【あらすじ】
コマガール――。細かい女(ガール)の略。日々の生活において、独自の細かいこだわりが多い女性のこと。細々とした事務作業などでは絶大な力発揮をするが、怠惰な夫や恋人をもつとストレスが絶えない。要するに几帳面で神経質な女性。これは世に数多く生息する(?)そんなコマガールの実態を綴った笑撃の観察エッセイです。
結婚式が終わって数カ月、なぜか急激な勢いで禿げてきた。もっとも僕の薄毛問題は何も今に始まったことではなく、ここ数年ずっと黄信号が点滅した状態だったのだが、最近になってその進行スピードにターボがかかってきたのだ。
具体的には、とにかく抜け毛が著しく増えた。風呂場でシャンプーをしているとき、手のひらを見るのが怖い。必ずと言っていいほど、抜け毛が大量に付着しているからだ。
また、朝起きたときの枕も大変なことになっている。我が家は僕とチーとが枕を並べるダブルベッドを採用しているのだが、チーの枕に比べて僕の枕のほうが抜け毛をとるためのコロコロ使用率が明らかに高い。だから、抜け毛が目立つ白い枕は嫌いなのだ。
今までは髪型を工夫さえすれば、他人からは薄毛がばれないレベルだと信じていた。しかし、最近はさすがに自信がなくなってきた。そんじょそこらの工夫では隠蔽できないほど、根本的に毛髪の本数が少なくなった気がする。特に生え際はやばい。長く伸ばした前髪を下ろすことで生え際の後退を隠そうとしても、そもそもの毛髪の本数が少ないわけだから、柳の葉のように隙間が目立ってしまう。要するに、みすぼらしいのだ。
こんな僕の惨状を、妻のチーはいったいどう思っているのだろうか。もちろん、自分からはなかなか打ち明けにくい。「君の旦那って、どんどん禿げてきてるんだよー」そんなセンセーショナルな台詞を、最愛の人に笑いながら言えるわけがないだろう。
しかし僕が何も言わずとも、チーはとっくに気づいているようにも思う。なにしろ最近のチーは、僕と会話するとき不自然なほど視線を上下に動かすのだ。
うーむ。この奇妙な視線の動きはいったいなんなのだろう。視線が上下しているということは、僕の目と頭髪を交互に見比べている、すなわち最近ますます著しくなった生え際の後退が気になって仕方ないということか。風呂上がりに濡れ髪になった僕(つまり、より頭髪がしぼんだ状態)と対面するときなんか、特に顕著である。チーの視線はダイレクトに頭髪一直線。かっと両目を開き、しばし呆然と静止するほどだ。
そもそもチーは鈍感という言葉にはまったく縁がない人間だ。とにかく何事にも敏感というか、細かいことによく気づく。たとえば、一緒に家の近所を歩いていてもそうだ。ちょっとした景色の違いに目ざとく反応するから、新しくオープンした店などにやたらと詳しい。また、チーはどういうわけか自宅周辺に住んでいる見知らぬ他人様の名前もよく知っている。いつも表札を見ながら歩いているため、自然に覚えてしまうようだ。
そういう妻は場合によっては非常に助かるのだが、その一方で夫が気づいてほしくないと願う部分まで決して見逃さないから厄介でもある。その最たるものが、ここ最近の薄毛パニックだ。果たして、チーはどこまで事情を察知しているのだろう。
そんなある日、ついに事件が起こった。
就寝前、僕がいつものように風呂に入ると、いきなり見慣れない物が目に飛び込んできた。なんだろ、これ――。目を細めながら、それに手を伸ばしてみる。
その正体は超有名な某育毛シャンプーだった。諸事情により商品名は伏せさせていただくが、人気男性タレントを起用したテレビCMで話題沸騰中のあれである。
「ば、ばれてる――!!」
僕は思わず声を出した。エコーがかかりやすい風呂場の中だったため、その声はまるでやまびこの如く、室内に響き渡った。ばれてる、ばれてる、ばれてる……。こんな切なくも哀しいエコーはそうないだろう。
そうなのだ。やっぱりチーは僕の薄毛パニックを完全に見抜いていたのだ。しかも、それを言葉で指摘するのではなく、さりげなく育毛シャンプーを購入することで暗に知らせるとは、なかなか小癪な妻である。チーはチーなりに薄毛に悩む繊細な男心に気を遣ったつもりかもしれないが、正直その優しさが余計につらい。胸に沁みて痛むのだ。
とか言いつつ、結局そのシャンプーを使ってみた。生まれて初めての育毛シャンプー体験だ。薬用の看板に違わぬ独特の香りが鼻腔を刺激する。病院の廊下や学校の保健室を想起させる、いかにも薬物っぽいケミカルな香りは、もしかすると人間の希望に光を灯す効果があるのかもしれない。なんとなく、効いているような気がしてしまうのだ。
風呂から上がると、早速チーと目が合った。しかしそれも束の間、彼女の視線はすかさず僕の濡れ髪をとらえ、そこでニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「どうだった?」とチー。「ちょっと値段が高いシャンプーだけど、通販なら割引になってたから、お試しにいいかなと思って買っておいたから」
「ありがとう」僕は絞り出すように声を出した。顔から火が出るほどの恥ずかしさが、大股歩きで襲ってくる。背中がみるみる熱くなり、子供の頃の記憶が一瞬だけ蘇った。
その記憶とは、小学生の頃にギョウチュウ検査で引っかかったときのことだ。目の前のチーの冷ややかな表情が、あのときの母になんとなく似ていたのだ。
<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち) : 作家。1976年大阪府生まれ。早稲田大学卒業。おもな著作品に『雑草女に敵なし!』『Simple Heart』『阪神タイガース暗黒のダメ虎史』『彼女色の彼女』などがある。また、コメンテーターとして各種番組やイベントなどにも多数出演している。私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。チーが几帳面で神経質なコマガールのため、三日に一度のペースで怒られまくる日々。
山田隆道Official Blog
山田隆道公式Twitter
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