"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。
Vol.11 翠窯・穴山大輔
2013年に瀬戸で開窯した窯元「翠窯」は、今、瀬戸で最も勢いのある窯元のひとつです。4人の従業員とともに“カレー皿”を主力商品に年間7,000個を製造・販売しています。
コロナウイルスの影響により、売上はおよそ8割減。追い込まれるなか、以前ご紹介した牧幸佑さん、南慎太郎君を誘い、陶芸を学ぶ人へ向けた臨時学校「コネル陶芸大学 Zoom校」を開校し、新たな動きを見せています。「withコロナ時代の働き方とは?」をテーマにお聞きしました。
いち作家から窯元の代表へ
古き良きものを、現代の食卓へ――。そんなメッセージを込めて、うつわをつくる窯元「翠窯」。栃木県出身の穴山さんが、瀬戸にやってきたのは、2004年のことだった。
「瀬戸にある陶磁器とガラスの研修施設『新世紀工芸館』に入りたい、と思ったのが一番ですね。当時は学生で、産地のことはよくわからなかったんですが、愛知万博前で町に熱があった。『瀬戸がいいな』と思ったのは、歴史的に絶対的な窯業地ということです」
大学時代には作家として活動し、自己表現としてのオブジェをつくっていた。けれど、研修生時代に瀬戸で活躍する大先輩の作家さんに骨董の世界を教えてもらい、その美しさに魅了された。
「中国陶器の骨董は、釉薬もきつく、トゲトゲしていて激しいんですよね。でも、瀬戸で生まれた、日本初の釉薬『古瀬戸』はやさしかった。おわんに、ただの灰がかかったシンプルなもの。ものすごくあっさりしていて、美しかった。こういうよさを引き出したい。かつて宝石といえば、翡翠をさしたように、『自分自身の価値観で美しいものをつくりたい』と思いました」
コロナの影響で売上は8割減
一見、穏やかな穴山さん。けれど、見た目とは違い、その想いは窯の温度のように熱い。
「骨董の世界を知り、『僕も歴史に残りたい』と感じ、それが目標になりました。やきものは残る。本当にいいものをつくるだけでは残れないし、それなりのことをしなければいけない。そのためには、歴史的な産地の瀬戸で、名実ともに、一番にならなければいけないと思っています」
窯跡には陶片だけで、山がいっぱいできあがっていた。その結果、見えてきたことは、残るためには数をつくらなければいけないということ。それから器と向き合い、数をつくる体勢を整えるために、作家ではなく、窯元を新たにつくることに決め、生産体制を整えた。
瀬戸では、昔からの窯元が次々と廃業するなか、「翠窯」は独自の販路開拓によって、東京を中心に展開するセレクトショップ「AKOMEYA TOKYO」や生活雑貨のチェーン店「LOFT」などでの販売を中心に、複数の店舗におろしている。また、半分はイベントやオンラインなどで直売もしている。
ところが、新型コロナの影響で、売上がぴたりと止まった。イベント開催の中止が夏まで相次ぎ、直売はゼロ。卸先の店でもお客はおらず、現時点で売上が8割減少した。
「武漢で発生したときから、経営者としてそれなりに危機感を持っていました。2月上旬には東京ドームでの器販売のイベントもありましたので。その時点で、3カ月後を見越して、『この時点でもしもこうなったら、こう動く』という予定を立てていたんだけど、全部想定していた最悪の状況にハマってしまった。その結果、工房の計画としては、来年の4月までは売れなくてもいい、ということにしました」
借金を増やし、1年間は準備期間へ
とはいえ、「翠窯」には、職人で奥さんの文香さんをはじめ、4人の従業員を抱えている。
「働いてくれている人たちには、『来年4月からめっちゃ売るから、つくろう!』と伝えています。そのために借金を増やしました。将来的に、コロナは終息するだろうと思ったので。4月になって、来年になっても終息していなければ、どうしようもない。そうなったら、まずいのはうちだけじゃない。仮に翠窯がなくなっても、しょうがない。死ななきゃいい。
