棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。
絶対王者大山の高き壁
20歳で名人挑戦権獲得の快挙を達成した加藤。周囲の期待はもちろん史上最年少名人の誕生でした。
しかし、当時棋界にあったすべてのタイトル(名人、王将、九段)を独占し、絶対王者として棋界に君臨していた大山康晴の壁は、加藤にとってあまりにも厚く高いものでした。
名人戦は七番勝負で行われ、先に4勝したほうが勝ちとなり、「名人」としてその年の頂点に立ちます。
大山康晴名人と加藤一二三八段による第19期名人戦七番勝負。結果は、大山の4勝1敗1千日手(引き分け)。
加藤は第1局を快勝したものの以降の対局に敗れ、最年少名人の夢はおあずけとなってしまいました。
決着局(大山が4勝目を挙げた対局)の大山自身による解説(※『将棋世界』1960年8月号掲載)は、こう結ばれています。
「これで私は七度目の名人位を守ることができたが、加藤八段は一局指すごとに強くなつてくる感じで、一番指しにくい相手になりそう。」
これが本心か否か、大山亡き今となっては誰も知らぬことですが、以降のタイトル戦でも加藤は大山に敗れ続けるのです。
1961年度(昭和36)第11期王将戦 ○大山3-0加藤●※ 1963年度(昭和38)第4期王位戦 ○大山4-2加藤● 1966年度(昭和41)第16期王将戦 ○大山4-1加藤● 1967年度(昭和42)第17期王将戦 ○大山4-2加藤●
※当時の王将戦七番勝負は3勝差がつくと決着という決まりがありました。
現在、棋界は8つのタイトルを7人の棋士が分け合う「群雄割拠」の様相を呈していますので、仮に今すぐ藤井聡太七段がタイトル戦線に加わったとしても、いつも同じ相手ばかりになるとは考えづらい時代です。
しかし当時、タイトル戦は名人戦、王将戦、九段戦(=のちに十段戦に発展、現在の竜王戦)、そして1959年に創設された王位戦の4つしかなく、またそのほとんどを大山が所持している状態でした。
加藤のタイトル戦初登場が1961年度。大山はまさにその時代、1957年から1967年の約10年間の間に開催されたタイトル戦に、タイトル保持者または挑戦者としてすべて登場しているのです!
タイトル戦連続出場記録実に50回というとてつもない記録を打ち立てた大山の全盛期に、タイトル戦線に顔を出し始めたのが加藤でした。
周囲の期待とは逆に、大山にことごとくはね返される加藤。順位戦のほうもA級とB級1組を行ったり来たりという状態で、名人戦の挑戦権も得られない時期が続きます。
しかし、加藤の心は折れませんでした。
ついに、初タイトル獲得、歓喜の時がやってくるのです。
次回は『苦節(?)14年 初タイトル「十段」獲得!』『幾多の最高齢記録を樹立、ファンに愛され引退』をお送りします。