4つの輪っかが互いに重なり合いながら横一列に並ぶアウディのエンブレム。決して派手ではありませんが、シンプルで洗練されたデザインが上品でおしゃれです。このマーク、どんな成り立ちなのでしょうか? モータージャーナリストの内田俊一さんに聞きました。
「技術による先進」を掲げるアウディのルーツとは
オリンピックの五輪のマークは青、黄、黒、緑、赤の輪が重なってできている。これらの輪はオセアニア、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの5大陸を意味している。では、アウディの4つの輪は何を表しているのだろうか。答えはずばり、アウディの始祖となった4つのメーカーだ。
エンブレムが誕生したのは1932年のこと。それまで独立していたアウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーという4つの自動車メーカーが統合し、アウトウニオンという自動車メーカーが誕生した際に作られた。
4社の統合は、それぞれのメーカーが得意なセグメントを伸ばすことを目的のひとつとしていた。各社の得意分野は、
- DKW:モーターサイクルと小型大衆車
- ヴァンダラー:中級モデル
- アウディミッドサイズセグメントのプレミアムカー
- ホルヒ:プレステージカー
といった感じ。1969年にはアウトウニオンがNSUと合併し、現在まで続くアウディとなる。
では、それぞれのメーカーについて簡単に解説しておこう。
ホルヒは1899年11月14日にケルンで創立されたメーカーだ。創業者のアウグスト・ホルヒは自動車の黎明期に活躍した先駆的エンジニアのひとり。カール・ベンツのもとで3年間、自動車製造の責任者を務めたこともある人物だ。1904年、アウグスト ホルヒは会社をツヴィッカウに移して株式会社として再組織化するのだが、そのわずか数年後の1909年、利益を重視する経営陣との確執からホルヒ社を離脱。「アウグスト・ホルヒ・アウトモービルヴェルケ有限会社」を設立するものの「ホルヒ」の名前は使用を差し止められ、ドイツ語の「ホルヒェン」(「聴く」という意味)と同義のラテン語である“アウディ”として会社を設立することになる。
1885年にヨハン・バプティスト・ヴィンクルホーファーとリヒャルト・アドルフ・ヤエニケの2人のメカニックがケムニッツに開業した自転車修理工場が、後のヴァンダラーだ。彼らは自転車の製造からモーターサイクルに進出し、1913年には自動車分野にも参入した。そのときに発売した「プップヒェン」という小型2シーターは、ヴァンダラーの名を一気に広める役割を果たした。
DKWの創業は1902年、場所はケムニッツ。当初はスチームエンジンの部品である排出蒸気オイルセパレーターやクルマのマッドガード、ライトなどを製造販売していたが、1916年にスチームエンジンで走る自動車の研究を開始し、ドイツ語の「Dampfkrafwagen」(スチーム駆動車の意)の略である「DKW」を商標登録した。1919年までには「チョッパウ自動車工業」に社名を変更し、生産の主体を小型2ストロークエンジンに変更。1922年からは同エンジン搭載のモーターサイクルを「DKW」のブランド名で販売、大成功を収める。DKWのブランド名を冠した最初の小型4輪自動車が市場に登場したのは1928年である。
ドイツにあったこれらのメーカーが統合、合併し、今のアウディが生まれた。4つの輪が重なるエンブレムは、自動車黎明期に活躍した多くのエンジニアの魂が今のアウディにも脈々と受け継がれていることを意味しているのである。