今回のテーマは「ストロング系チューハイ人気」だ。
ストロング系チューハイの「強さ」とは?
この時点で「おっ俺たちのストロングゼロの話か」と身を乗り出してしまっている。これは、ギャンブル依存症の人間のダイイングフィッシュのような目が、お馬さんの話になったとたんプリズムのように輝き始めるのと同じ原理である。
ここ一年ぐらいで、サントリーのストロングゼロを筆頭に「ストロング系チューハイ」が爆発的に広まってきている。「俺のところには広まっていない」というのなら、それで良いし、新たに興味を持つ必要はない。むしろそのまま「ストロング系チューハイが関係ない世界」にいることをお勧めする。
昨年末など、「ストロングゼロ文学」という大喜利ネタがツイッターで流行ったほどだ。ググってもらえればすぐ出てくるが、「ストロングゼロ文学」とは、簡単に言えば有名な小説などの一文に、突然ストロングゼロをぶち込んで、すべてどうでも良くさせる、というものである。
意味不明に聞こえるかもしれないが、これ以上ストロングゼロの特性を説明している大喜利は存在しない。酒として美味いとか不味いとかの問題ではない。この「どうでもよくさせる」力こそが、ストロングゼロをはじめとしたストロング系チューハイがウケた理由である。
上記はあくまで個人の感想だが、大多数の個人の感想でもある。何故なら、ストロングゼロに関して「味がいい」と言っている人はあまり見かけないからだ。私も味に関しては「アルコール汁」としか思ってないし、美味い液体が飲みたいなら「ファンタグレープ」という神の雫を飲む。
では、何故そんな大して美味くもないものを好んで飲むかというと、何度も言うが「飲むとすべてどうでも良くなる」からだ。激怒したメロスもストロングゼロを飲んだ瞬間、何に激怒していたか忘れてしまうのである。
私も、昨年末に大喜利などでストロングゼロの評判を聞きつけ、試してみた者の1人である。ストロング系の何がストロングかと言うともちろんアルコール度数だ。
標準的なストロング系チューハイの度数は9%である。ストロングでないチューハイのそれよりは高いが、他にも度数の高い酒はいくらでもある。だが、ストロング系チューハイはとにかくすぐ飲めて、酒の回りが早く、あっという間に「すべて忘れてイイ感じ」になれてしまうのだ。
当然、良い事も悪い事も全部忘れてしまうのだが、今の世の中悪い事の方が圧倒的に多いため、ストロングゼロを飲むと「トータルで幸せになれる」のである。
「遊びではない」飲用の副作用
さらに言えば、ストロング系チューハイがウケた理由はその安さだろう。スーパーに行けば100円程度でロング缶が買えてしまう。
ストレス解消の方法は他にもあるし、金をかければいくらでも解消できる。しかし、そんな金銭的余裕がある者ばかりではないし、むしろ金がないことがストレスなのだ。それが100円程度で解消してしまうのである。ストロングゼロが「飲む福祉」という異名で呼ばれるのも納得である。
このように、コスパ最高リピ確定な、ストレス社会の救世主と言っても過言ではないストロング系チューハイだが、もちろん良いことだけではない。他の酒がそうであるように、ストロング系チューハイも飲み過ぎると体に悪いし、アルコール依存症になる恐れもある。
特に「飲むと楽になる」という理由で飲んでいる人間はあっという間に「ストロング系チューハイを飲まないと人と話せない、仕事に行けない」というところまで行ってしまう。
私もストロングゼロを「楽しさ」目的で飲んでいた人間だが、徐々に飲む量が増え、「このままでは問題を忘れるために飲んでいたストゼロのおかげで新しい大きな問題が起る」と察知したので、一旦飲むのを止めた。大体、自分は無職なので、ストゼロを飲んでまで行かなければならない仕事や、話さなければいけない人間もいないのだ。
しかし、ストゼロが有名になってから、各社競い合うように、ストロング系チューハイを出しているし、最近ではアルコール度数12%という、さらなるストロング商品が生まれている。
どうも、世の中全体が「問題の解決」より「解決できないから問題を忘れる」方向へシフトしているように思えてならない。実に私向きの社会だ。むしろ、やっと時代が俺に追いついたと言っても過言ではない。
ちなみに、これは別の媒体の担当の言だ。
「ストロングゼロは酒ではないです。ストロングゼロは、ストロングゼロを飲まなければやってられない人が飲むものです、遊びではないのです。」
遊びではなかったのか。少なくとも、ストロング系チューハイが他の嗜好品と一線を画した存在であることは確かだろう。
最初は遊びのつもりでも、気づいたら地獄の果てまでついて来ているという、さそり座の女みたいになる可能性はある。
手を出す時は注意が必要だ。