【あらすじ】
コマガール――。細かい女(ガール)の略。日々の生活において、独自の細かいこだわりが多い女性のこと。細々とした事務作業などでは絶大な力発揮をするが、怠惰な夫や恋人をもつとストレスが絶えない。要するに几帳面で神経質な女性。これは世に数多く生息する(?)そんなコマガールの実態を綴った笑撃の観察エッセイです。
最初は気のせいだと思った。錯覚だと思った。だから眉に唾をつけながら、それを何度も入念に確認した。すると、ほどなくして事実に違いないと確信した。
あろうことか、頭髪が増えてきたのだ。
奇跡だ。こんなことが現実に起こりうるのか――。現在35歳の僕が薄毛に悩んでいることは、以前から本連載でも散々書いてきたが、まさかそれに改善の兆しが見えるとは夢想だにしていなかった。正直、ついこないだまでの僕は諦めかけていたのだ。薄毛の進行が止まらないのなら、いっそのこと丸坊主にしようとタイミングを計っていた。
しかしそんな中、最後の悪あがきよろしく、ひとつだけ続けていた細やかな増毛対策があった。それは昨年の夏ごろ、近所の美容院で勧められた某育毛剤だ。
その日、すっかり萎れた髪をいつものようにカットしてもらっていた僕は、担当の男性美容師に思いきって薄毛の相談をしたところ、こんな答えが返ってきた。
「山田さん、実はいい育毛剤がありましてね……」。その男性美容師は、僕を誘惑するように耳元で囁いた。「○○(某化粧品メーカー)が独自に開発した育毛剤なんですけど、一般には流通していなくて、一部の美容院でしか手に入らない商品なんです」。
「ほう、つまりプロ仕様ということですか? 」「そういうことです。だから、ちょっと高いんですよね。1本6,000円はします」「わっ、高いですね」「だけど、売れてるんですよねー。美容院にしか流通してないから、そもそも数が少なくて、うちも一度に5本しか入荷できないんですけど、すぐに売り切れちゃうんです」。
このへんは市場のおもしろいところだ。未曾有の不況によるデフレが目立つ昨今であるが、品質が良ければ少々値段は高くても売れるものだ。逆に考えれば、不況で無駄遣いを抑えたいからこそ、「安物買いの銭失い」にはなりたくないという心理も働くのだろう。
「メーカーもよっぽど商品に自信があるんでしょうね。じゃないと、こんな不景気に1本6,000円なんて値段をつけませんよ」。男性美容師は悪戯な笑顔でそう言うと、一転して表情を硬くした。「まあ、別に無理に勧めているわけじゃないですけどね。あくまで、ひとつの情報提供なんで、山田さんの参考になればいいなって思っただけです」「はあ……。あ、ありがとうございます」「ちなみに、今うちには最後の1本が残ってますけどねー」「へえ」。
結局、その最後の一本を買った。一般流通していないプロ仕様の高級育毛剤、数が少ない稀少品、一本6,000円もするのに飛ぶように売れている、メーカーもよっぽど自信をもっているはず……。そんな露骨なセールストークが、そのときの僕には甘美な旋律となって脳内に響いていた。要するに、男性美容師の戦略にまんまとはまったのだ。
なお、具体的な商品名を書くと色々と面倒なことが起こりうるので、その育毛剤の詳細については伏せさせていただく。そもそも、こんな冗談みたいなエッセーに有益な情報性を求めている読者もいないだろう。モットーは娯楽読み物100%です。
話を戻す。とにかく、その育毛剤が効果を発揮したとしか思えない。使い始めて数カ月はまったく変化がなかったものの、去る2月の中旬ぐらいから、少しずつ、本当に少しずつだが、確実に頭髪の様子が変わってきた。最初は増毛というより、一本一本の頭髪が元気になってきたという感覚だった。特に風呂上がりの濡れ髪なんか、如実な変化だ。今までは「おまえはもう死んでいる」と容赦なく宣告されたかのような、艶も生気もまったくないヘナッとした濡れ髪だったのだが、それが見事に蘇生された。濡れ髪全体が見違えるほど艶やかになり、それぞれが昔懐かしいハリとコシを取り戻してきたのだ。
そう、憧れのハリとコシである。薄毛の悩みと聞くと、多くの人は抜け毛だけを想起してしまいがちだが、問題はそれだけではない。ただでさえ少なくなった毛髪から、追い打ちをかけるようにハリとコシが失われるということも、深刻な事態なのである。
これだけでも、ずいぶん髪が増えたように見えるから不思議だ。それぞれが太くたくましくなったから、密度が濃くなったように感じるのだろう。電車の長椅子にデブが並んで座っていると、4人ぐらいで6人分のスペースが埋まるのと同じ理屈である。
さらに驚くべきことに、最近になって毛髪の本数自体も少しずつ増えてきた。頭の地肌を触ってみると、よくわかる。今まで不毛地帯だった寂れた場所から、新たな毛髪の芽生えを感じるのだ。地肌に触れた指先が、ちくちくと嬉しい悲鳴をあげるのだ。
いやはや、本当に胸が躍った。血がたぎった。生き返ったとはこのことだ。これがどれぐらいの喜びかというと、調子に乗って筆を走らせすぎたため、一回分の文字量では最後まで書ききれなくなったぐらいである。この増毛の奇跡は、まだまだ続くのだ。 というわけで、次回もお付き合いください。
<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち) : 作家。1976年大阪府生まれ。早稲田大学卒業。おもな著作品に『雑草女に敵なし!』『Simple Heart』『阪神タイガース暗黒のダメ虎史』『彼女色の彼女』などがある。また、コメンテーターとして各種番組やイベントなどにも多数出演している。私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。チーが几帳面で神経質なコマガールのため、三日に一度のペースで怒られまくる日々。
山田隆道Official Blog
山田隆道公式Twitter
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