究極の環境対応車といわれているのが、燃料電池車であるフューエル・セル・ビークル=FCVだ。水素をエネルギー源にし、燃料電池で空気中の酸素と反応させて、電気エネルギーを得る。水素と酸素を反応させるわけだから、出るのは"水"だけというクリーンな乗り物。環境負荷が今までのクルマと比べると圧倒的に少なく、今すぐにでも普及させたいクルマだが、まださまざまなハードルがある。
ブレークスルーしなければならない課題は多いが、将来のモビリティを考える上で重要なクルマであることは間違いない。そこで日産が現在開発を進めているX-TRAIL FCVに試乗し、インフラを含めた課題を追ってみた。
黎明期のFCVは今はなきメタノール改質式
日産は1996年に燃料電池車の開発を本格的にスタートさせた。それまでにも、コンセプトや技術的な発表はあったが、実動するクルマとしては90年代がFCVのスタート地点と言っていいだろう。1999年には車両実験を開始。当時は経営難が続く中での開発だったはずだが、それでも開発を止めなかったのは、将来生き残りを左右する技術であると考えていたからだろう。
当時の車両はルネッサをベースにしたFCVで、今とは違いメタノール改質式の燃料電池を搭載していた。メタノールを改質して水素を取り出し、燃料電池に使うというという方法は、多くの自動車メーカーがトライ。だが、現状を見ればこの方式のFCVはほとんどなくなってしまった。それは改質して水素を取り出す技術が難しいことと、スタートまでに時間がかかるというのがネック。クルマはクイックな始動性が求められるにもかかわわず、改質して水素を取り出していると、どうしてもタイムラグが生じてしまうからだ。
このころから各自動車メーカーは水素そのものを車載して使う、現在のFCVのスタイルになっていった。日産も同様で、経営面でパートナーシップを組んだフランスのルノーと5年間の共同開発プログラムをスタート。当時は北米で販売されていたエクステラをベースにした高圧水素式のFCVを開発。2001年4月にはアメリカ・カリフォルニア州サクラメントを拠点にして公道走行実験を開始している。
V字回復とX-TRAIL FCVの誕生
日本政府も2002年、ようやく、FCVを本格的に研究開発しようと、経済産業省が実施するJHFC(ジャパン・ハイドロジェン&フューエルセル・デモンストレーション・プロジェクト)がスタート。もちろん日産もJHFGに参加し、同年の12月には現在のFCVにつながるX-TRAIL FCVを誕生させている。これは商品や技術、リサイクルなどの環境保全の取り組みを決めた中期環境行動計画、「ニッサン・グリーンプログラム2005」の後押しもあって登場したもの。日産のV字回復を実感させられるものだった。
02年に国内公道実験を開始した初代X-TRAIL FCVはリチウムイオンバッテリーを搭載し、水素も350気圧のタンクを備えるトップクラスの性能だった。だが、肝心の燃料電池はアメリカのUTCFC社製。それまで使っていたバラード社は、燃料電池の技術開示をまったくしなかったというからUTCFC社のほうがよかったわけだが、心臓部である燃料電池の自社開発は日産の悲願でもあった。
燃料電池を自社開発へ
自社開発の燃料電池を搭載したのは2005年12月。経営状態も安定し、日産にパワーが戻ってきたことを実感させる出来事だった。神奈川県横須賀市にある日産・追浜(おっぱま)工場内のテストコースで試乗させ、できたばかりの燃料電池の研究施設も公開した。この分野は各メーカーとも最先端の技術だけに、開発現場を公開するというのは異例中の異例だった。
追浜工場内にある燃料電池の研究施設を2005年に公開したときのもの。こうした施設を公開するのは異例で、この写真は車載状態のスタックを評価しているところ |
当時の低温大型単セル評価装置。2008年8月に発表した新型スタックはホンダのVフロースタックと同様に、金属セパレーターを使うことで高性能化。氷点下での始動性にもめどをつけているという。今シーズンの冬に北海道の陸別試験場で実証実験をするようだ |
