2022年4月から成人年齢が引き下げられ、18歳から「成人」になることが決定した。
もう、18歳から成人になってなかったか?と思ったが、アレは選挙権の話だった。いかにこのニュースへの関心が薄いかがわかる。
だが何せ、当方2022年にはすでに「20回目の18歳の誕生日」を迎えた後である。深い関心を示せと言う方が無理だ。どちらかと言えば成人年齢を50まで引き上げて欲しい。そうすれば、あと10年は「40歳児」として大目に見てもらえる。
では、当事者である2022年以降18歳になる少年少女らがこのトピックに大きな関心を寄せているか、といえば「そうでもない」という印象だ。何故なら「飲酒、喫煙、馬券などの購入」に関しては二十歳解禁が据え置きなのである。この時点で、意識が標準以下のティーンは「意味ねえじゃん」と解散してしまいそうだ。
酒、タバコ、ギャンブルがやれない時点で何もできないのと同じな気がするが、じゃあ一体何ができるんだよ、というと「携帯電話や車の購入契約ができる」「ローンを組める」「民事裁判が起こせる」「性別変更申し立てができる」などが挙げられる。もちろん先だって法改正された選挙権もある。
それなりに、18歳で出来ることは増えるのだ。
成人繰り上げ、何のため?
これに関しては、海原雄山が「馬鹿どもに車をあたえるな!」とブチ切れたのと同じノリで反対した人もいた。18歳などという、まだ判断力に欠ける子供にそれらの権利を与えたら、悪党の餌食になるだけである、という懸念である。
年齢による判断力の有無を争点にしてしまったら、「古希を超えたあたりから徐々に権利を奪う」ことも同時に検討しなければいけない気がするが、18歳にこれまで以上の権利を与えたことで、起こる問題も当然あるだろう。
もちろん、老獪な18歳もいれば、天真爛漫な48歳もいるので、必ずしも判断力が年齢に比例するとは限らず、騙される奴はいくつになっても永遠に騙される。だが、逆に言うと、そういう騙されやすい奴が2年も早く騙されてしまうと言うことだ。
つまり18歳を成人と見なすことにより「騙され人口が増える」、簡単に言えば「犯罪被害が拡大する」ことが懸念されているのだ。そのため、消費者契約法も一緒に改正して、「言い寄ってきた異性にツボを買わされる」などの不当な契約を取り消せるようにするという。
とはいえ、当然だが、携帯や車、ローンの契約が親の許可なくできる、ということは、その契約に対する責任は18歳であっても本人にあるのだ。つまり18歳の権利が増えた、というよりは「責任が重くなった」と言った方が良いだろう。
「どこから」が大人か
そもそも、政府が18歳を成人にしようとした目的は「若年者の社会参加を早めるため」つまり「早いところ社会人としての責任を感じてもらうため」である。
日本人の寿命が40年ぐらいしかなかった頃は、ボヤボヤしてたらすぐ死ぬので、早めに大人として扱う必要があったと思うが、無駄に100年とか生きる今になって、何故大人認定を早めたかというと、ご存じ少子高齢化問題である。
近い将来、深刻な労働力不足になるのはわかっているので「とっとと社会的戦力になってもらわないと困る」のだ。先の戦争を越えて、15歳で元服だった江戸時代にまで戻りそうな勢いだが、そのぐらい今の日本はひっ迫しているということだろう。
だが、有能な人材を作り出すためには、長い時間がかかる教育も必要なので、「一秒でも早よ社会へ」という動きは国をさらに衰退させる気がしないでもない。また、年金納付義務は今後も二十歳からで据え置きだが、近い将来に18歳からも徴収するため、今回成人年齢を引き下げたのでは、という見方もある。
しかし、現在でも信用ゼロの年金氏である。数年したら「年金がもらえるとか都市伝説」というレベルになっている可能性は十分ある。よって、年金を18歳から払わせることにしたとしても、未納者、免除者が増えるだけか、免除制度を知らないその親が無駄に払うだけ、とも言われている。
その他の改正点としては、今まで婚姻は男子18歳、女子16歳で可能だったが、男女ともに18歳で可能となる、つまり両者とも「成人後、婚姻可能になる」ということだ。これに関しては「少子化改善のため、早く子供を産んでもらうよう、女は14歳から可能にしよう」とならなくて、心から良かったと思う。
また、従来では、18歳が罪を犯しても未成年者として実名報道されることはなかったが、法改正後は「本名顔出しNG」とはいかない。バッチリ世間に罪と顔と名前が公表されることとなる。よって今回の改正は「少年犯罪抑止」にもなる、と言われている。
しかし、ニュースをつけると、二十歳以上の御仁が、ガンガンに法を犯して顔と実名を曝すという雄姿を連日見ることができる。おそらく彼らは、自分たちが捕まったらこういうことになる、と知らなかったわけではないだろう。知らなかったとしたら、早く社会に出すことより「もっと教育期間を延ばす」方を考えた方が良い。
このように、未成年でも、やらかさない奴はやらかさないが、「やらかす奴はいくつになっても一生やらかす」。「どこからが大人か」という論争は、そういう永遠の3歳児がいるかぎり、結論が出ない気がする。