10月1日、来年4月から社会人になる娘の内定式がありました。コロナ禍ですから、オンラインで自宅からの参加です。とは言え、ちゃんとスーツを着て内定式に臨む娘を見て、妻は感慨深いものがあったようですね。子育てに手がかかる時期はとっくに過ぎていますが、それでも一つの区切りです。一人娘ですので、我が家の子育ては終わりが見えている、そんな感じです。

  • 娘の内定式の日に改めて感じた、子育てと介護の違い

一方、義父の介護は終わりが見えません。「終わって欲しい」とブラックに思っている訳ではなく、子育てとの比較で、という意味です。ライフプランセミナーでもよく紹介しますが、ある調査※によれば、介護の平均期間は54.5ヶ月(4年7カ月)です。でも、この調査では「介護中の場合はこれまでの介護期間による回答」となっています。介護の実態としてはこの平均期間よりも長くなるケースが多いのでしょう。実際、我が家の介護も10月でちょうど54カ月目を迎えました。娘の内定式とも重なったので、「子育てと介護は、先が見えるかどうかが違うなぁ~」と感じた次第です。

また、「休職」の目的も、子育てと介護の違いの一つだと思います。育児休職は子育てをするのが目的ですが、介護休職は介護をするだけではありません。むしろ、介護を続けるための体制づくりの方が大切です。介護は先が見えないからこそ、無理なく介護を続けるために家族から協力を得たり、介護サービスを上手に利用していくことが鍵になります。そんな仕組みをつくるのが、介護休職の目的だと思います。でも、最近は共働きが当たり前な時代です。もしかしたら、無理なく子育てを続けるために夫婦の協力体制をつくることが、育児休職の目的に加わっているのかも知れません。

もう一つ思うことがあります。子育てと介護では見える景色が違うのです。子育てでは、だんだんできるようになる様子を見ることができます。一方、介護では、だんだんできなくなる様子を見ざるを得ません。真逆ですね。だから介護は体力的にだけでなく、精神的にもキツイのだと思います。悪くなるばかりだと気も滅入っちゃいますよね。

でも最近、認知症の義父について気づいたことがあります。だんだんできなくなることが増えているけど、そして、だんだん忘れることが多くなっているけど、それでも義父の頭のどこかには尊厳とかプライドとか、そんな感情が残っていると感じるのです。そんな風に思うだけで、徘徊癖や特養入居者とのトラブルなど、傍から見れば奇異に映る義父の行動も、私の中では折り合いがつけられるようになった気がします。

以上は私の経験上の話です。全ての人の介護に当てはまる訳ではないでしょう。でも、人それぞれ、介護と折り合いのつけ方、それは考え方であったり、気晴らしであったりするのですが、何かそんなものがあった方が良いと思います。

※ 出所:生命保険文化センター「平成30年度生命保険に関する全国実態調査