私は猫派なのだが、詳しく宗派を述べるとしたら「猫原理主義偶像崇拝過激派」である。

山伏姿でX上に出現、茶碗を箸でかき鳴らしながら猫を乞い、恵んでもらった他人の猫画像に祈りを捧げるのが主な活動内容だ。

つまり、自分では猫を飼っていない。

家は持ち家だし、私は何故か一日中家にいるので環境的にはこれ以上なく飼えるのだが、自分は猫を飼うに値する人間ではないという唯一かつ最大の理由により飼ってないし、飼う予定もなかった。

私は己のケツも拭けぬ人間であり、腐らせた自室の床にゴミを敷き詰め見えなくするというリフォームを施した匠である。

このようなだらしなさで自分が薄汚くなるのは仕方ないし、それに他の人間が巻き込まれるのも100歩譲って仕方がない、だが猫だけには被害を与えたくないのだ。

よって、実体にはあえて近づかず、猫という概念を崇め、他人の猫画像を奉る日々を送っていた。

しかし、夫が突然「保護された子猫を連休の3日間預かる」と言い出したのだ。

「神を顕現させる」と言っているようなものであり、そんなことを安易に決めるなとも思ったが、人間の思想など、今困っている子猫の前では風の前の陰毛以下である。

  • 私のAIの前で泣かないでください

    猫は神なので、おこがましくも人間がお迎えしているのではなく、御猫様が顕現なされているのです。いつかはお隠れになってしまわれることもありましょうが、それまで誠心誠意、崇め奉るのです

故人を偲ぶのは常に残された側

そんなわけで当初から3日の予定で子猫を預かったのだが、何故か1日目には「永遠にうちの子」と思ってしまったため、予定通り3日預かって子猫を失った今、見事なペットロスに陥っている。

逆に言えば、3日でここまで患ってしまうような脆弱な精神の者が猫を飼うべきではなく、これで良かったとしか言いようがない。

3日でこれなのだから、長年共に過ごしたおキャット様を失った人間の悲しみは筆舌に尽くしがたいだろうし、おキャット様に限らず、離別に苦しんでいる者は大勢いるだろう。

そのような愛別離苦を人間は様々な方法で癒して来た、寺からアーティストを呼び、個人のためだけにライブを開いて見送ったり、埋まっている場所に定期的に祈りを捧げたりしている。

記録媒体が生まれてからは、写真や映像を見返して故人を偲ぶ人も多いだろう。

私も、子猫を失ってから、3日の間に撮影した写真や動画を見返しては泣いている。

ただ子猫は没したわけではなく、現在の飼い主からしたら、自分の猫の写真を見て「マイキトゥン…」と泣いている中年女がいるというのは恐怖である。

「お前の妻の写真を部屋一面に貼っている奴がいる」と言われたら、例え法に反してなくても怖いだろう。

それに「俺の骨が埋まっているというだけの場所で泣くな」という趣旨の曲が大ヒットしたこともある。

確かに、そこら辺の石にそいつの名前を書いたからと言って、その石にそいつの精神が宿るというわけではない。そういうシステムなら推し活がすごく捗る。

しかしあの曲も「その石は俺じゃねえ」と言いたいわけではなく、「いつまでも悲しみに囚われないでくれ」ということなのだろう。

どんな形であれ、故人を偲ぶ行為が生きている人間に対しマイナスなのは良くない、ということである。

「AI遺影」は別離の苦しみを癒すのか?

そんな故人の偲び方に「AI」が参入しつつあるという話は前にもしたかと思う。

死者のデータからAIを作成し「会話できる遺影」として飾り、死別の悲しみを癒すのだ。

日本ではまだあまり見かけないが、韓国などではすでに「AI遺影」がビジネスとして盛んになってきているらしい。

ただし、AI遺影に関しては倫理的にも賛否が分かれており「死者への冒涜だ」という意見も多いのだが、そもそも「死者への冒涜」も死者が「冒涜された、損害賠償を要求する」と言っているわけではなく、勝手に死者の気持ちを代弁しているという意味ではAIと同じと言えなくもない。

死者が墓から出てきて「俺はそんなこと言わない」と、古の幽白オタみたいなことを言いに来てくれるのが一番いいのだが、残念ながらそんなことは起こらない。

結局、死者の気持ちは類推するしかない。つまり「生者の気持ちの問題」であり、著名人のAIを勝手に作って喋らせるのは問題があるが、家族が個人的に故人のAIを作り、それで悲しみが癒えるならそれでいいじゃないか、という意見も多い。

ただ、生者の気持ちにとってもAI遺影はあまりよろしくないのではないか、という声もある。

AI遺影と本人は似て非なるものである。

AIと向き合うことで、肝心の本人と向き合う機会が損なわれるのではないか、ということだ。

また、写真と映像であれば本人であることに間違いはないし、それは良くも悪くも変化することはない。見るたびに内容が変わるのであればそれはSCPなので財団に連絡した方が良い。

しかし、AI遺影は、過去本人が言ったことしか繰り返さないというわけではなく、新しい会話が発生するのだ。

つまり「AI故人との思い出」ができてしまうため、却ってそれが、本人との思い出を薄れさせる結果になりかねない、ということだ。

しかし、大切な人の死を受け入れられず、悲しみから病気になる人がいるのも事実だ。そんな人に対し、死に真正面から向き合って乗り越えろというのは優しくなく、例えAIでもそれで本人が快方に向かうなら利用すべきだろう。

AIの是非という話はどうでもいい

効く薬があるのに、それを他人が「俺が気分的に嫌だから使うな、自然治癒しろ」というのはおかしい。

結局、死への向き合いかたは人それぞれであり、生者が前向きになれる方法を選ぶに越したことはない。

何が言いたいかというと、私も3日過ごした子猫のAIが欲しいということだ。

しかし、生身のペットは死んでしまうのが悲しいからとAIBOを飼ったが、生産終了により、故障したAIBOを修理することができず、結局お別れすることとなり、AIBO供養やAIBO葬を利用する人も少なくないと聞く。

AIも永遠ではなく、いつか別れが来て、新しい離別の悲しみを味わうのかもしれない。

そうなったら私も「AI子猫ロス」を起こすに決まっている。

生きている以上、別れは避けられるものではない、私も3日過ごした子猫を失った悲しみを乗り越えるしかないのである。