このX-TRAIL FCVのエクステリアは2003年に発表されたモデルとそれほど変わりがないが、注目は中身。燃料電池スタックを自社で開発したのが最大のトピックスだった。スタックのサイズは03年モデル搭載のUTCFC社製スタックと比べて、なんと約60%もの小型化に成功しているのだ。さらに発電能力は63kWから90kWへと大幅に向上させている。最高速度も150km/hまで向上。また、このモデルでは高圧水素タンクの容量を15%小型化しているにもかかわらず、自社製のスタックの発電効率が向上したことで、370km以上の航続距離を達成している。これは当時の燃料電池車のトップクラスと肩を並べるものだ。自社開発スタック搭載のニュースと同時に、日産は700気圧の高圧水素タンクを搭載することも発表した。これによって航続距離は従来の1.4倍となる500km以上に向上。実用上問題となる航続距離に対するめどもつけた。
車両実験の開始から約10年目のX-TRAIL FCVにあらためて試乗
日産X-TRAIL FCVに乗るのは久しぶりだが、銀座の日産本社ギャラリーにいつものように音もなく現れた。正確には試乗日が雨だったため、タイヤが跳ね上げる水によるロードノイズが聞こえてくるためまったく無音ではないが、通常のガソリン車と比べると圧倒的に静か。あたりまえだがエンジン音や排気音などはなく、スルスルと走って目の前に停車。
ベースは先代X-TRAIL(T30)のままで、基本的には2005年に発表したモデルとメカニズム的には変わっていないという。イグニッションをオンにすると一瞬でシステムが起動する。スタックの異常や水素漏れがないかなどのシステムチェックをしているのだが、ほとんど一瞬で終わってしまうためスタート前の準備時間はほぼないに等しい。ガソリン車から乗り替えてもスタートまでに違和感はない。ただ、スタートできることを示す「READY」の文字が点灯しても無音のまま。ハイブリッド車もエンジンが始動しない場合無音のままだが、こうしたクルマに接したことがない人は静かなままの車内にビックリするはずだ。
だが、よく聞くとわずかだがクルマから音が聞こえてくる。これは空気をコンプレッサーで燃料電池に送るための音だ。前述のとおり燃料電池は水素と酸素を反応させて起電させるシステム。酸素を供給するために空気をコンプレッサーで送り込んでいるわけだ。通常と同じセレクトレバーでDレンジを選んでアクセルを踏めば、ほとんど音もなく滑り出すように進む。アクセルの踏み込みに応じてインパネのパワーメーターが上昇する。アクセルを踏み込むとグッとトルクを出して加速するのがわかる。低回転時に大きなトルクを出せるモーターならではの加速感だ。加速感は極めてスムーズで、アクセル操作に対する加速度にも違和感がない。
市街地では周りのクルマのノイズが大きく、自車のシステム音を含めてほとんど聞こえてこない。それに試乗時はあいにくの雨天だったため、走行音にシステムの音はかき消されほとんど確認できなかった。それほど静かに走るのがFCVなのだ。以前試乗したときはドライ路面だったため、コンプレッサーの音のほかにインバーターからと思われる高周波音がわずかに聞こえてきたが、今回はそうした高周波音も確認できなかった。
首都高速も走ったが高速域の加速性能も不満がない。アクセルを踏み込めばレスポンスよく加速し、追い越し加速もラクラクだ。息の長いトルク感のある加速はモーターならではだ。車重が重くなっているため乗り心地には多少硬さを感じることもあるが、一般的な使い方では、すでに問題となるような点はないように思える。このまま実用化しても問題がないと思えるほどの完成度なのだ。だが、クルマとしてのハードはある程度市販車に近づきつつあるが、水素の供給というインフラについては、また別の高い高いハードルがある。
水素ステーションで未来の燃料チャージを見てみた
現在各自動車メーカーが開発にしのぎを削っているFCVは、その多くが圧縮水素を使っている。日本もJHFCで水素ステーションも建設し、インフラの検証を進めてきた。都心近くでは固定水素ステーションが6カ所あり、移動式水素ステーションも2カ所ある。こうした水素ステーションもいろいろなタイプがあり、千住水素ステーションはLPG(液化プロパンガス)や都市ガスを改質して水素を取り出すタイプ。今回取材させていただいた、有明水素ステーションは液体水素を貯蔵しておいて、それを圧縮水素ガスにしてFCVに供給するタイプだ。
