"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。
Vol.9 「KEINEN」大工・六鹿崇文
今回ご紹介するのは、大工のむっちゃんこと、「KEINEN」の六鹿崇文(むつが・たかふみ)さんです。1985年、瀬戸市の隣町「トヨタ自動車」のお膝元・豊田市で生まれ、7年間「トヨタ自動車」で働いたのち、2015年に大工の道へ。主に古材を使ったリノベーションで人が集まる空間を手がけているむっちゃんは、現在、瀬戸市内の商店街の空き店舗を借り、建築チームと自身の事務所の改装を進めています。なぜ会社員から大工になったのか? 今、地域で大工になるというポテンシャルについて、語っていただきました。
会社を辞め、なぜ大工を生業に?
「トヨタ自動車」でエンジン開発のエンジニアとして働いていたむっちゃん。大工の道へと続くきっかけは、25歳のときに会社の後輩に誘われて訪れた、沖縄最南端の波照間島への旅でした。そこで、初めてゲストハウスに宿泊し、働き方や価値観ががらりと変わります。
「それまで僕は、ほとんど町から出たことがなかったんです。豊田に住んでいると、大学に行って企業に勤める人が多く、サラリーマンとしての生き方しか知らなかった。でも、ゲストハウスには、いろんな働き方や価値観の大人が集まっていることにすごい衝撃を受けた。なんか知らんけど、『今の働き方は違う』と思ったんです」
とはいえ、自分が何をしたいかへの答えはなかなか見つからず、ほかにも旅をしながら考えていた。けれど、28歳のとき、「自分が体験したことを味わってほしい」という結論にたどり着き、ゲストハウスのオーナーになろうと決めて退職する。
空間でおもてなしする
まずは宿業を学ぶ必要があると、県外のゲストハウスオーナーのもとで1年ほど、住み込んで経営や運営の仕方を学んだ。そのときに、ときどき泊まりがけで、宿の修繕にやってくる大工のくまさんという方がいて、その手伝いをするうちに、大工の仕事に興味を持ち始めたといいます。
「なぜゲストハウスがやりたいのかを改めて考えたときに、ゲストハウスは、人をおもてなしすることが基本だけど、ゲストハウスに限らず、おもてなしする『空間』がいいなと思ったんです。人が行き来する空間のなかには、必ず居心地のいい場所があって、そういう場をつくる仕事をしたかったと気づいたんです」
とはいえ、30歳で大工になるというのは、なかなか決意のいること。
「そこに対するハードルはくまさんが下げてくれました。くまさんはひと回り年上だけど、元サラリーマンで、僕が大工になろうとした年齢で大工になった。それで、30歳ぐらいからでもなれんでもないな、頑張ればなれると思った」
家を自分で直せれば、人生に大きなお金は必要ない
大工になろうと決めた。では、どうやって大工になるべきか。
最初に浮かんだのは訓練校。けれど、学校はあくまで学校で、時間もかかるし、やりたいことが本当に勉強できるのかという心配もあった。そんなある日、実家をリフォームすることになり、やってきたのが、のちに師匠となる親方だったといいます。
「見積もりのときに、うちの親が勝手に僕の事情を説明して(笑)、『うちの息子が大工さんになりたいって言ってるんだけど……』と相談したら、親方から『1回やってみたらいいんじゃない?』といってもらえたんです」
それをきっかけに、親方と息子さんという小さな会社で、家族におじゃまするような形で大工への道を出発。仕事の9割はリフォームだった。
「親方は昔からの大工さんで、大工というと家だけを触るんだけど、水道屋さん、電気屋さん、左官屋さん、外構のお抱えの職人さんがいて、みんな家族みたいでした。
職人さんがやる直前まで作業していたおかげで、大工の枠を超えて、自分の手でゼロからつくれるようになりたいと望んだことが叶い、『生きる』という技術を学べた。家を自分で直すことができれば、人生にそれほど大きなお金は必要なくなる。いい仕事を選んだと思います」
2年半ほどの修行を経て、独立。すぐに大工の仕事はあるのか? と心配する人も多いかもしれないが、むっちゃんは独立してから、ずっと忙しそうだ。
2017年に独立し、その年の9月には、豊田市のコミュニティスペース(現・ゲストハウス)「kabo.」を任された。2018年には念願だったゲストハウスを任される。それが、瀬戸のゲストハウス「ますきち」オーナーの南慎太郎君からの依頼だった。「ますきち」が誕生してからというもの、1年間に瀬戸だけで飲食店や作家のアトリエ兼ショップ、花屋など、店舗改装を中心とした多くの依頼が舞い込んだといいます。
「瀬戸では会社員よりも起業する人が多いので、大工が求められていますよね。ものづくりの町だけあって、自分で何かをやりたい人の絶対数が多い。豊田だと、起業する人が少なくて僕はいつも変わり者。でも、瀬戸はツクリテやクリエイターが多くて、新しいことをする人たちでも、すごく柔軟に受け止めてくれている気がします」
瀬戸の町を建築の力で魅力的に
むっちゃんは今、「ますきち」のすぐ近くにある「銀座通り商店街」で空き家になっていた、2階建ての「旧銀座茶屋」の物件を借りている。
大家さんは南くんの友人で、物件ではなく借りたい人を紹介するWebサイト「さかさま不動産」の代表・藤田恭兵さん。まだ28歳。本人も、空き家を使って10軒ほどのシェアハウスや飲食店などを手がけている。むっちゃんがFacebook上で自分の事務所や拠点となる物件を探していたところ、「使う?」と連絡があり、家賃も条件もよくタイミングが合い、昨年、借りることに決めた。
「ここは大家の恭ちゃんが、挑戦があふれるおもしろい世の中にしたい! と物件を買い取り貸してくれた場所。僕は今、大工も、設計士も、デザイナーも、大家さんも、オーナーも、みんなが“当事者"になって、お店づくりをしていくと、いいお店になっていくんじゃないか、と思っています。ここはその可能性を試す、本気の遊び場ですね」
現在の計画では、1階の奥にはむっちゃんの事務所兼加工場兼アトリエをつくり、手前の表向きの開かれた場は、飲食というコンテンツを使って人を呼ぶ場所にする可能性もある。
「終わりを決めず、やりたいことをやり続けていく“終わらない建築"をめざしています。終わりを決めず、やりたいことをやり続けていくことを建築という手法を使って、どう表現できるかという壮大なイメージがあります。建築にはつくる建築もあるし、つくらない建築があると思っていて、空間、場をどう人に提案していくかを試していきたいですね」
さらに、2階は以前からの知り合いだった、20代の若き建築家チーム「ツナアーキテクツ」の鈴木裕太さん、森友宏さんが、豊田市、岡崎市からそれぞれやってきて、2人で事務所として借りることになった。すでに、3人でチームを組んでの仕事も始まっている。
「瀬戸の魅力は昔が今も残っているところ。町を切り取ると、どの時代のいつなの? という錯覚に陥る。新しくは到底つくり出せない。町の人たちはなんとも思ってないかもしれないけど、僕には今の状態が宝に見える。今の状態を建築の力で、もっと多くの人に魅力的に映るようにしたいですね」
空き家が社会問題となっている今、大工は、ひょっとしたら時代に強く強く求められている職業なのかもしれない。