"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。
Vol.14 Art Space & Cafe Barrack・近藤佳那子
アーティストが集うアトリエ「タネリスタジオ」の1階に、美術家ふたりが開く「Art Space & Cafe Barrack」が2017年に誕生した。アートとの関わりを模索しながら、教員から独自の道を切り開いた、近藤 佳那子さんにお話をおうかがいしました。
美術に関わる仕事がしたいと、教員の道へ
名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から徒歩10分ほど。「せと末広町商店街」のすぐ近くにある「Art Space & Cafe Barrack」。店内へ入ると、手前がカフェスペース、奥はパートナーの古畑大気くんがディレクションするギャラリーがあり、定期的に変わっていくアートの展示を楽しめる空間になっている。
近藤さんは、愛知県立芸術大学を卒業したあと、非常勤で高校の美術の先生と美大予備校の先生をしながら、美術家として作品を発表する道へ進んだ。
「うちの大学でいうと、作家になりたい人は、絵だけでは食べられないから、中学校や高校の非常勤をしながら、制作をしていく。軌道にのれば、作家として活動していきたいなあ、という人たちが多かったんです」
卒業後、どう生きていけばいいのか情報がなく、例に習って働きはじめるも「なんか、違うな」と矛盾を感じ始める。
「美術と関わっているのに、美術と遠いところにいるなと思っちゃったんです。とくに予備校は1年で受験を受からせてあげないといけない。通常なら、5年とかかけて、得意なことを見つけていけばよかったことを、無理やり見つけて、その子のものにしてあげなきゃいけない。1年経ったら、また別の子たちも同じように指導していくことが、辛く感じるようになっていきました」
教員から美術をつなげる人へ
自分が絵を描く時以外の時間も、美術と関われるほかの道はないか?
そんなことを考えていたとき、「一緒にアトリエを使わない?」と声をかけてくれたのが、「タネリスタジオ」代表の設楽 陸さんだった。
そこで、近藤さんはアトリエとして借りるのではなく、作家主導で運営していくカフェギャラリーとして使いたいと相談したという。きっかけは、学生の頃、学内で『学食二階次元』という名前をつけて、パートナーの古畑くんや数名で学内外の人の作品を展示したり、外で展覧会に参加したりしていたことにあるという。
「学生としてではなく、一度、ちゃんと形にしてみようかなと思ったんです」
ちょうど陸さんたちも、開かれた場所がほしかったとのことで、美術と美術の奥にいる人たちが、つながれるようなスペースをつくりはじめる。
とはいえ、一見、安定したように見える教員の職を辞めることは、不安ではなかったのだろうか。
「予備校も、高校も非常勤でしたし、はなから性格的に安定は、あんまり関心がない(笑)。誰かと誰かがいて、何かが生まれる。そんなシンプルな関係が好きだから、そういうふうにしか生きられなくて、ここに辿りついちゃった。
思い切って、舵を切ったというよりは、こうしていくしか、楽しく生きていけなかった。自分にとって、いい方を選んでいったら、こうなっていった。だから、不安はあるっちゃあるけど、責任が持てる不安ですね」
近藤さんの暮らしの中心は、あくまでも絵を描くこと。
「もともと絵を描くことが好きで、それを続けたいなと思って、美大へ行ったんです。県芸は森に囲まれて、制作にはすごくいい場所ではあるんだけど、ひとりで絵を描いていると、あっという間に4年間が過ぎていってしまう。それに対する危機感みたいなことがあって、学生の頃は、もっとおもしろい人とつながりたいなという気持ちが強くて、場をつくっていた。
その延長線上に、今がある。自分が制作していくため、自分がどう生きていくのかを考えるために。だから、場所がつくりたいというよりは、絵を描いている以外の時間は、そういう時間にいられたら。絵を描いている以外の時間も、肯定して生きていきたい」
週の前半は制作、後半にカフェ営業
近藤さんの1週間のサイクルは、週の前半は出かけたり絵を描き、木曜日から日曜日はお店を開く。
「収入を得ながら、制作ができたらなと考えていたので、選択肢は週4日にするか、3日にするか。でも、週3日の営業はさすがにきついかな? 生活できないかなとか考えたり。ギャラリーで展示もしてもらうから、作家さんも最低でもそれぐらいはみてもらわないと、とかその兼ね合いで決めました」
