棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較してゆく。

本シリーズ「中学生棋士の系譜」の第1章は、棋界初の中学生棋士となった加藤一二三九段について、6回にわたりお送りしてきました。 今回からは、加藤四段誕生から20年余の歳月を経て現れた次なる中学生棋士、「史上最年少名人」谷川浩司九段について掘り下げてゆきたいと思います。

駒に残る噛み跡

加藤一二三九段に次ぐ棋界2例目の中学生棋士となった谷川浩司九段

1962年、神戸市に生まれた谷川九段と将棋との出会いは5歳の時。5歳上の兄と谷川が兄弟げんかばかりしているのを見かねたお父様が「ケンカをやめさせるため」に将棋セットを買い与えたことによります。

藤井聡太七段はお祖母様から教わり、加藤一二三九は近所の子供達が指しているのを見て将棋と出会っていますが、それにしても「兄弟げんか」が間接的な理由とは! きっかけはいろいろあるものですね。しかし「出会い」の時期は共通して小学校就学前。中学生棋士誕生には「出会い」の早さが必要なことがわかります。

さて、将棋セットを買い与えられ、兄弟げんかはどうなったのか。

駒に残る噛み跡『マイナビムック将棋世界Special vol.1 谷川浩司』(マイナビ出版 2012年)より

5歳上のお兄様になかなか勝てない浩司少年が悔しさのあまり泣きながら噛んだという、駒に残った歯型をご覧いただければおわかりでしょう。ご本人の証言によれば、ほとんどすべての駒に噛み跡があるとのことです。

お父様の思惑は、はかなくも外れてしまったようですが、中学生棋士・谷川浩司が誕生したのは、泣かされるほど強いお兄様との幾多の対局よって育まれた勝負根性が物を言った結果かもしれません。

内藤國雄九段からの太鼓判

将棋にのめり込む浩司少年はお兄様との数千局に及ぶ対局のほか、お父様に連れられて行く将棋道場や大会で腕を磨きます。そして小学二年生になった1970年、トップ棋士の内藤國雄九段(当時八段)と二枚落ち(飛車角抜きのハンデ戦)で指す機会に恵まれます。

当時神戸にあった地下商店街で、内藤九段がアマチュア40人を一度に相手する「40面指し」が催され、浩司少年もアマチュアの一人として参加したのです。

結果は……見事浩司少年、アマチュア40人中勝利の一番乗り! 「一番ヤリ賞」の賞品を渡され、周りの大人たちは拍手喝采だったといいます。

内藤九段は局後にこう述べました。「あの子は大物になるよ。並みの子と違って将棋の腰が座ってて迫力がある。プロにしたら八段は堅い」。

その後永きにわたり関西棋界のトップに立ち「関西の首領」とも言われた内藤九段から太鼓判を押された浩司少年。翌年、何十人ものアマチュアがいっぺんに挑戦するような「多面指し」ではなく、内藤九段と「一対一」での対局が実現することになります。

次回は『プロ入りすれば名人になる』をお送りします。