前回は別府鉄道土山線の廃線跡を尋ねましたが、今回は別府鉄道野口線と国鉄高砂線の廃線跡の旅をレポートします。……いや、「旅」と言うよりは「散策」というくらいが正しいかもしれませんが。
別府鉄道野口線のディーゼルカーが保存されていたが…
今回は山陽電気鉄道の別府駅横から、野口線の廃線跡をたどることにしました。ここは、「松風こみち」という遊歩道になっています。古式ゆかしい山陽電気鉄道のガードをくぐり、続いて山陽新幹線もくぐります。天下の大鉄道を上に押しやり、ゆうゆうと走っていたであろう小さな列車。現役時代の様子を見ておきたかったなあ、と思ってしまいます。筆者にとって、それが手の届かないほど古い時代ではないので、余計にそう思うのです。
初夏の風がさわやかな遊歩道。路傍のびわの木には色鮮やかに実が成っていました。振り向くと、色鮮やかなドクターイエローが猛スピードで渡っていきました。わざとらしいほどにグッドタイミングです(……ごめんなさい、ちょっとだけ「やらせ」です。この日がドクターイエローの運行日だったことを思い出して、小一時間ほど待ちました)。
住宅地を横切り、「松風こみち」はのどかに続きます。事前の情報によれば、全長約3kmで、100mごとに地面に距離標が彫られているとのこと。ときおり車道と交差するのですが、その部分だけはレールが残され、まるで踏切のようになっていました。ここがかつて線路だったことを思い出しつつ、どですかでんどですかでんと自転車を走らせます。
途中、再び明姫幹線を横切ります。前回と同じく、東行き車線だけがオーバーパスになっていました。ここには車道もないので、この細い遊歩道を、わざわざ天下の国道250号線が遠慮しながらまたいでいるという不思議な景色です。
やがて左手に公園が見えてきました。車両が展示されています。前後にテラスの張り出したレールバス、といった感じの車両です。「キハ2」というシンプルな名前が書いてあります。キハという名前は国鉄の車両みたいです。保存状態は良くなくて、窓が割れて塗装も剥げています。剥げた塗装の下には、金属ではなく木の地肌が見えています。出入口の下に鉄板のステップがこしらえてあるところを見ると、かつては中に入れる状態で展示されてあったのでしょう。
車両の左手を隠すように茂った木の枝の奥に、なにか見えます。それは全体にさびの回った円長寺駅の駅名標でした。ここまでくると、もはや「遺跡」の印象さえあります。
国鉄高砂線の廃線跡にも、至る所に現役時代の名残が
「松風こみち」をさらに進むと、小さな橋を渡ります。まるで電車が走りそうな雰囲気の鉄橋です。もともと鉄道の橋なので当たり前なんですが。その少し先で車道に突き当たり、「松風こみち」はここで終わりです。その車道を100mほど行くと、道路脇にモニュメントがありました。線路と車止めと台車のモニュメント。別府鉄道野口線はここで国鉄高砂線に接続して終わっていたのですね。
国鉄高砂線は、山陽本線加古川駅から高砂駅へと延びていた路線です。筆者がたどり着いたのは別府鉄道野口線との接続駅だった野口駅付近で、ここから加古川までの区間はほぼ車道で、あまり痕跡が残っていないとのこと。
今回はこの野口駅付近から、高砂方面をめざします。よく晴れた5月の午後。木漏れ日の道を気持ち良く進んでいると、右手にいきなり大きなSLが現れました。鶴林寺の公園に保存されている、かつて高砂線で活躍していたという蒸気機関車C11形です。
明姫幹線を越え、山陽新幹線と山陽電気鉄道をくぐると、尾上駅跡地のモニュメントが現れます。この先、高砂線は山陽電気鉄道の線路と並行して続いていたようです。線路脇に、それらしい土の道が残っています。小さい川を渡る橋に、レンガ積みや枕木など、ここが鉄道であったことを示す痕跡が残っていました。
この線路跡を付いたり離れたりする車道をたどりつつ追っていたのですが、加古川に突き当たってしまい、その先へ進めなくなりました。しかたなく南へ大きく迂回して、終点の高砂駅跡をめざします。それにしても、加古川は大きな川です。自転車で渡るとよくわかります。こんな長い鉄橋を、わざわざ山陽電気鉄道と競合する支線のために保守していくのが嫌になったんやろなあ……なんて、勝手に国鉄に成り代わって廃線の理由を解釈してしまいます。
ただ、加古川を小さく山陽電車が渡っていく景色は素晴らしいと思いました。まるで「青春18きっぷ」のポスターみたいです。JRではないので乗れませんが。
山陽電気鉄道の高砂駅に着きました。この駅の南側に、くいっと回って国鉄の駅があったようです。駅前の商店街が独特なカーブを描いていて、いかにも鉄道沿いの雰囲気です。国鉄高砂線はここからさらに南側へ延びていました。さっき見た加古川を渡って、このあたりの線路をC11形が牽引する列車がやって来る。そんなシーンを想像しつつ、廃線跡をたどる「旅」を終えたのでありました。