僕の感覚では、来年の4月にはヨーイドンで、販売レースがはじまったらいいな。なってくれないと困る。薬ができ上がってくるので、変わると思うけど、今年12月にはそれがわかるはず。それまでに、どれだけの準備をしておくかです」
そんななか、穴山さんには、陶芸関連の学校に通えなくなってしまった学生のための臨時校を開きたい、という思いが浮上する。
「正直なところ、自分のことで背一杯でした。ところがある日、大学生がアルバイトに行けず、生活ができないというニュースを目にして、初めて学生の気持ちになったんです。陶芸業界の場合、オンライン授業の動きは、ずっと遅いだろうし、どうなるんだろうと。
瀬戸の財産は、やきものを勉強しようとしている人たちです。うちも毎年アルバイトをお願いして、来てもらったりしています。人が育たなかった場合、瀬戸という大窯業地の衰退にもつながってくるし、僕としても、町としても、本当に死活問題です」
このままでは、まずいのはわかりきっている。では、どうやったらできるのか。
1回の授業だけではなく、継続できる仕組みが必要だった。思いをめぐらせた結果、5月にオープンする粘土屋&工房スペース「CONERU」の牧幸佑さんと南慎太郎君に相談したら、「うまくいくんじゃないか?」と頭に浮かぶ。ずっと前から、ふたりとは仕事したいなあ、と思っていた。
「水曜日ぐらいに、学校の構想がぼんやりとでき上がって。この企画は、将来的にはうちにとっても、CONERUにとっても宣伝の意味があるはず。学生にとっても、役に立つ。三方良しだと思い、相談したんです。そしたら、ふたりとも相談した時点で腹は決まっていたような感じで、目を合わせて『いいよねー!』とすぐに決まって、嬉しくなりました」
そのまま、いつもお世話になっている瀬戸市の窯業学校の先生にも連絡。先生からアナウンスをしてもらいたいとお願いすると、先生たちもとにかく困っていて、協力していただけることになった。土曜日にはプロモーション用の動画を撮影し、日曜日には告知。1週間分の授業内容を伝えた。その間に、先生から直接の知らせがあって、生徒は100名を超えていた。
準備期間3日で、「コネル陶芸大学 Zoom校」開校
4月17日(金)に初めての打ち合わせがあり、4月20日(月)のスピード開校だった。facebookで生徒を集い、毎朝9時から9時40分まで、穴山さんが担任として授業を開く。
すでに、オリエンテーション、工房見学、1日のスケジュール作り・目標設定、実演(手びねり・ろくろ)といった授業が開かれた。その動画は「翠窯」のYoutubeチャンネルで、その日のうちにアップされている。
「始めてみたら、すごく広がりを感じました。僕の頭の計算機だと、日本には800人くらい、やきものに関わっている学生がいるはず。そこまでは広げたいなという思いはあったけれど、その先までは見えていなかった。瀬戸から山を越えてすぐの岐阜県多治見市で活動している若い陶芸関係者からも、『いいっすね!』と熱っぽい電話があり、南くんからは『学生に限る必要あります?』と聞かれ、来るもの拒まずになりました。
今は土地づくりで、耕してる感じですね。関わる人が増え、人と人のつながりができている。小さな畑が大きくなり、いろんなタネを植えられるし、咲かせて出荷させて、どうなるかまで無限に可能性がある。楽しいです!」
今は「コネル陶芸大学」に重点を置き、日々の授業に力を入れ、突き進んでいる穴山さん。とはいえ、振りきるまでには、「やきものの生産やめて、マスクを作ろうかな」と1週間本気で葛藤したこともあった。お金になる。でも、「みんな、マスクつくりたいかな?」。そう思って、やめた。
「これから、世の中は前代未聞の暗闇に突入していきます。でも、ただひとつだけわかっていることは、最初に走った人がその道のトップに行ける。これだけは絶対。いつのときでも、どんな時代でも。それだけは頑張らないと!」
やきものの業界で、新たなことを軽やかにスピード感を持って、動き続ける穴山さん。どこまで広がるのか、楽しみで仕方がない。