"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。
Vol.10 陣屋丸仙窯業原料・牧幸佑
瀬戸市は、1000年以上も前から今に至るまで、やきものをつくり続けている、世界にも類を見ない歴史ある産地です。その背景にあるのは、良質な陶土が採れる土地。ところが、そんな瀬戸の粘土が尽きるまで、あと10年。それよりも遅いかもしれないけれど、早いかもしれない、とも言われています。
今回ご紹介するのは、そんな瀬戸の土台を支える「陣屋丸仙窯業原料」の5代目、牧幸佑さん。大手企業を辞めて跡を継ぎ、新たな事業の立ち上げ準備中ということで、お話をおうかがいしました。
明治から続く陣屋丸仙窯業原料
名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅から、およそ1.3km。徒歩でも行くことができるほどアクセスのよい場所に、陣屋丸仙窯業原料はあります。
「わたしたちの会社は、簡単にいうと珪砂と粘土をつくっている会社です。珪砂というのは、ガラスの原料になるような砂のことですね。粘土は陶磁器の原料として使われたり、弊社の場合だと、建築用のタイルや電力会社さんの碍子(がいし)として使われたりすることが多いです」
その歴史は明治にまで遡る。祖先の牧仙太郎さんが名古屋から瀬戸に移り、陶磁器をつくる窯焼き、粘土製造業と、多角的に窯業関係の事業を始めたといいます。
ところが時代は第二次世界大戦へ突入。終戦間際には街が延焼するのを防ぐために、軍が中心市街地の一部の家を破壊。牧家はすべて潰され、全財産を失ってしまいます。そんなときに、「牧さん、この家に住まんか?」と助け舟を出したのが、陶工であり、窯元の元締めであった2代目川本桝吉さん。
初代は明治時代の1873年、日本が初めて国として参加したウィーン万博で、作品が好評を得て、「せともの」が世界へ輸出されるきっかけのひとつになった方。その家が、現在のゲストハウス「ますきち」です。
陣屋丸仙窯業原料という形になったのは、戦後まもなく。事業は軌道に乗り、今でも、供給が追いつかないほどの需要があります。しかし、1000年以上という長きにわたって採り続けてきた瀬戸の陶土が枯渇する、という危機に近づいています。
「あと何年持つかはわからないという状態です。僕は目安として10年と言っていますけれども、10年でなくなると言っている人もいれば、もっと早くなくなると言っている人もいます」
そんな危機的状況を表すように、いよいよ今年の4月から、粘土の原材料の価格が一気に30~40%値上がりすることが決定しています。
東京から地元へ戻って就職
そんな業界的には苦しい状況のなか、昨年の4月、幸佑さんは大きな決断をします。勤めていた企業を辞め、「陣屋丸仙窯業原料」5代目として跡を継ぐことにしたのです。
「小さな頃から、大きくなったら自分は社長になるんだ、という漠然とした思いはありました。けれど、東京の大学へ行き、いざ就職活動となると現実もわかってきたので、東京にある一部上場企業に内定をもらい、当たり前のように東京で働くつもりでした」
ところが、大学4年生の夏に両親から「名古屋のあたりで就職してくれないか?」という申し出があったといいます。
「僕が東京で就職したら、戻ってこないと思ったんでしょうね。ただ、家業を継いでくれ、とまではいわれませんでした」
就職した先は両親に紹介された、瀬戸市に本社を置く「河村電器産業」でした。
「はじめは両親に頼まれて瀬戸に戻ってきた、という気持ちが強く、会社の人にもそう伝えていました。本当は東京でバリバリ働きたかったので。瀬戸で名前も知られないような会社に、僕が活躍できる場所があるんかい? って、マジで思っていたんですよ(笑)。めちゃくちゃ嫌なやつですね!
