企業の経営層は、過去にどんな苦労を重ね、失敗を繰り返してきたのだろうか。また、過去の経験は、現在の仕事にどのように活かされているのだろう。そこで本シリーズでは、様々な企業の経営層に直接インタビューを敢行。経営の哲学や考え方についても迫っていく。

第13回は、クラウド技術などIT分野をリードするARアドバンストテクノロジ株式会社(略称:ARI)創業者 兼 代表取締役CEOの武内 寿憲(たけうちとしのり)氏に話を聞いた。

経歴、現職に至った経緯

「幼少期からものづくりに興味があり、とにかく何かを組み立てることが好きな子どもでした」と穏やかに語りはじめた武内氏。

大学卒業後、大手外資系企業に入社。ITサービス部門で、20代中盤からマネジャー職を務めた。その後転職を経験し、独立系SIer(エスアイヤー)※でコンサルティングやシステム開発に携わるようになる。セールスの統括、経営参画を経たのち、代表まで務めた。

「25歳の時、お世話になっていた方に『君は一生を通して社会に何を残すつもりなのか?』と聞かれ、とっさに何も答えられませんでした。そして『なぜあなたが今ここに生きているのかの意味を問うこと。生涯かけて悩み、形にしていくことに価値がある』と言葉をかけられました」

その言葉がきっかけになり、真剣に自分と社会との関わり方を考えるようになったという武内氏。

「自分の人生がいかにあるべきか、ありたいかという願望は社会から見れば大きな問題ではないと気づきました。『社会の役に立って、社会の一員としての役割を終えられるか?』『社会に何が残せるか?』と自分自身に問いかけました」

自問自答の結果、2つの答えが出た。

「社会にどう貢献できるかと考えた末、この国の技術発展に貢献できることをしたい、その発展を担う技術者がはつらつと働ける環境を創ることに貢献したいという思いが生まれました」

この思いが原動力となり、2010年1月、ARアドバンストテクノロジ株式会社の創業に至る。

「当時、日本のITはハードウェアが中心で、クラウドという言葉はまだありませんでした。しかし欧米では、クラウドを構成する要素である「仮想化」という技術がトレンドワードになり、新たな技術革新の柱として注目されつつありました。これが日本にも浸透しようとするタイミングで、分かりやすく言うと「ハードウェアのソフトウェア化」が進むきっかけとなる時期でした」

折しもリーマンショックの影響が尾を引き、景気はどん底だった。しかし武内氏はこう振り返る。

「マーケットがクラッシュすると、新しい技術や取り組みが出てくるものです。社会全体が、現状をどう打破するか模索する中、ハードウェア中心であったIT業界が大きく変わろうとする変革期でした」

大変な時期でも、武内氏は前向きな姿勢を崩さなかった。

「この時期に、『ハードウェアのソフトウェア化』や『仮想化』という時代のトレンドを押さえ、常に先進技術を提供できる企業になれば、これからのIT企業としての価値を見出せる。名も実績もないベンチャー企業にとっては、他社と差別化できる生存戦略だと確信していました」と力強い。

※システムの開発・運用・保守などを行う、親会社やグループに属さないシステム専門の企業

ARアドバンストテクノロジ株式会社について

続いて、会社概要について伺った。

「当社は創業時から『先進性ある技術を通して社会の未来発展に貢献する』という理念のもと、常に先進技術に着目し、いち早く社会に適用させていくことができる企業であろうと歩んできました」

ARIは東京に本社を置き、大阪と名古屋にも支社を構えている。

「事業内容としては、クラウド技術とデータ・AI活用などのデジタル化分野が強みです。DX化を支援する先進技術をワンストップで提供し、お客様のTobe(理想)実現のため、価値あるデジタルパートナーとなることを目指しています」と武内氏。

ARIでは自社開発プロダクトの提供のほか、コンサルティング、AI・クラウド技術、UI・UXデザインの3つの柱を軸に、単なるシステム導入にはとどまらない一貫したトータルソリューションを提供している。

ARIの自社プロダクトは、AIチャットボットの「LOOGUE FAQ(ローグ)」をはじめ、ファイルサーバを可視化・分析する「ZiDOMA data(ジドーマ)」、クラウド型のコンタクトセンター分析管理サービス「Mieta(ミエタ)」など、顧客視点のシステム開発が支持を得ている。

