棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。
2つの逆境をはね返す
谷川浩司王将に羽生善治六冠が挑戦する1994年度第44期王将戦七番勝負は、棋界の内外を巻き込んで大変な盛り上がりを見せました。
世間の注目はただ1点。
「羽生による完全制覇、夢の七冠なるか」。
湧き起こるは羽生への声援。谷川は完全な敵役でした。
逆境に立たされた谷川ですが、1995年1月12、13日に行われた開幕局に勝ち、防衛に向け好スタートを切ります。しかし不幸なことに、もうひとつの逆境が谷川の身に降り注ぐのです。
1月17日、関西一帯に甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災が発生。発生時、神戸在住の谷川は自宅にいたといいます。家屋倒壊の被害は受けなかったものの勧告を受け、避難所生活を余儀なくされるのです。しかし、棋士・谷川は20日に予定されていた別の対局を予定通り指し、23、24日の王将戦第2局にも勝ってシリーズ成績を2-0とします。
ふたつの逆境を背負い戦う谷川の背中には、もうひとつ、背負っているものがありました。
「神戸を代表して戦っている意識があった。」
地元・神戸のために戦う谷川の姿が被災地に希望をもたらし、被災地からは逆に、谷川への声援が届くようになったのです。七番勝負は最終局までもつれ込みましたが、声援の力があってか、谷川は勝って羽生の七冠制覇阻止に成功しました。
羽生へのリベンジ そして伝説へ
七冠の夢破れた羽生でしたが、なんと1年間、以降保持している六冠をすべて防衛し、1995年度第45期王将戦の挑戦権も獲得して再び谷川の前に立ちます。この勢いには谷川も抵抗できず、4連敗で王将を奪取され、羽生七冠制覇の「切られ役」となってしまいました。
業界用語に「フラッシュを背中に浴びる」というものがあります。藤井聡太七段の対局の際、藤井七段を撮影するために対局相手の後ろに報道陣がずらっと並んだ光景を見たことがあるでしょうか。七冠達成の瞬間、谷川はまさにフラッシュを背中に浴びたのです。
その心境は、どんなものだったでしょうか。
しかし、トップ棋士・谷川は倒れませんでした。年度は変わって1996年度、第8期竜王戦七番勝負で羽生を4勝1敗で破り、名人と並び棋界最高峰のタイトルである竜王位を奪取します。
そして翌1997年度第55期名人戦七番勝負にも登場し、またも羽生を4勝2敗で破って名人位を獲得。棋界の双璧をなす竜王、名人を同時に保持するとともに、名人戦においては獲得が通算5期となり、十五世名人大山康晴、十六世名人中原誠と並び立つ、永世名人称号「十七世名人」を獲得したのでした。