当連載でも触れたことがありますが、筆者は小学生の頃、3年間だけ和歌山に住んでいたことがあり、当時の家の裏山を紀勢本線が通っていました。「本線」とはいっても紀伊半島のこと、1時間に1本とか、そういうまばらな感じで列車が走っていくのです。

ヘッドマークを掲げて走る381系の特急「くろしお」

その頃、祖母は兵庫県内にいたので、年に数度、国鉄の列車に乗って遊びに行きました。最寄りの駅では何本かに1本の割合で急行「きのくに」が停車しており、大阪方面への移動はほぼ「きのくに」でした。使用されていた車両はキハ28・58系。いまでこそ筆者の一番好きな車両ですが、その頃はまだその渋さに気がつかないくらいトゥー・ヤング(?)で、憧れは特急「くろしお」のキハ81形・キハ82形でした。

そう、特急「くろしお」はヒーローでした。見た目のかっこよさに加え、なかなか乗れないというプレミアム感。御坊・田辺といった町、勝浦・白浜といった観光地からお客さんをたくさん乗せているんだ、そして電光のような速さで大阪へ向かって走るんだ(……って、実際の速度は「きのくに」とそうそう変わらなかったのですが)と、そんな憧れを持って、裏山を通過していく「くろしお」を眺めていたのです。

特急列車というのは、やっぱり「ハレ」の列車だと思います。日常的に乗る列車ではなかったからです。旅行とか、帰省とか、そういう特別なときに特急料金を払って乗る、寿ぎの列車だと。そう思うのです。

以前、筆者の職場の慰安旅行で、宝塚温泉に行ったときのこと。幹事さんの「旅行なんだから、やっぱり特急列車に乗りたいよね!」というちょっと珍しいこだわりのために、大阪駅から宝塚駅まで、わざわざ福知山線の特急列車に乗ったことがあります。もちろん指定席です。出発前、かなり時間に余裕を持って集合した我々一行は、目の前で次々に出発していく通勤列車を何本も見送った後、特急列車で20分ほどの「旅」を楽しんだのですが……、なんだか非常に複雑な気分でした。

現在の381系「くろしお」は、パノラマ型グリーン車両を連結した編成が使用される

話を「くろしお」に戻すと、子供の頃からずっと憧れていた列車なのに、じつは一度しか乗ったことがありません。それも大人になってからです。当番で職場の慰安旅行の幹事になった筆者は、その権限をフルに利用して行先を勝浦温泉に決定。バスで行くには遠いからと理由を付け、「くろしおで行きましょう!」という経緯で乗ることになったのです。それはもう、テンションアゲアゲでした。筆者は、ですが。

もちろん、そのとき紀勢本線はすでに電化された後で、筆者らが乗った「くろしお」は381系でした。振り子式列車特有の動きのせいで、職場の先輩が乗り物酔いしてしまい、筆者への視線が少し痛かったのも、いまとなってはいい思い出ですね。

あれから早20年。381系はいまも走っていますが、色は変わってしまいました。いまの色もきれいですが、やっぱり国鉄色でないと、いまいち「くろしお感」に欠ける気がします。また、ごく最近まで「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」なんて名称も生まれては消え、いろいろと紆余曲折があったようです。近年投入された287系は、昔あった「フキゲン」という飲み物に描かれていた子供みたいな顔をしていますし……。

「くろしお」は一体、どこへ向かっているのでしょうか? いや、昔もいまも南紀方面に向かっているのですけどね。

オーシャンアロー車両283系。おもに新宮行「くろしお」に使用される

「くろしお」に使用される車両の中では最も新しい287系

今年秋までに、特急「くろしお」から381系がいなくなる、とのニュースも聞こえてきます。それまでにもう一度、「くろしお」に乗ってみたいと思うのです。「ハマブランカ」がなくなって以来、白浜から足が遠のいていたのですが(そうなのか!?)、また行きたくなってしまいました。