3月初旬、大阪にいる父から電話がありました。母が自転車で転んで大腿骨を骨折した、とのこと。「まさか母が……」でしたが、「やはり母も……」との思いも。話は4年前に遡ります。

  • 不安を解消するために「いま、できる、こと」

4年前の3月下旬、自転車で買い物に出かけた義父が転倒し、大腿骨を骨折して入院したのです。退院を2週間後に控えた5月上旬、主治医から「お義父さんは認知症です。独り暮らしは難しいでしょう。自宅ならご家族の見守りが必要です。施設を探すなら相談に乗ります。」との話がありました。我が家に介護が突然やってきたのです。その後、地域包括支援センターへ相談→サービス付高齢者住宅へ入居→認知症病棟へ入院→特別養護老人ホームの見学、申込、入所待ちを経て、翌年8月の特養入所まで、義父の認知症に追われる毎日でした。とにかく、手あたり次第に思いつく限りの「いま、できる、こと」をやっていたような気がします。

父から電話を受けた時、義父の介護を続けている私でも「まさか母が……」でした。「元気で長生きしてほしい」という子ども心があったのかも知れません。でも、「やはり母も……」と思い直しました。これまでの介護経験から、母にも父にも何らかの手助けができるはずです。ですので、3月最初の週末に大阪の病院まで様子を見に行く約束をしました。ところが、折しも新型コロナが広がり始めた頃。母の入院先は同居の親族以外は面会謝絶になり、私の帰阪は取りやめに。3月中旬には父も入院中の母に会えなくなりました。

義父の時は初めての介護で、「考える」よりも「動く」ことしかできませんでした。でも「動く」ことで、介護の漠然とした不安や心配が随分解消されたように思います。一方、今回の母の場合は介護が必要になっても2度目なので、これから母に必要な手続きや対処法を「考える」ことはできます。でも、新型コロナの影響で「動く」ことができません。かえって不安や心配は増すばかりです。なんとも皮肉なものですね(苦笑)。

私はこうした経験を通じて、不安を解消するための「いま、できる、こと」とは、「考える」ことよりも「動く」ことなのだと改めて思い至りました。これは私生活だけでなく仕事でも、はたまた人生100年の備えでも、同じことが言えるのではないでしょうか。そして、今回の新型コロナの蔓延では、正論だけでなく異論や反論、フェイクニュースも含めて「考える」ことばかりです。最大の感染防止策が外出や経済活動を自粛することなので、「考える」よりも動きたいのに「動く」ことができない。そんなジレンマが不安や心配を一層助長しているのでしょう。

でも、自宅でテレワークをしていると、就職活動中の娘がSkypeで面接を受けている様子が聞こえてきました。妻もZoomで娘が小学校時代のママ友と飲み会で盛り上がっているようです。令和の時代は自宅に居ても、「動く」ことができるんですね!私もボヤボヤしてないで、SkypeやZoomで母に会おうと妻に相談したところ、「ガラケー同士じゃ、何もできないよ(笑)」。時代遅れな親子だったようです、母と私は……。