「独自のノウハウとして、DX化で重要な位置づけを占めるデータサイエンス、AIにおいての豊富な知見が挙げられます。これらの分野で複合的な技術提供までできることが、他社の追随できない強みだと自負しています」と自信をのぞかせる。

困難を感じた海外進出

失敗談について伺うと、「失敗という概念はあまりピンと来ませんが…」と苦笑しつつ、こう話してくれた。

「周りからは苦労しているね、と言われても、好きでやっているので、苦労したという記憶がありません。解決策を組み立てるのが楽しいので、不満や不安は愚痴に転換せず、課題に転換するようにしています」

そして、海外進出時のエピソードを語ってくれた。

「創業3年目の2012年に『日本の技術を海外へ』をスローガンに、海外進出を決めました。2012年にはクラウドというキーワードが世の中に出始め、クラウドデータセンターがいくつも立ちあがりました。そうした時代の流れも海外進出の後押しになり、2012年にシンガポール、2013年にインドネシアへ進出。日本から取締役、技術社員が駐在し、現地の方も一緒に働く環境でした」

そうした中で、現地の文化の違いを理解することに困難を感じたと言う。

「現地社員の皆さんとのコミュニケーションはもとより、働くという観念の差を大きく感じました。文化・宗教の違いを始め、生活スタイルも違うのですから今思えば当たり前のことですが、日本国内と同じようにはいきませんでした」

日系の顧客とは異なり、現地の顧客が求めているものも想定とは異なっていた。

「現地のお客様からすると、欧米や日本の最新技術は 『魅力的だけどオーバースペック』に映っていたのだと思います。当時、現地のITニーズは、『少々信頼性が低くとも気軽にスピーディに使用できるもの』、『既製品で安いもの』といったところにあったのでしょう。『オーダーメイドで作るものではない』という意識でした」と分析する。

海外進出の背景には、外資系企業や日系グローバル企業から「アセアン地域(東南アジア)への進出についてきてほしい」「現地でクラウドデータセンターを立ち上げるためのコンサルをしてほしい」という要望があったこともある。「先進技術は良いものだ」「先進技術にはニーズがある」という思い込みが少なからずあったのでは、と回顧する。

「現地のお客様に貢献する、と言いながら、私たち視点のプロダクトアウトになってしまっていたのだと思います。ビジネスは常に“マーケットイン”で考えなえれば受け入れてもらえないと痛感しました。日本で売れているものが海外で受け入れられるとは限らない。むしろそのまま受け入れられることのほうが例外なのかもしれません。当時は勉強になりました」

チャレンジから得た教訓とは

この経験から、学んだことは2つあると言う。

「『売りたいものを売るのでなく、お客様が買いたいものを売る』という“マーケットイン”で物事を考えることと、『失敗したとしても、チャレンジには必ず大きな学びがある』との教訓を得ました」

ARアドバンストテクノロジ株式会社は、クラウド技術の黎明期からチャレンジを続けてきた実績がある。

「とにかく『失敗していい、つくろう!』という考え方を大切にしています。結果を恐れて行動しないより、行動を起こしてチャレンジすることに重きを置いており、これが当社の価値観として定着してきました。現在の新規サービスやプロダクト創りに活かされています」

チャレンジするための社内環境や制度づくり、福利厚生面も手厚く、「技術者がはつらつと働けるように」という創業当初の思いも変わらない。

就活生・若手ビジネスパーソンにメッセージを

最後に、就活生・若手ビジネスパーソンに向けたメッセージをもらった。

「仕事は、未体験とチャレンジの連続です。チャレンジなくして、知恵や知識は広がっていきません。また社会に貢献したいと思うのであればなおさら、小手先でうまくやろうとせず、目先の失敗を恐れずに、真正面から自分の課題と向き合ってみてください」

結果だけにこだわるのではなく、その困難を解決する過程で得られるものに目を向けてほしいと力説する。

「結果はどうあれ、その経験が一回りも二回りも自分を大きくしてくれます。もし困難にあたっても、安心してください。困難は必ず解決策を連れてきてくれます。だからこそ、チャレンジは楽しんでやりましょう!」

困難さえも「頭を使うきっかけになる」と、どこまでもポジティブな武内氏らしく、明るく締めくくった。