見える」とは言いにくい。美しい世界を見た人の見立てで固まってしまいがちだ。
「何焼きとか、誰が作ったとか、何代目とか、それはそれで価値を定めるためには非常に有効なものですけど、その人が美しいと思うかどうかとは関係のない話だと思うんですよね。僕としては『あなたに何が見えますか?』を引き出す世界を目指したいと思いますし、それが『みたて』だと思っています」と山田氏は語る。
水上も、千利休が語っていたことは本当にそれに尽きると思っている。代々家元が美しいと思う型を学ぶことは大事だ。しかし、その後に自分が美しいと思うもの、自分でお財布を開いて手に入れたいものはどれかを“見立て”ることを磨かないのはもったいない。
私自身、その土地に伝わる文化資源に触れるために地方を巡るツアーを企画しており、昨年の夏は九州大分の小鹿田焼(おんたやき)の里を訪ねた。民藝と言われる小鹿田焼は、日用食器が中心だが、飯茶碗を抹茶茶盌として使ったり、酒器に花をいけたりして、春には小鹿田焼の道具で茶会を催した。これが本来の見立ての楽しみ方だったはずだ。
自分自身の心を内側に向ける
さまざまな肩書きを持ちつつ、それぞれを上手く活かしながら独自のスタンスで活動を続ける山田氏。そのビジネスの仕方は、一つの会社で専門性を高めていくという、旧来的な日本の働き方とは異なるものだ。同氏は、自分のスタイルをどのように捉えているのだろうか。
「『必ずしもひとつのことを極めなくても良い』という思いはあります。いま、スラッシャー(スラッシュワーカー/複数の肩書や仕事を持つ人)という働き方がありますが、僕も結局それをやってるだけなんですよ。ただ、なにを掛け合わせれば良いか、選び方とチョイスが重要です。僕の場合は、陶芸とお茶とスポーツ、そして“話す”ということを掛け合わせている感じですね」
とはいえ、現在の形になるように狙ってブランディングしてきたわけではないという。「みたて」についても、「自分の作品を見てもらえて嬉しい」「この人はこう見るんだ」ということが面白くて繰り返していたら、いつの間にかそれが講座になっていたそうだ。
さらに山田氏は、ここに自身の根底にある民藝への思いも重ねる。
「もうひとつ話しておくと、僕にとってすべての師匠は、柳宗悦なんですよ。柳は茶道はやってなかったけれども、茶道自体はすごい愛していたんですよね。だからこそ痛烈な批判を言っています。ただ、SNSもないあの時代は強い言葉を使わないと思いが伝わらなかっただろうし、彼自身そういう性質だったと思うのでしょうがないと思います」
だが、山田氏の考えは柳宗悦とは異なるという。
「僕はどちらかというと手を繋いで、茶道の世界とうまくやっていきたいんです。『どうやったら遠州流に人を引き入れられるのか』『外部から盛り上げられるか』っていう感覚でやっています。そこは柳とは違うところです」
おそらく昔は現代のように忙しく毎日を過ごしておらず、長い間お茶のお稽古に向き合えていた。そうして「型」を学びながら何年も過ごしていくうちに、日常の中で美しいものを探して育てるという気付きを得ることができたのだろう。だがいまは「十年やっていくうちにわかる」では若い人に伝わっていかない。だから短いスパンでも物事に集中する時間が必要なのかもしれない。
「柳宗悦は“審美眼”という言葉をよく使っていました。彼は仏教の世界の中にいて、実は僕も2年前に高野山真言宗で得度していて、お坊さんなんですよ。仏教の教えと柳の思想はすごく繋がっているところがあって、やっぱり自分の心がどう映るのか、それを磨いていくと審美眼になる。でも柳の見た美しい世界が審美眼になるわけではなく、一人ひとりそれぞれが美しさを見いだしていくことが審美眼であって、僕自身もそれが伝わるよう言葉を紡いでいきたいなと思っています」
最後に山田氏は、自分で選択することの大切さを語る。
「ビジネスでもなんでも、自分で選択することはすごく大切だと思うんですね。でも、誰かの目を気にして、注意を外に向けた状態で選んだことって、自分の選択ではないんですよ。僕が『みたて』で伝えたいのは、『自分自身の心を内側に向ける』というところなんです。とはいえ、いきなりできるものでありませんよね。だから日々の生活の中で10分でも15分でも内側に自分を向ける時間を作り、それを増やしながら精度を上げていく。そのためにお茶だったり陶芸だったりアートがあると思っています」