棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。

1983年度(昭和58)第41期名人戦七番勝負第1局は、2011年に閉業した東京都千代田区の赤坂プリンスホテルで行われました。

谷川浩司九段

43歳、前期第40期で3回目の挑戦にして悲願の名人位についた加藤一二三に相対するは、21歳の青年、谷川浩司。

初の大舞台、百戦錬磨の加藤を相手に谷川は力を出せるのか?

そんな懸念もあったようですが、谷川は盤上盤外でそれを杞憂に変えてしまいます。

周囲を驚かせたのは、第一に若者らしからぬ落ち着き、何事にも動じない態度でした。

『将棋世界』1983年6月号掲載の第1局観戦記には、記者の驚きがありありと表れていました。

(対局当日朝)「眠れましたか」と、当り前のことを聞く。普通なら「ええ」とか「まアまア」という返事がある。谷川青年は言った。「すばらしい部屋なので眠れないのかと……。しかし、眠らないともったいないので眼をつむりました」。この度胸と余裕はどこからくるのだろう。(記事より)

そして盤上では、別室で対局を検討する先輩プロたちはもちろんのこと、相手の加藤でさえ「大丈夫」と見ていた手を選択。それが実は、最短、最速で敵陣を攻略する手段だったのです。

  • 名人戦第1局谷川完勝を伝えた『将棋世界』1983年6月号

  • 最年少名人誕生! 『将棋世界』1983年7月号より

結果、谷川は加藤を圧倒する形で第1局を制します。

「最年少名人誕生」の予感に棋界、世間が色めき立つ中、谷川は喧騒をよそに第2局、第3局にも勝って、夢の名人位まであと一歩と迫ります。

しかしさすがは「初代中学生棋士」加藤一二三。第4局、第5局で盛り返し、シリーズ成績は谷川の3-2となりました。

第4局で、極端に言えば「無謀」な攻めを敢行し敗れた谷川は、終局後の一言でまたも記者たちの度肝を抜きます。

「一度やってみたかった」。

思わず、「名人戦ではなく練習対局でやってみれば良いのに」と返してしまいそうな受け答えです。

勝てば名人という一番で、「一度やってみたかった」手を選んでしまう……

やはり「初舞台を踏む21歳」には似つかわしくない強心臓を持っていたとしか言いようがありません。

運命の第6局は終盤で形勢が二転三転する大熱戦となりましたが、最後の最後、勝機をとらえたのは谷川でした。

加藤の王将が詰むことを発見した時について、後日谷川はこう振り返っています。

「詰みを発見した時は、自分でもフルえるのがわかりました。ですからメガネを拭いたり、座り直したり、いろいろやったんですがダメでした」。

さすがの谷川も、いざ名人位が見えた時は21歳の青年に戻ったようです。

以下、いくばくもなく加藤投了。史上最年少、谷川浩司名人誕生となりました。

そして、もうひとつ。

この名人戦で見せた攻めの鋭さ、他のプロにはない、相手の玉を詰める最短手順を探り出す嗅覚が、今でも谷川の代名詞として使われる「二つ名」を生み出したのです。

「光速流 谷川浩司」。

次回は『中原の逆襲 羽生世代の襲来』をお送りします。