でも、ふたを開けてみると、分電盤などの電器設備の業界では知らない人がいないほどの会社で、直近の年間売上は約590億円。従業員も約1,800人。瀬戸にこんな大きい会社あったの!? と驚きましたし、優秀な方も多く、入ってみたら、とてもいい会社だったんです」
入社後は営業企画部で、カタログをつくったり、展示会に出展するときの運営をしたり、ホームページの制作を担当。4年後には広報室へ。
「広報室への異動が人生の転機になりました。販売ではなく、社会や地域との関係性を築くためのPRのお仕事で、会社外の世界の人と関わるようになったんです」
週末には、自主的に瀬戸のいいところを見て回って、レポートを書いて、ブログで発信する、地域おこしのNPO法人にも所属するように。
「そのときに、初めて地元に目を向けたんですよ。自分の意思で瀬戸の町を見て回ったら、瀬戸にもいいところあるじゃん! と思えたんです。それまでは、東京でバリバリ働くはずだったという思いが強かった。でも、仕事だけの世界から外へ出ることで、初めて地元への愛着もわいてきたんです」
30歳になって家業を継ぐことを決意
さらに、現在、東京でカレーを通じて、新しいコミュニティをつくる「6curry」のカレープロデューサー・新井一平さんとの出会いもありました。
当時、一平さんは別の会社に所属し、河村電器産業の依頼で、仕事のパートナーとして瀬戸にやってきていました。幸佑さんは、そのときの窓口で、プライベートでも仲良くなり、「ますきち」が誕生する前から寝泊まりしてもらうほどだったといいます。
「一平君は、企業に属しながらも、当時からノマドワーカー的な働き方をしていたんですよね。今は普及していますけれど、すでにいわゆる"複業"をしていた。それに、瀬戸の商店街でカレーのイベントを開いたりもしていた。そういう姿を見て、こういう生き方があるんだ! という刺激を受けました」
地元には魅力がある。一平さんのような生き方の人もいる。そのふたつの刺激を受けたとき、幸佑さんはちょうど30歳になっていました。
「30歳になって、自分には何ができるんだろう? はたして、一平君のように、自分だけの名前で何をしてきたんだろうかと思ったんですよね。自分の力で何か大きいことを成し遂げられるのか、と」
そんな悩みを持っていたある日、お父さんから「最近は後継者がいなくて廃業する中小企業が増えている。お前が今の会社でずっとやっていくなら、いずれはうちの会社もそうなるかもしれない」と告げられます。
「ものすごく伝統があって、今では珪砂や粘土が貴重だから、惜しまれながらたたむ会社にはなる。でも、『どうせ辞めるなら、僕が一回やってみるわ!』といって、飛び込んだんです」
価値を上げるための新しい事業
それが2019年4月のことでした。
入社して、経営を担当することになり、驚いたのは、粘土の価格。1kgたった5円でした。それは業界全体の関係性があってのことでしたが、あまりにも安すぎた。これは価値を上げる必要がある。そのためには何ができるか?
そこで考えた新たな事業が、粘土屋&シェア陶芸スペース「CONERU」です。「ますきち」の南慎太郎君とともに、今年6月のグランドオープンを目指し、事業をスタートさせるべく進んでいます。
「 "やきもの"そのものではなくて、"粘土"をピックアップしたお店です。これまで、陶芸用粘土といえば基本的にはプロ向けで、一番少ない量でも20kgほどの単位からしか購入できませんでした。また、小さなアクセサリーをつくる作家さんでも、それほどたくさんの量は必要がない。加えて、陶芸には高価な窯も必要なため、ハードルが高かったんですよね。
そのハードルをぶち壊すべく、『CONERU』では粘土を1kg単位から販売します。さらに、粘土を購入していただいたお客様には、会員制で陶芸スペースを使っていただけるようにする予定です。焼成代は別ですが、電気窯も利用できます。これによって、多くの人に粘土をもっと身近なものに感じていただければ嬉しいですね」
この事業計画は、中小企業庁主催の「Japan Challenge Gate 2020 ~全国ビジネスプランコンテスト~」のファイナリスト8名に選ばれて、すでに注目を集めています。幸佑さんにとって、そして、これは全国にある窯業原料会社のひとつとしても、新たな挑戦になることは間違いありません。
3月には、初めての「CONERU」報告会も行われました。瀬戸市内はもちろん、県内のあちこちから30名以上が集まりました。地元の陶芸家や窯元さんの姿もあり、「100%瀬戸産の粘土で作品をつくりたいので、一緒に開発はできますか?」といった質問や、陶芸専攻の芸大生からは「鋳込み(陶芸技法のひとつ)もできますか?」など、質問も数多く出て、興味を持たれていることが伝わってきました。
最後に、改めてなぜ「陣屋丸仙窯業原料」の跡を継いだのか尋ねました。
「実は自分でも答えは出ていません。ただ、ロジックではない。根底には、瀬戸が好き、窯業をなんとかしたいという思いがある。人って、ロジックだけで動くものではないと思います」
いわゆる地元に続く名家で生まれ育ち、その分、背負うものも大きい幸佑さん。「ますきち」が誕生したのも、これまでは表舞台には登場してこなかった、大家さんでもある幸佑さんという存在があってこそ。
人それぞれ、自分にしかできないことはきっとあるはず。会社員でも、起業でも、会社員をしながら好きなことをする複業でも、家業を継いでも、どんな場所でも、今は自分で自由に選択ができる時代。
みなさんは、何を大切にして、生きていきたいですか?
写真=THDO.タカオヒロキ(陣屋丸仙窯業原料での撮影)