前回に続いて播磨地区の廃線跡を巡ります。今回は1984(昭和59)年に廃止された別府鉄道土山線を訪ねてみました。昭和59年というと、筆者は高校3年生。当時はまだ、あちこち出かけるようなアクティブな人ではなかったので、この路線が健在だった頃には一度も訪れたことがありません。
ただその頃、「別府鉄道行ってきた。写真撮ってきた」という友達の見せてくれた写真が印象に残っています。小さい機関車が短い客車を連結し、荒野のようなところを走っていて、こんな景色が姫路よりこっち側にあるんやなあ……と驚いたものです。
それからずっと、別府鉄道が現役だった頃のことは忘れていたのですが、たまにクルマで姫路まで移動するときなど、「別府」という地名を見かけては、ふとそのときの記憶が蘇ったりもしていました。
廃線跡の一部は遊歩道に
今回、その別府鉄道の廃線跡をたどってみようと思い、最初はクルマでアプローチしてみました。前回紹介した三木鉄道を取材したのと同じ雨の日に、当時を知る友達に同乗してもらい、廃線跡の周辺をうろうろしていました。
でも、ほとんど何も見つけることができませんでした。なにしろ廃線から30年も経っています。30年というと、本当に長い時間です。終戦から大阪万博の開催まででも25年ですから、それより長い30年という年月の間に、なにもかもすべて変わってしまったとしても不思議ではないでしょう。別府鉄道の廃線跡も、30年間ですっかり様変わりしてしまったようです。それでもその日、友達の記憶を頼りに、「たしか、ここが終着駅だったような……」という場所を発見できたのは収穫でした。
後日改めて、今度は折りたたみ自転車を持って鉄道でアプローチすることにしました。JR神戸線の快速に乗って土山駅へ。別府鉄道土山線はこの駅から分岐していました。
土山線の廃線跡は整備され、「であいのみち」という遊歩道になっていました。筆者が自転車で訪れた日はとても良い天気で、思わず取材であることを忘れてしまいそうなくらい良い気分になり、ゆっくりのんびり自転車を走らせます。
しばらくすると、遊歩道は大中遺跡公園の中に入っていきます。そこには別府鉄道の機関車「DC302」と客車「ハフ5」が展示されていました。約1,900年前の遺跡と、30年前の鉄道遺跡。どちらも「昔」といえばそうですが、だいぶざっくりとした括りの「昔」ですね……。ここの車両は屋外ですが、きれいに保存されてありました。
周辺道路も土山線の廃止に戸惑った!?
大中遺跡公園付近で遊歩道は終わっていて、ここから先、土山線の廃線跡は車道になっていました。両側に並木のある、ごくごく普通の道路です。どんどん進んでいくと、国道250号線と交差します。この何の変哲もない田舎の道を、天下の明姫幹線・国道250号線が高架で跨いでいるというのは、なかなか面白い風景です。さすが、もともと鉄道の線路だっただけのことはあります。
この国道の高架は東行き車線だけで、西行き車線は地上を走っているのも面白いところです。西行き車線のものと思われる橋脚だけできてるところを見ると、おそらく東行き車線を高架にして、続いて西行き車線も……と考えていたところ、別府鉄道のほうが廃止になってしまった、ということなのでしょう。そのあたりの複雑な事情というか、道路側の「突然の鉄道の廃止に戸惑った」的な様子が見て取れます。
土山線の廃線跡の道路は、その先で山陽新幹線の高架線をくぐれ、続けて山陽電気鉄道の線路もくぐります。ここのガードは煉瓦造りで、いかにもレトロといったたたずまいです。さっき見た機関車が、ここをくぐって走っていたのだなあと思うと、なんともいえないノスタルジーを感じました。
そのすぐ先で、廃線跡の道はセブン-イレブンの見える交差点に出ます。このあたりが終点・別府港駅付近らしいのですが、ここまでのルートに比べて街中にあるので、当時を知らない筆者としては、痕跡が追えなくなってしまいました。
次回はここから、別府鉄道野口線と国鉄高砂線をたどって紹介したいと思います。