谷川浩司九段

棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。

小学2年生にして二枚落ちで一流プロの内藤九段に勝ち、「プロにしたら八段は堅い」と太鼓判を押された浩司少年は、翌年東京で開かれた「よい子日本一決定戦」に出場し優勝します。3年生ながら高学年の部へのエントリーし、年上の子どもたちを破ったのです。

当時の将棋世界に大会の記事が掲載されていました。

『将棋世界』1971年10月号より

――浩司くんは小学三年生だが、高学年の部で優勝した。「棋力に自信のある子は上の部に出場してもよい」ことになっていた。見事である。初段の免状をもっている。余力を残して勝ったようだ。だが、「一、二回戦は苦しかったけど、昼ごはんを食べてから調子が良くなった」という。おもわず記者はニコリとしたものである。優勝はうれしいに違いない。しかし浩司くんにとっては、「いままで、あまり小学生のお友達と指すことができなかったけど、今度の将棋まつりでは大勢のお友達と十分指すことが出来てとても楽しかった」のである(『将棋世界』1971年10月号)

プロ入りすれば名人になる

そして、成長著しいと認められた浩司君と、内藤國雄九段との「一対一」の対局が組まれます。

場所は「40面指し」の時と同じサンチカタウン。しかし今回は、ハンデは同じ二枚落ちながら、「一対一」。内藤九段の将棋の強さ、集中力はただ一点、自分との対局のみに注がれるのです。

そして、一流プロと少年の真剣勝負を見守る、多くの観衆……

「緊張するな」というほうが無理な状況だったのではないでしょうか。

しかし、内藤九段はこう振り返っています。

「厚い将棋盤の前にちょこんと正座した少年を見たとき、盤と渾然一体になっているようで打たれるものがあった。それまでプロ志望の子を幾人も見てきたが、こんな子は他にいなかった。」(『マイナビムック将棋世界Special vol.1 谷川浩司』2012年 マイナビ出版刊)

この描写、まるで浩司少年が「置かれている状況は関係ない。盤の前に座れば自分の将棋を指すのみ」と、声なき声で訴えているようではありませんか!

対局のほうは、浩司少年が快調に攻め局面を優位に進めるも、内藤九段が二枚腰を見せて混戦に。

結末は劇的なものでした。内藤九段が「引き分けになる」(※駒落ち=ハンデ戦ではプロの提案で、あえて勝ち負けをつけず、円満に引き分けで終了する場合があります)と感じた瞬間に見せたわずかなスキを浩司少年がとらえ、勝利をつかみ取ったのです。

「40面指し」終了時に内藤九段が下した浩司少年評は「プロにしたら八段は堅い」でした。それが「一対一」終了後にどう変わったか。内藤九段はこう言いました。

「この子はプロ入りすれば名人になる」

次回は『3年9カ月で奨励会卒業』をお送りします。