棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。
20歳の名人挑戦者
史上2人目の中学生棋士となった谷川。次に目指す「名人」への足取りをたどってみましょう。
ここで、「名人」になるためのステップを簡単に説明いたします。
新四段が名人になるためには、1年サイクルで行われる「順位戦」を勝ち抜いていかなくてはいけません。
新四段が最初に所属するC級2組から、C級1組、B級2組、B級1組、最高クラスのA級まで5つのクラスがあり、原則10~12局を戦って成績上位者が昇級、来期(=来年)ひとつ上のクラスで戦うことになります。
名人に挑戦できるのは、原則10人しか所属できない最高クラス、A級の優勝者。1年サイクルの順位戦でコツコツとクラスを挙げていき、棋界最高峰とも言える10人に入り、そこで優勝しなければ、名人の前に立てません。勝ち抜いていく難しさもさることながら、掛かる時間も大変なものです。新四段が名人戦の舞台に上がるには、C級1組へ昇級→B級2組へ昇級→B級1組へ昇級→A級へ昇級→A級で優勝のステップを踏まなければいけませんので、最短で5年掛かるのです!
加藤一二三九段はC級2組からA級までノンストップで昇級し、A級2期目で名人への挑戦権を得ました。藤井聡太七段は前期、初参加のC級2組で全勝昇級、今期C級1組では8戦目までは無敗でしたが、9戦目に敗れて8勝1敗となり昇級争いの4番手(※昇級は上位2人)に後退しましたが、ノンストップ昇級の可能性を残しています。
谷川は、初参加の1978年度第36期順位戦C級2組で出だしから6連勝するも7、8回戦で連敗、それが響いて8勝2敗の好成績ながら昇級を逃してしまいます。
しかしそこは「将来の名人」と見込まれた棋士。翌第37期からの快進撃で、1年の足踏みを帳消しにしてしまうのです。
第37期から第40期にかけて4連続昇級を達成! 一気にA級へと登り詰めた谷川、この時19歳。いよいよ名人の背中が見えてきました。
初参加となった第41期A級順位戦。谷川を含めた10人は、それはそれはそうそうたるメンバーでした。名人をのぞく棋界トップ10ですから、A級戦士は今も昔もそうそうたるメンバーなのですが……
まず、何と言っても谷川自身が憧れていた棋士・中原誠前名人がいました。9連覇していた名人戦で加藤一二三九段に敗れ、A級の順位1位に戻ったのです。他のメンバーも強力で、中原出現以前に無敵の時代を永く続けた大山康晴十五世名人(王将)、二上達也、米長邦雄のタイトルホルダーたち……
少年時代に二枚落ちで戦った内藤國雄八段も在籍していました。この期は20代の棋士がおらず、30代5人、40代2人、50代1人、60歳の大山という、重厚感漂う構成のA級順位戦でした。
そんな、常人なら逃げ出したくなるようなメンツにたったひとり混じった青年棋士・谷川の戦いぶりはどうだったか。
なんとびっくり! 総当たり9戦で堂々の7勝2敗! 憧れの中原と並んで1位タイとなりプレーオフ進出を決め、そして中原にも勝って名人への挑戦権を獲得したのです。
「最年少名人誕生」の期待で棋界を超えた「谷川フィーバー」が起こり、本人にもひっきりなしに取材の依頼があったようです。
次回は『史上最年少名人誕生』をお送りします。
※当時の順位戦クラスはA級~C級2組という呼称ではなく、A級に当たるクラスが「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組からC級2組が「昇降級リーグ1組」~「昇降級リーグ4組」でしたが、本記事では現在の呼称に合わせました。