お台場近くの有明水素ステーションは昭和シェル石油、岩谷産業などが運営している。水素ステーションは水素をどのようにして供給するかによって、2つのタイプに大別される。「オフサイト型」と呼ばれるのが水素ステーションの外で水素が造られ、タンクローリーなどで運び込まれるタイプ。「オンサイト型」と呼ばれるのがガソリンやLPGなどをステーションで改質し、その場で水素を作り出すタイプだ。オフサイト型が今回取材させていただいた有明水素ステーションで、オンサイト型が千住水素ステーションなどだ。
有明水素ステーションは、鉄鋼所のコークス炉で発生する「副生水素」を使っている。これを液化してステーションに運び込んでいる。気体を液化することで新たにエネルギーを使うことになるが、気体のまま運ぶことは効率が悪すぎるためだ。だが、液体水素もFCVに充填(じゅうてん)するまでにはロスがある。液体水素を気体に戻し、さらに350気圧まで圧縮する過程で20数パーセントのロスが出るという。こうしたロスを無くしていくことも必要だ。それにステーションの建設費を下げることも重要。現在は水素使う上でいろいろな合わない法規制があったりして、結果コストが上昇しているが、2015年までに水素ステーションの建設費を2億円に抑えることが目標だという。現在のガソリンスタンドが数千万円で建設できるのと比べると、まだまだハードルが高いことがわかる。 このように水素ステーション1つを取ってみても、どのような方法がいいのか現在検証している段階。水素ステーションの数ばかりに目を向けがちだが、現在は実証段階で次のフェーズはまだ先だ。
水素ステーションでは、運用ノウハウの蓄積に加え、省資源性と低炭素性を実証実験中。データの蓄積のためか、ディスペンサーのパネルには、水素充填量だけでなく、液体水素ポンプでの消費電力量や水素ロス量も表示される |
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もう1つ重要なのが水素をどのように作り出すかだ。究極のエコカーであるFCVだが、水素を化石燃料から作り出していては本当のエコではない。太陽光発電や風力など再生可能エネルギーを使って水素を作り出すことが求められているわけだ。もちろん過渡期では水素を化石燃料から作るというのは仕方がないことかもしれないが、将来は再生可能エネルギーを使うことが必要になってくる。究極は太陽電池や風力発電などの自家発電で水素を作り出し、マイカーに水素を充填(じゅうてん)することだ。
次世代の日産FCVが登場する!?
今年、日本で8年ぶりに開催された主要国首脳会議(サミット)。第34回サミットは7月7日から9日まで北海道洞爺湖で行われたが、それに合わせて各自動車メーカーは環境関連技術や新型燃料電池車を相次いで発表した。日産もX-TRAILのクリーンディーゼルを洞爺湖に送り込んだが、FCVに関する話題はなかった。
サミットから約1カ月後の8月6日に新型の燃料電池スタックを発表し、同時に2010年に投入する電気自動車や新型ハイブリッド(後輪駆動)、新型リチウムイオンバッテリーを発表した。さらに1カ月後の9月5日には世界初のシリコンカーバイト(SiC)素子を使用した車両用インバーターを発表している。EVはもちろんFCVにも関連する最先端技術を相次いで発表した。とくに燃料電池はセパレーターを従来のカーボン製から薄型の金属製に変更して高性能化。スタックの体積は従来の90Lから68Lと大幅に小型化し、出力は90kWから一気に130kW向上させている。また、白金の使用量を1/2に削減すると同時に触媒の耐久性も高めている。今後注目されるのは、この新型スタックと新型リチウムイオン電池、シリコンカーバイト(SiC)素子のインバーターを使った、次世代のFCVの登場だ。
次世代の日産FCVは現在ベースとなる車種選定を進めている段階のようで、近々新型スタックなどを搭載したモデルが登場しそうだ。スタックが高性能化したことでX-TRAILよりも大型の車両にも使えるということなので、新型ムラーノFCVが登場することになるのかもしれない。まだ研究段階のFCVだがターニングポイントは2015年。水素ステーションを含めて2015年には市販のフェーズに移行する。