カメラマンの一言で、コンプレックスだった大きなお尻を武器に変え、オーディション番組への出演をきっかけに「尻職人」としての活動を始めた倉持さん。2014年1月に立ち上げた「グラドル自画撮り部」でさらに注目を集めます。そもそも、倉持さんがグラビアアイドルを目指すようになったきっかけとは?

倉持由香(グラビアアイドル)
1991年11月6日、千葉県船橋市生まれ。13歳で芸能界デビュー、18歳から現在のGPRに所属し、グラビアアイドルとして本格的に活動を開始。「グラドル自画撮り部」の部長としても知られる。

雑誌のグラビアページに憧れて

――13歳でデビューされましたが、その経緯についてお聞かせ頂けますか?

お兄ちゃんの持っていた雑誌のグラビアページに憧れて「ここに載りたい!」と思ったんですけど、どうすれば載れるのかさっぱり分からなかったんですよ。

ただ、オタクだったので「声優グランプリ」(※1)を毎号買っていて、そこに声優養成学校の広告が出てたんです。とりあえず芸能界に入らなくてはいけないだろうとは思っていたので、ここが入り口かな~? と思って通うことにしたんですよね。

今から思えば遠回りだったんですが(笑)、当時の私にはそれしか情報源がなかったので。オーディション雑誌というものがあるのを知ったのは、ちょっと後でしたね。

学校で ならはしみき先生(※2)に、タレントの方向をすすめられて、チバテレビのアイドルオーディションを受けました。それに受かって、ひな壇に座るようになったのがデビューということになりますね。

その時は、いま自分がいる道が本当にグラビアアイドルに繋がっているのか分からなかったというのが正直なところです(笑)

※1 声優グランプリ:主婦の友社が発行する声優情報誌。声優のグラビアが豊富で、アイドル声優の登竜門的存在。声優を目指す人のための特集も多く組まれる。

※2 ならはしみき:アーツビジョン所属の声優。「ちびまる子ちゃん」のみぎわ花子役、「クレヨンしんちゃん」の野原みさえ役などが有名。

mixiのメッセージから仕事に

――2007年に「タリウム少女の毒殺日記」(※3)という映画に主演されていますが、「グラドル自画撮り部」にしろ「タリウム少女の毒殺日記」にしろ、倉持さんからはチャンスを逃さない力を感じます

「タリウム少女の毒殺日記」は、最初にお話を頂いたのがmixiのメッセージだったんですよ(笑)。当時は、事務所を移籍する合間で、お仕事を受け付ける窓口がそこしかなかったんですよね。

メッセージの最後に、「怪しいものではありません」っていう内容がズラーっと長文で書かれていて、逆に怪しくない!? って感じでした。本当に、ゴミ箱に入れる寸前でしたけど、まさか東京国際映画祭で作品賞を頂いて、ロッテルダムにまで連れて行って頂けるなんて……本当に捨てなくてよかったですよ(笑)。メッセージの中で、「君の目を見てビビッと来た、君じゃなきゃダメなんだ」って言って頂いていて、怪しいけどお話だけは聞いてみようって思えたんです。

※3 タリウム少女の毒殺日記:2012年制作、2013年公開の日本映画。監督と脚本はドキュメンタリーを得意とする土屋豊。第42回ロッテルダム映画祭に出品されて話題になり、第25回東京国際映画祭では「日本映画・ある視点」部門にノミネートされ作品賞を受賞。

チャンスを逃さないために

――そのチャンスを逃さなかった倉持さんの力もあったと思うのですが、そのために気をつけてらっしゃることはありますか?

常にアンテナを張るとか、多少怪しいなと思ってもとりあえず話を聞いてみる。やるかどうかはそこで判断すればいいから、とにかく話は聞いてみることですね。

あと、何かチャンスを掴んだら、次につなげるってことは絶対にします。たとえば地上波のテレビは、レギュラーがあるわけでもなく、たまに決まるっていう程度ですし。

その1本のためにマネージャーさんやスタッフさんが頭を下げて、動いて下さってるんですよ。そのチャンスを活かすにはどうすればいいのかってことに全力を注ぎますね。

放送後にネットニュースで取り上げられるにはどう振る舞えばいいのか、Twitterで話題にされるにはどうしたらいいのか、とか。取り上げられやすそうなキラーワードをトークに入れてみたり、座り方を工夫してお尻を見てもらったり(笑)。

チャンスがチャンスを生むように、常に全力で、とにかく全力で取り組むっていうことを意識してますね。

ふだん自撮りしている様子を再現

――幼い頃から夢だったグラビアアイドルになるだけでなく、チャンスを逃さずに活かしてきたことでこうして注目されているわけですが、最後に、倉持さんが考えている今後の展望について聞かせてください

今、24歳なんですけど、27歳くらいには裏方に回りたいなって思いますねー。

私にとってはグラビアアイドルって、芸能界にいる「理由」そのものなので、ここをステップに女優とか歌手になりたいっていうのはないんですよ。だから、27歳までにグラドル自画撮り部で業界全体を盛り上げる活動をしていきたいですし、引退した後もそれは続けていきたいです。

昔は、石丸電気(※4)でイベントをやって、200人300人の集客があって、DVDも2000枚3000枚って売れた時代でしたけど、今は1,000枚でヒット! って感じですからね。その小さなパイをみんなで取り合っても、結局は誰も得しないわけじゃないですか。そのパイを大きくすることが私の、大げさに言えば人生の目標です。

今はそれをグラビアアイドルとしてやってますけど、裏方としてできることがたくさんあるはずで、そちらに向かって行きたいですね。

※4 石丸電気:長らく秋葉原の顔として君臨していた家電量販店。景気の後退とヨドバシカメラの秋葉原進出に伴い少しずつ弱体化し、2009年にはエディオングループに吸収されて消滅してしまった。秋葉原本店のイベントスペースは、グラビアアイドルにかぎらずアイドルの登竜門としてなくてはならない存在だった。

まとめ

27歳には引退して裏方に回りたいという倉持さん。それは、彼女の夢の原点、幼少期からのグラビアアイドルへの熱い思いを忘れていないからこその決断のように思えます。

自分の夢を叶えることだけでなく、自分の好きなものが長く続くように、もっと多くの人に愛されるようにと考えられる芯の強さと行動力は、ビジネスの現場で働く皆さんにとっても大切なことなのではないでしょうか。

ギャラリー

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(撮影:廣田達也)