営業日は少ないものの、今では、店先を歩くと、いつも誰かしらがいて、にぎわっている。お店が軌道にのるまでを聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「いや、まだのってないんじゃないか、という感じです。気づいたら、4年目に入っていたという感じです。お店を軌道にのせるために、すごい必死になった記憶もないし、すごい不安になった記憶もない。ずーっと低空飛行で、なんとか足をつかずにやってこられました(笑)」
お店にやってくるのは、地元の方もいれば、県内外のカフェ好きのひと。さらに、ジャンルが違う作家さんや、もちろん美術関係者も多いという。
「瀬戸にはものづくりをする人たちがすごくいっぱいいるな、とびっくりしました。しかも、みんな趣味とかじゃなくて、ちゃんと食べている作家が多い。すごくいい作家が集まっているから、それを単純に見せたくなって。そういうシンプルな動機でスタートしたのが、『瀬戸現代美術展2019』です」
「瀬戸現代美術展2019」を開催
「瀬戸現代美術展2019」は、「Art Space & Cafe Barrack」の企画・運営で、「あいちトリエンナーレ2019」の期間中に開催された。Barrackのふたりの声かけで、瀬戸にゆかりのある29組もの作家が参加。会場は日本で唯一の国立陶磁器試験所だった場所があると知り、現在は使われていなかった場を交渉からはじめた。
「地元の作家を地元で見せるためには、やっぱり瀬戸の窯業というのが、ベースにあるのは間違いない。なぜ瀬戸に作家が集まるかというと、窯屋さんが辞めた工房に、作家が入り込んでいたりとか、窯業の歴史があるからだと思うんです。
だから、そういうものの上に、現代美術をやる人たちがいて、そこでどういう表現ができるか。どういう作品が生まれているのかを見せたかったので、この場所でやりたかったんです」
準備期間は1年ほど。すべて手探りだった。運営費は、数十万円の補助金が決まっているのみで、あとは寄付だった。
「市役所の持ちもので、入場料が取れない場所だったので、見てくれたら、応援してくれるだろうと、いいものをとにかくキープすることを心がけました。そこに委ねるしかない。でも、信頼して、ご寄付をつのりました。作家がよかったので、絶対に人はくると思っていました。
私は助成金をひょいひょい取ってこられるタイプでもないし、とにかく1個1個問題を解決していく。この事例は、ほかのひとに何の参考にもならないと思います(笑)」
けれど、近藤さんの絶対開催する、という鉄のような意思は、多くの人を動かした。市役所の方がボランティアで敷地内の草を刈ってくれたり、必要な機材を貸してもらったこともあった。
会場設営は古畑くんが中心に進めつつも、「あいちトリエンナーレ」の会場を設営している人が、手伝ってくれたことも。ポスターやパンフレットは、ずっと一緒に仕事をしてくれていたデザイナーに、市内での理解を広げるため広報も瀬戸をよく知る人に、作品は作家さんにすべてお任せした。
「私は調整をしただけ。信頼できる人がたくさんいたのは、めちゃくちゃ大きかったです。本当に。そのおかげで、最後の最後まで、楽しい! をキープできて、次もやりたいし、やってよかったです」
この美術展には、合計で約2,000人が訪れ、何度も通い詰めるリピーターがいたり、著名な美術家も訪れたり、「気持ちが良かった」「救われた」と泣いてくれた人もいたという。
「やってよかった。同時期に開催していたあいちトリエンナーレなどの国際芸術祭は、映像作品が多かったり、ポリティカルなものが多かったり、海外から作家を呼んだりするのが特徴でもあるのですが、ここは土地の特性や歴史も相まって、絵画や彫刻といった体を使って触って作っていく作品が多かった。その土地で生まれたものを見せるみたいな対比があったから、よかったのかな」
近藤さんは、「3年に1度の開催を目指して、頑張りたい。大変だけど」と笑う。
最後に近藤さんにとって、「働く」とは何か聞いてみた。
「人と出会うこと。それが自分の糧になっているというか、おもしろくて、やっています。ものをつくる喜びと、人に出会う喜びみたいなもの。
ごはんも、つくること。私にとって、絵を描くほどの高揚感はないんですけど、日常のささやかな喜びみたいなもので、それが楽しいから、続けられているんだと思います」
みなさんは、暮らしのなかで大事にしたいことは何ですか?
写真:濱津和貴