今年は本当に災害が多かったし、またも台風が発生しているという。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げる。
もちろん一番大変なのは甚大な被害のあった地域だが、災害には「影響はあるが、そこまでではない地域」というのも広く存在するのだ。
そんな地域に住まう人間をいつも悩ます問題がある。「会社に行くか、行かざるか」だ。
台風の日の会社、歩いて行くか、泳いで行くか
諸外国から見れば完全に「休の構え」な天候でも、日本人からすれば「審議の余地あり」なのである。そして重要な判断基準の一つが、「電車が動いているか否か」だ。行く意志はあっても到着する術がないなら仕方がないので、安心して「休む」という決断ができる。
その段階になっても「台風の会社、歩いて行くか、泳いで行くか」と考える、通勤より通院を考えた方が良いレベルの方もいらっしゃるが、インフラ関係の仕事でもしていない限り、多くの人間は交通機関がストップした時点で出社を諦めると思う。
よって、災害時の交通機関の運休というのは、できるだけ早く決めて欲しいものなのだ。何故なら、出社時に電車が動いていたら、退社時にはもう運休しているとわかっていても、出社してしまうのが日本人だからである。何故と言われても困る、「それが俺たちだから」としか言いようがない。
そうなると、当然「帰れない」帰宅難民が大量に生まれたり、駅員が殴られたりと良いことが何もない。だからこそ、出社時刻の時点で、電車には止まっていただきたいものなのである。
そんな社蓄どもの切なる願いを受け入れたのかどうかはわからないが、JR西日本は9月4日に本格上陸すると見られた台風21号の影響を考え、9月3日昼の段階で、4日の運行見合わせの決断を下した。
この判断に対しては、「JRが先陣を切ってくれてありがたい」「私鉄も早く諦めろ」と「災害時の切りこみ隊長」として概ね「英断」と好評価である。
「行けなくはない」という状況だと、「帰れなくなるのを承知でギターケースに夢だけ詰めて、片道切符を握りしめ東京行きの電車に飛び乗ってしまう」国民性を持つ我々にとって、強制的に「行けない状況」を作ってもらえるというのは大変ありがたいことなのだ。
台風時の対応でわかる大切なこと
だが、電車の運休など待たずとも、会社が一言「台風だから来るな」と言えば済む話でもある。会社が統一指示を出さないから、社員は個々の判断で「来てしまう」のだ。
実は、この「社員各々の判断に任す」というのが一番良くない。台風でも全員出社してきたという訓練された農業施設もあるだろうが、各々の判断に任せると、どうしても出社する社員と休む社員に分かれてしまうだろう。
つまり「どうせ帰れなくなるから出社しなかったクレバーな社員」と、「出社したが停電でろくに仕事もできなかった上、当然帰れなくなって駅のホームで棒立ちしている社員」に分かれるのだが、何故か会社から評価されるのは後者だったりするのが日本なのである。
それどころか、前者は「あいつは出社してきたのにお前は休んだんだな?」とあとで嫌味を言われかねない。我々日本人が、災害時でも会社に行ってしまいがちなのは、「どうしてもやらねばならぬ仕事がある」というよりは、「みんな行ってるかもしれないのに、自分だけ休むわけにはいかない」という意識があるからだ。
つまり、台風の日に会社に行って一体何をするのか、というのは問題ではない。「出社することに意義がある」という、参加することに意味がある小学校の運動会状態なのである。よって運動会のように、主催である会社に「雨天中止」と言ってもらえれば、心やすらかに休めるのだ。
JR西日本が早々に運休を決めたことが讃えられたように、会社としても災害時に出す社員への指示で会社としての度量が知れてしまうのである
中には台風だというのに社員に出社させた上、「電車が運休した時点で帰宅指示を出します」と言って、「俺の会社はダメだ」と社員を絶望させたところもあるという。
このようなことがあるから、「停電が多いと出生率が上がる」(理由は割愛する)と同じように、「災害時の会社の対応で辞意を固める」社員は多いらしい。
もはや、災害時というのは、会社が社員の忠誠を試す場ではなく、会社がどれだけ社員の身を慮っているかを見極める場と言っても良い。
本心はどうあれ、こういう時こそJR西日本のような英断をキメて、「さすが弊社! 他社にはできないことを平然とやってのける!」と自社員をシビれさせて、さらなる社蓄に育成した方が効率的ではないだろうか。